影道仙女、変若水(おちみず)を語るの事(その二)

二度目のゲップをしかけた金平が驚きのあまりむせる。懐にいたは変わらず意識を失ったままだが、顔いっぱいに金平の唾を浴びて無意識のまま眉をしかめる。


「ふ、不老不死の薬だとう!?」


「単純な話ですよ、単に『金丹きんたん』の事をあちらでは『変若おちみず』と呼ぶのでしょう。ちゃん……『丹生都にうつひめ』は金丹の結晶として人の姿をしている。自身の金丹を消費しているというのならば外から金丹を供給してやれば生きながらえる事ができると、そういう事でしょう」


「そうか……いやまてよ、アイツらは『金丹』の製法が知りたくてを狙ってるって言ったんだぞ、手元に『金丹』があるならそれを参考にすりゃあいいじゃねえかよ!?」


「ふむ、言われてみればそうですね。手元にある分では複製したり研究したりするには量が足りないという事でしょうかね?でもそれではちゃんを助ける量もないということになる。金ちゃんを誘い込むにしてはいささかネタが弱い気がします」



影道も小首を傾げる。



「ああ、製法がそもそも違うのかもしれない」


「製法?」


「そう。例えば岩塩を削って作っても海水を煮詰めて作っても最終的に出来上がるのは『塩』であるのと同じように、全く別のアプローチで『金丹』に至った結果が『変若水おちみず』なのかもしれません。あのね、金ちゃん」



影道仙が金平向き直って言った。



変若水おちみずというのはですね、なんです」


「月の?」


「ええ。徐福じょふくの『金丹』が『龍脈』をもとに精製したものであるのならば、『変若水おちみず』は『月』の霊力を素に作り上げられた『金丹』だったのかも知れない。万葉集にこんな歌があります。『天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる い取り来て 君に奉りて をち得てしかも』」



影道仙が万葉集の歌をそらんじる。彼女の真意はうかがい知れないが、金平には取り立てて特徴のある歌とも思えなかった。



「うん、まあ、確かに。要は不老不死の薬を手に入れて愛するあなたに捧げたいっていう意味の歌ですよね。ここで大事なのはこの『をち水』を持っているのが『月夜見つくよみのみこと』という月の神であるという点です。この『月夜見尊』という神様がまた実に色々と困ったところのある神様でして」



影道仙は自分が困ったと言った風な顔をして苦笑いを浮かべた。



「何がだよ?」



当然のごとく金平が聞く。影道はまだ苦笑いを浮かべたまま答えた。



「正体がわからないんですよ」



これはまた陰陽師の彼女とは思えぬような奇妙な台詞である。彼女や頼義ほど神話や歴史に詳しい金平ではないが、そんな彼でも「月夜見尊」の名前ぐらいは知っている。



「わからないって何言ってんだよ。ツクヨミっていやあアレだろ、アマテラスの弟でスサノオの兄ちゃんだ」



金平が自分の知っている月夜見尊像を語る。影道仙はウンウンと頷きながら、



「確かに金ちゃんの言うような姿が『月夜見尊』の一般的な印象でしょう。でもね金ちゃん、『古事記』にも『日本書紀』にも、月夜見尊が男性神であるという記述は無いんですよ」



意外な事を影道は言った。



「え、そうなのか!?普通男だって思うだろ」


「なんで?」


「え、なんでって言われてもなあ」



言われてみると確かになぜ月夜見尊が男なのか説明はできない。そう聞いていたからとしか答えようが無かった。



「じゃあ、ツクヨミは女だっていうのか、お前は?」


「さっきも言ったように、記紀にはツクヨミの性別を表す記述はありません。ただ『古事記』において月読命ツクヨミノミコト伊邪那岐いざなぎのかみの右目から、『日本書紀』では右手から月夜見尊ツクヨミノミコトが生まれたと記されています。陰陽おんみょう思想において『右』は『陰』であり、『女』を意味します」



影道仙が実に陰陽師らしい切り口で自説を説明した。陰陽思想とは大陸において古代から伝わる思想で、世界は「陽」と「陰」の二つの要素が互いに影響しあって成立しているという考え方である。太陽と月、天と地、男と女、上と下、右と左と言ったように、性質の違うもの同士が時に反発し、時に混ざり合って世界の秩序を形成しているというのがその思想の根幹である。日本においてもこの思想は深く浸透しており、律令制においてもこの陰陽思想の陽=上=左に倣って「左大臣」は「右大臣」より役職が上とされている。


「は?何言ってんだお前、その理屈で言ったらアマテラスは……」



そこまで言いかけた金平を影道仙が指で制する。



「この際、天照大神の性別については今は語らないでおきましょう。またいずれ、別のお話の時に語る事があるやも知れません。ね?」



影道が誰かに向かってそう話しかける。今彼女が誰に向かって語りかけていたのか、金平にはさっぱりわからなかった。やっぱりコイツは変な奴だ、と思ったがさすがに口にはしなかった。



「さてこの月夜見尊なんですが、記紀神話において意外なほど逸話が少なく、その人物像や神格について語る資料がありません。彼?彼女?が『月』の象徴として祀られていたという事だけが残されています。で、なぜその月の神である月夜見尊が不死の薬である『変若水おちみず』を持っているのかという理由はですね」



影道仙が例の「眼鏡」に手を当てて一瞬間を置いてから言った。



天竺インドにその答えがあります」

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