悪路王、沈黙するの事

「あのガキんちょめ……」



金平が頼義の姿を見ながら毒づいた。彼女の全身が青白い燐光に包まれていく。もとどりがほつれ髪が風を受けたように逆立っていく。頼義の周囲だけ全ての重みが消えたかのように、彼女はふわりとその身を宙に浮かばせていった。



「……!?これは、一体!?」



頼義の尋常ではない超自然的な姿を初めて目の当たりにして佐伯経範さえきのつねのりが驚きの声を上げる。遠くから金平たちの奮闘ぶりを観察していた影道仙ほんどうせんもまた興味深げな視線を頼義に送りながらほうほうと何度も頷く。



「おおっ、あれこそが……なるほど興味深い。その力が如何程いかほどのものか、とくと拝見いたしましょう」



まるで他人事のようにその様を眺める陰陽師とは裏腹に、「悪路王あくろおう」の足元にいた金平は大慌てで経範の襟首を捕まえて一目散に離脱を試みる。



「にゃあ、襟首を摘むなオレは猫じゃない!っていうかなんだアイツは!?こんなのセーメーからは聞いてねえぞ!」


「話は後だ、いいからずらかるぞ!!うかうかしてたら巻き添えくらっちまう!!」


「!?」



金平の様子に経範ももわけがわからぬまま巨人の足元から走り出した。ギシギシと巨人の身体が音を立てて冷え固まった表面の岩盤を落とす。悪路王は再び動き始めようとしていた。



「神の御息みいきは我が息、我が息は神の御息なり、御息を以て吹けばけがれはらじ。残らじ。阿那あな清々すがすがし、阿那あな清々すがすがし……!!」



頼義が息吹いぶき祝詞のりとを唱える。その瞳が青白く輝き、全身の内に「道」を開く。頼義は自分の中に「彼方かなた」より来たる神威かむいの奔流が流れ込んでいくのを感じた。頼義は大弓のつるを引く。何もない中空に光が収束し、一本の光り輝く矢が彼女の手中に生じた。



神火清明しんかせいめい神水清明しんすいせいめい神風清明しんぷうせいめい……ッ!!」



裂帛れっぱくの気合と共に光の破魔矢はまやが放たれた。破魔矢は一条の光芒となって悪路王めがけて一直線に伸びて行く。



「おおっ!!」



光の矢は寸分違わず悪路王の顔のない顔面を貫き、えぐるようにその体内を駆け巡ってそのまま尻に相当する部位まで一息に貫通した。巨人の頭はひしゃげ、反対側から向こう側の水平線が見える程の大穴を開けた。再度動き出さんと冷え固まった表皮の岩々から溶岩を噴き出させていた巨人は、頼義の神撃の一矢によって再び沈黙を余儀なくされた。



「止まった……?やった、のか?」



振り返った金平は動かなくなった悪路王を見上げる。溶岩の巨人は今は音一つ出すこともなく、四つの手足を利根川の内海につけている。



「いやいやいや。これはこれは素晴らしい。噂に名高き『八幡神はちまんしん』の神威、確かにこの目で見ましたぞ。うーんグレイト」



安全な場所で見物していた影道仙がノコノコと調子良く悪路王の立つ海岸線までやって来て、拍手をしながら言った。



「八幡神……?」



佐伯経範が訝しげな顔で聞き返す。



「いかにも、源氏の守護聖霊たる『八幡大菩薩』をその身に降ろし、超常の神力をこの世に顕現させる神秘の技、このポンちゃんも初めてお目にかかりましたが、いやいやいや大したものですね〜。さすが我がお師匠様、いい仕事しておられる」



影道仙が物騒な事を言った。



「ああ?今なんつったテメエ?」



金平が陰陽師の言葉を聞き捉えて彼女に詰め寄って脅すように言う。影道仙はきょとんとした顔で答えた。



「おや、ご存知でなかった?彼女があのようなお身体になったご事情を」


「……!?テメエに、あいつの何がわかるってんだよ!?」


「いやいやいや、わたくしが知っているのは彼女がいかなる経緯で『神降ろしの神事』を施される事になったのか、と言うことだけで」


「アレも……晴明のクソジジイの差し金だったって事かよ!?」



金平が影道仙の襟を掴んで凄む。



「なーにをそんなに騒ぐんですか。そもそもお師匠様が手を施さねば頼義どのはあのまま『鬼』になってしまう所だったんですから、感謝しこそすれ、このような扱いをするいわれはないでしょう。まったく、ポンちゃん怒り心頭激おこぷんぷんですぞ」



影道仙がふざけているのか挑発しているのかわからない態度で金平に反論する。それを言われては金平もそれ以上詰め寄りようもないのだが、それでもどうにも胸の内に収まりきれない憤懣を抑えられないでいた。



「そうその娘を責めるな。別段陰陽師どのに非があるわけで無かろう。いい迷惑だろうて可哀想に」



そう冷ややかに皮肉交じりの言葉を発しながら「彼女」はふわりと金平の前に降りて来た。



「テメエ……俺の前に顔を出すんじゃねえ、何度言ったらわかるんだこの野郎!!」



金平が頼義に向かって睨みつけながら怒鳴った。頼義の方は涼しい顔で金平の怒声を聞き流す。



「まったく。お前の方こそ何度説明したら理解するのだ息長おきながの小僧よ。『私』もまた『源頼義みなもとのよりよし』であり、お前が愛してやまない『あの娘』もまた同じ『源頼義』である事に変わりは無いと言っておろう」


「な!?おま、この……!!」


顔を真っ赤にして口ごもる金平に向かって、頼義の中に顕現した「八幡神」ニヤリと悪戯っ子のような笑みを見せた。

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