頼義、陰陽師に出会うの事

竹製の水筒で喉を潤していた金平が口に含んでいた水を盛大に吹いた。



「あのジジイ、常陸国ここに来てやがるのか!?」


「ん、なんだ?あのじーさんと知り合いだったのかよ」


「知り合いもくそもねーよ!!アイツの助言だあ?ヤベエぞこいつは絶対ぜってえロクな事じゃねえぞ、あのクソジジイが首突っ込んでるって事は間違いなく良からぬ事を企んでやがるに違えねえ!」



金平は陰陽師の顔でも思い出したのか、苦汁でも飲み下したかのような渋い顔をした。あまりに大げさな反応に安倍晴明あべのせいめいの名を出した佐伯経範さえきのつねのり本人が戸惑ってしまう。



「そんなにヤベぇ人物ヤツなのかあのじーさん?確かにキツネみてえな胡散臭い容貌ナリしてたけど」



少年は少年で初対面の人物に対して辛辣な印象を述べる。



「ヤベぇなんてもんじゃねえ、蠍と蛇の毒を併せ持って蝙蝠みてえに音も無く人のそばに近寄って災厄を振りまくような野郎だぞ。疫病神だ疫病神!!」



誰かのを説明するにしては随分と物騒な表現ではあるが、金平の物言いがあまりにも真に迫っているので、経範も思わず「お、おう」と唸ってしまった。


安倍晴明は言うまでもなく今現在この国に存在する数多の方術士の頂点に君臨する大陰陽師である。そもそも「陰陽師」という呼称自体、朝廷の陰陽寮に仕える彼のために作られたようなものだ。陰陽頭おんみょうのかみの役職こそ就かず、ただの陰陽博士という立場ではあるが、齢八十を越えた今もなお内裏で朝夕に行われる吉凶卜占のたぐい一式全てを取り仕切る大御所である。


頼義自身はその晴明本人と顔を合わせた事はない。ただ彼女が率いる「鬼狩り紅蓮隊」が京で活動をしていた頃大内裏の陰陽寮の一室を屯所として借り受けていたという縁がある。金平は頼義が「紅蓮隊」の隊長として赴任するより前からの付き合いであるから晴明本人とはよく見知った間柄であるらしい。その事を言うと金平本人は死ぬほど嫌がるが。


そのような朝廷の重鎮ともいうべき人物がこのような坂東の辺境に一人でふらりと姿を見せているという事は確かに奇妙な事ではあった。金平の言は大げさだとしても、何かしら不穏な空気がこの常陸国に風吹いているのかも知れなかった。



「経範どの、その後安倍晴明様はいずこに参られると申しておられましたか」



頼義は経範に晴明のその後の行方を聞いた。もしまだ彼がこの地にいるというならば、ぜひ一度会ってこの地で起こっている異変について彼の見解を聞いてみたかった。彼ほどの方術師であるならば「悪路王あくろおう」についても何か情報を持っているかも知れない。



「そのじーさんならその足で陸奥国むつのくにに入るって言ってたな。もう十日も前の事なので今から追いつくのは難しいぜ。ただ……」



経範は晴明の所在を語った後、さらにもう一言告げた。



「もしオレが首尾よくアンタと巡り会うことが叶ったならば鹿、そこにて待つ。とか言ってたな」


「鹿島……鹿島神宮でしょうか……?」


「さあ、どうだろ」



経範が陰陽師より受けた助言はそれだけだったようである。鹿島……晴明は鹿島にて待つ、とそう言い残した。のであるならばここでウダウダと迷うよりもすることがあろう。まずは足を動かす事。いついかなる時でも彼女の行動原理はそこから始まる。立ち止まって考え迷うくらいなら拙速と言われようともまず何か行動を起こす事、そこから問題の打破へ向かう糸口は見つかる。それは終始変わらぬ彼女自身の「生き方」そのものだった。


まず行動の第一。これだけ完膚なきまでに破壊された郡庁舎だというのに夜が明けると定刻通りに出仕して来たものの何もすることがなく呆然としている律儀者の役人たちを掴まえてとりあえずの指示を出す。まずは石岡の国府に向かい筑波郡の現状を報告し、国司代理長官である常陸介ひたちのすけ頼信よりのぶの指示を仰ぐ事、続いて手余りの人員を集め破壊された廃墟の片付けと四散した郡庁舎の公文書の回収、政務を行うための仮の郡衙ぐんがの設置などなど、思いつく限りの命令を役人たちに与え、後の差配は在庁官人の一門に任せて頼義は鹿島に向かって出発した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



馬を飛ばして急ぎ鹿島郡に入った頼義一行は、ひとまず常陸国の一宮いちのみやである鹿島神宮へ向かった。経範によれば、彼が頼義と合流できたのであれば鹿島へ向かえ、ここで待つ、との事であったが、一口に鹿島と言ってもどこで晴明が待っているのやらまるで見当もつかない。ならばまずは鹿島の象徴とも言うべき神宮を目指すのが一番の手がかりであろうと見当をつけての神宮行きであった。そこに実際陰陽師がいるのかどうかはわからないが、他にあてもなく、また神宮より待ち合わせの目印となりそうな場所も思い浮かばないのでまず間違いはなかろうと言うのが頼義の見解だった。


その予測は半ば当たり、半ば外れた。


確かに鹿島神宮に目当ての人物は待っていた。だがそれは晴明本人ではなく、豊かな巻き髪を無造作に束ねた男物の狩衣姿の少女だったのだ。少女は馬を駆る金平に向かって声をかけると、



「おお、まさか本当まことに時刻通りにここを通り過ぎるとは思わなんだ。さすが我が師よな。そこのデカいお人、顔を知っておるぞ間違いない。『鬼狩り紅蓮隊』のご一行とお見受けいたす」



えらく仰々しい割にどこか人を食ったような物言いで少女は手綱を取る金平を呼び止めた。思わぬ所で紅蓮隊の名を耳にして驚いた金平は馬を止める。金平は胡散臭そうな目で少女をジロリと眺めるが、少女は一向に気にするでもなく飄々と馬上の頼義に向かって挨拶をした。



「お初にお目にかかるご惣領どの。我が名は『影道仙ほんどうせん』。陰陽寮史生ししょうにて、我が師安倍晴明より任を受けて貴公を待ち申し上げておりました」



影道仙と名乗った少女は恭しく頭を下げ、フフンと鼻を鳴らしながら口の端を少し上げて笑顔をを作って見せた。

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