第46話 小さな変化

 あれ以来、ガーティス子爵邸はかなり賑やかになった。

 二人の人外と八体の獣が増えてかなり雰囲気が変わったようである。

 そういえば雰囲気が変わったといえば、モエとイジスの間の空気もどことなく変わった気がする。

 表向きには相変わらずの主従関係なのだが、モエのイジスに対する態度にはどうも小さな変化が見える。

「はあ……、何かがおかしいわ」

 その日の夜、モエはいつもの通り仕事を終えて部屋でベッドに倒れ込んでいた。別に疲れているというわけではない。だけど、どういうわけがベッドに突っ伏してしまっていた。

 そして、そのまま寝返りを打って天井を見上げるように仰向けになる。ただ、その顔の上には腕が乗っかっていた。

(イジス様を見ると、なんか変な感じになるのよね……。今までにそんな事なかったっていうのに……。私、おかしくなっちゃったのかしら)

 今までに体験した事のない感情が、モエの中にもやもやと生まれていたのだ。

 実は獣たちに名付けをしていたあの時も、イジスのそばに居るだけで、少し鼓動が速くなっていた気がしていたのだった。

 マイコニドとはいえ、基本的な身体の機能は人間と同じである。元がきのことはいっても、胸部には心臓や肺があるのだ。違いといったら、頭にある大きな笠と胞子を振り撒くという種族特性くらいである。

「わふ?」

 腕で目を覆っているいつもと違うモエに対して、ルスが心配そうに声を掛けている。その声に反応して、モエは腕を少し動かしてルスへと視線を向ける。

「ごめん、心配かけちゃったかな? 私は大丈夫だからね。ただ、ちょっと何か変なの。何がどう変なのかは、よく分からないんだけどね」

「わふぅ……」

 表情がどこかおかしいモエに対して、ルスは首をだらりと垂れさせる。そして、ぴょんとモエに対して飛び掛かってきた。

「わわっ、ルスったらくすぐったいわよ」

 次の瞬間、ルスはモエにじゃれついていた。まるで元気を出せと言わんばかりの甘えっぷりである。これでもかというくらいに尻尾が左右に揺れていた。

「ふふっ、ありがとうルス。元気になったから、もう大丈夫よ。……ただ、今から寝なきゃいけないんだけどね」

「わふっ」

 モエが困ったように笑うと、ルスはじゃれつくのをやめてモエの顔の前にちょこんと座り込んだ。そして、モエの顔をひと舐めすると、ベッドから降りて所定の位置で丸まっていた。

「く~ん」

 まるでお休みと言っているようにひと鳴きすると、ルスはそのまま眠りについていた。

(本当にルスったら……)

 くすくすと笑いながら、モエはルスを見つめる。

(気持ちも落ち着いたし、明日も仕事があるからさっさと寝ちゃいましょう)

 上体を起こしてルスを見ていたモエは、ひと呼吸すると再び横になる。そして、そのままいつものようにぐっすりと眠りに着いたのだった。


 翌日、いつものように気持ちよく目が覚めるモエ。

「おはよう、ルス」

「わうっ」

 いつものようにルスに挨拶をすると、ベッドから起き抜けて仕事の支度をする。顔を洗って服を着替えて、髪の毛を整えてキャップをかぶる。

 相変わらず頭上には大きな白いキャップが目立っている。最近ようやく新調したので、真っ白で大きなキャップはよく目立つ。しかし、マイコニドの大きな笠が目立つよりはよっぽどましだった。

「さて、今日も頑張りましょうか」

「わふっ!」

 姿見を前に気合いを入れるモエ。ルスも吠えると、いつもの居場所であるモエの頭に飛び乗っていた。

「……少し大きくなったかしらね。重くなった気がするわ」

「わふっ」

 ちょっと違和感を感じたモエだったが、ルスは気にするなといった感じだった。

 仕事のために外に出ていくモエ。

 まだ日の出まで時間があるので、屋敷の中は薄暗い。その中を食堂目指して歩いていくモエ。

 最近はモエは一人で仕事を任されるくらいになっている。というのも、エリィが新しく入ったビスとキャロの教育に回ってしまったからだ。

 とはいえ、モエの仕事っぷりはエリィはおろかメイド長のマーサからも認められるくらいのレベルである。もう一人でも大丈夫だと判断されても仕方のない水準なのだ。本当に短期間で立派になったものである。

「ふう、これくらいにきれいにできれば十分ね」

 いつものように気合いを入れて食堂の掃除を済ませたモエ。部屋の隅々まで輝いているし、テーブルクロスもピシッとしわのないくらいに伸ばされている。花瓶の花も生き生きとしている。その仕事っぷりといったら、もう熟練といってもいいくらいの素晴らしいものだった。

 食堂の掃除を終えたモエは、掃除道具を片付けているとマーサに声を掛けられる。

「ああ、モエさん、ちょうどいいところに居ましたね」

「どうなさったのですか、メイド長」

 にこにことしているマーサを見て不思議そうに首を傾げるモエである。あまりにも違和感のある顔だった。

「いろいろと議論したんだけどね、あなたをイジス様の専属メイドにする事が正式に決まったんだよ」

「……はい?」

 思わぬ辞令に、モエはまったく理解が追いつかなかった。

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