6 禁呪・ルシライト

 ペールネールの姿が見つからないので、シュメールはパニックになっていた。


(どこだ、どこだ?)


 シュメールは左右をふり返り、雑踏のあちこちに視線を走らせた。


「すっぱりさっぱり、落ち着け!」


 オンジャの鋭い声がした。この騒然とした人ごみでは誰も、シュメールの胸元から聞こえた不思議な声を気に止める者はいなかった。


 服の下から影吸いの宝石を引っぱり出して、シュメールはぴたりと耳に当てた。


「どうすればいい?」


「ブリジットが一緒にいる。誰よりも強力な守護者だ。だから落ち着け。深呼吸しな」


「わかった。そのとおりだ」


 シュメールは、ゆっくり、深く、息を吐いた。


「よし。俺っちは、ブリジットとペールネールの存在を感じられる。まず後ろを向け」


 シュメールはふり返った。


「あの青い屋根のテント、そう。その脇を抜けて、路地に入れ。違う、それじゃない。そこだ。そこを右。それから一本目を左」


 細い路地に入ってゆくと、ペールネールの姿があった。


「ペールネール!」


 シュメールが叫ぶと、ペールネールはすぐに駆け寄ってきた。


「シュメールさま! この男が、わたしをさらおうとしました」


 そこには汚れた身なりの男が、頭を血まみれにして座り込んでいた。


 シュメールは目をつりあげた。


「フォルメ・ソード」


 右手のリングが、黄金の剣に変わった。シュメールは鋭い刃を、男の顔につきつけた。


「ひぃ! 待て! 助けてくれ! つい出来心で……」


「お前の言葉は聞かない。膝を突け!」


 シュメールは激怒していた。言われるままに、男は膝を突いた。


「頭を下げろ。首を伸ばせ」


「ま、待ってくれ! なにを……」


「首を斬り落とす」


「ちょ、ちょ待っ……なにも、殺さなくったって……」


「言うとおりにしろ!」


 ヒィッと叫んだ男は、うつむいて首を伸ばした。


 シュメールは剣のひらを、男の首にぴたりと当てた。氷のような冷たい感触に、男の全身から大粒の汗が流れ、鼻先から、顎から、ぼたぼたと地面にこぼれ落ちた。


 シュメールが古代語の詠唱をはじめるのを、男は聞いた。




 さざめく光の精霊よ、かんばしき風の精霊よ、


 今、この場所にすだきたまえ


 この男の内に張り詰めし、かたき氷を溶かせ


 この男の内に巣食いし、くらき闇を滅ぼせ


 われは望む


 この男の心に、原初の光のよみがえらんことを


 堕天祝福ルシライト――




 瞬間、シュメールの手から、祝福の光が放たれた。


 その眩しい光を受けた途端、男の体は地面に沈み、意識を失って動かなくなった。




 男は、夢を見た。


 子供の頃の夢だ。


 まぶしい太陽の下で、友達と一緒に楽しく駆け回っていた……


 いつまでも、いつまでも、飽きることなく……


 夕暮れと朝焼けが同時に訪れる空……


 風の甘さ、光の美しさ……


「もう帰っておいでー! ご飯だよー」


 なつかしい、母親の声……


 今は亡き……もう二度と会うことなき、そのおもざし……


 まったく記憶から失われていた、幼い頃の思い出……


 男の胸が、急にふるえた。




 ……男が目覚めたとき、シュメールとペールネールの姿は消えていた。


 男はゆっくりと起きあがった。


 すさみきった盗賊の心はせ、あたたかくてやわらかな童心が、にじんだ光の波となって胸の内側をくすぐっていた。


 瞳から、ぼろぼろと涙があふれ出た。


「……俺、なんかつまんないことしてたみたいだな……」


 ひとつ、ふたつ……しずくが手の甲に落ちる。突き刺さっていた黒い羽根は、いつのまにか消えていた。血がにじんでいるものの、それほど重症にはなっていない。


「……まともな仕事、探してみっかな……」


 壁にすがってよろよろと立ちあがると、男は街路の奥に消えていった。




  ☪ ⋆ ⋆




 遅い午後の光が、アトリウムの高い場所を金色に染めていた。


 シュメールとペールネールは家に戻るなり、お互いの体をきつく抱きしめあった。


「絶対に、離れないで」


「絶対に、離れません……」


 ふたつの体であることが、もどかしかった。


 ひとつになりたかった。


 しばらくそのまま、ありったけの力で、ふたりは抱きしめ合っていた。


 シュメールが耳元でささやいた。


「ごめん、僕が目を離したから……」


「シュメールさまは悪くありません。それに、わたしは自分で自分を護れるから安心してください。ブリジットもいるし……」


 それでも心配そうな顔を見せるシュメールに、ペールネールはささやき声で言った。


「今度から、小鳥の姿で買い物にいくのはどうでしょう? シュメールさまの肩に乗って」


「ダメだよ。ワシとかに襲われたら、どうするの?」


「その時は、『人間態』に戻りますから」


「ダメ。そしたら、みんなにペールネールの裸、見られちゃうから」


「ダメですか?」


「だめだめ。ペールネールは僕だけのものだから」


「わっ」


 シュメールはペールネールの体を抱きあげて、ダンスのようにくるくる回った。


 ふたりの顔に、笑顔が戻ってきた。


 そのまま隣室に入り、天鵞絨ビロードのソファの上に転がって、口づけようとした……その時だ。


「うっ」


 突然、シュメールが胸を押さえたので、ペールネールはびっくりした。


「シュメールさま! どうしたんですか!?」


 ペールネールの腕からシュメールの体がずり落ち、床の上に転がった。


「うぅぅぅぅ」


 シュメールは体を丸め、ひたすらうめきつづけた。心臓が万力で締めつけられるようだった。胸が痛い! 呼吸ができない! 苦しい!


 ペールネールは真っ青になって助けを求めた。


「どうすれば!? オンジャ! ブリジット!」


 影たちはすでに宝石の外にいて、背後から見守っていた。


堕天祝福ルシライトの反動だ」


 と、オンジャが言った。


「反動?」


「ルシライトってのは、すごく体に負担がかかるのさ。悪人の心の奥に潜む『良心』を引き出す祝福魔法なんだが、術者は悪人の毒気をもろに吸ってしまって、それが痛みとして体に現れる。だから王家では『禁呪』になってた」


「どうすればいいの……!?」


 ペールネールは血相を変え、オンジャに迫った。


「自然と痛みが収まるのを、待つしかない」


「あんな悪人のために、シュメールさまが痛みを引き受けるだなんて!」


 眉をひそめるペールネールに、オンジャは言った。


「シュメールもわかってててやった事なんだから、しょうがねぇよ。……悪人のなかに少しでも、善の心をめざめさせたかったんだろ」


「でも……」


 ペールネールは納得がいかなかった。


 ペールネールはずっと、シュメールの背中をさすりつづけた。


(わたしに治癒祝福ラファライトが使えればいいのに……)


 自分の手から癒しの光がこぼれ、愛しい人の体から毒が消えてゆくのを、ペールネールは想像してみた。


(お願い、治って……!)


 ペールネールは固く目をつむり、祈るように念じた。


 ラファライトは使えるようにならなかったが、半時間ほどで、シュメールの胸の痛みはおさまった。


 ソファに横たわり、シュメールはしばらくのあいだ、ペールネールの夜色の瞳を見あげていた。


「……君の瞳から、夜の国の雨が降ってくる」


 そう言いながら、力なく腕を伸ばし、シュメールはペールネールの頬の雫を指でぬぐった。


「……なぜ、泣いてるの?」


「シュメールさまが心配だったから……」


「ごめん、心配かけたね。もう大丈夫」


 ゆっくりと半身だけ起きあがって、シュメールは笑顔を作った。


「ね、さっき買った置物、飾ろうよ」


 シュメールの言葉に、ペールネールはサッと立ちあがり、カバンのなかから小鳥の置物を取ってきた。


 あんず色の小鳥と、空色の小鳥――寝室の飾り棚に二匹を並べた。小鳥たちは体が丸っこくて、愛嬌があって、仲良くおしゃべりしているかのよう。心温まるその様子に、ふたりはやわらかな笑顔を取り戻した。



 シュメールはペールネールに腕をからめたまま、ふり返ってオンジャに尋ねた。


堕天祝福ルシライト。初めて試してみたけど、効き目あったのかな?」


「大丈夫、ちゃんと効いてたぜ」


「じゃさ、常闇とこやみの魔獣どもにルシライトを使えば、おとなしくなるんじゃない?」


「いや、ルシライトは、魔獣と極悪人には効かない」


「そうなんだ……。うまくいかないね……」


「それに、反動が大きい。体験してわかったろ?」


「うん。夜の国を取り戻すための知恵と力にならないかと思って、試してみたんだけど……やっぱり禁呪は禁呪だね。つらかった」


 先ほどまでのひどい苦しみを思い出し、シュメールは肩をすくめた。




✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


 身を挺して『禁呪』を試したシュメール。


 夜の国を取り戻すための知恵と力は、まだ見つからない……




【今日の挿絵】

 小鳥の置物

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093090432722479

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