第29話 子爵の焦り
イジスとは別行動となっていた子爵は、帰りの馬車の中で家令のグリムと話をしていた。
「やはり、行方はつかめないか」
「その様でございますね、旦那様」
ガーティス子爵は焦っていた。なにせ自分のところで不法な取引が行われていたのだから。しかも、それが聖獣ともなれば無理もない。
この国では奴隷だって違法な扱いだ。それゆえに、ガーティス子爵は膝をトントンと指で叩くほどに焦りに満ちていた。
「まったく、せっかく捕まえた連中も自決されてしまったからな。なんとしても見つけ出さねば……」
「旦那様……」
焦るがゆえに不機嫌になるガーティス子爵。さすがの家令も掛ける言葉を失っていた。
馬車の中は重苦しい空気のまま、ガーティス子爵と家令も屋敷へと戻ってきたのだった。
夕食はモエの掃除した落ち着く空間となった食堂で済ませたので、夜には子爵の機嫌もだいぶ落ち着いたようだった。
さすがは癒しの胞子を撒き散らかすモエである。あれだけ焦っていた子爵ですら、冷静になるくらいの効果を発揮していた。
「ふぅ、不思議と食事の時間で落ち着く事ができたな。グリム、今日仕入れてきた情報はまとめてあるか?」
子爵が声を掛けると、家令が姿を見せる。
「はい、まとめてございます。こちらをご覧下さいませ」
紙の束を子爵へと差し出す家令。子爵はそれを受け取り、1枚1枚目を通していく。
ところが、やはりそのまとめを読み進めていくと、子爵の顔はどんどんと厳しくなっていく。最終的には眉間に指を当てるくらいの状態にまでなっていた。
「うーむ、やはりあの日が最大のチャンスだったのだな。まったく、現場を押さえようとして張っていたというのに、イジスの奴が飛び出したせいで逃げられてしまったからな」
「左様でございますな。旦那様とは似てらっしゃるところがございますが、あの時ばかりはいささか強く出過ぎてしまったようですな」
「まったくだ……。誰に似たんだといったら、間違いなく私だな」
書類を机に置くと、子爵は大きくため息を吐いていた。
「旦那様も、幼い頃はああいう感じでございましたものね。大旦那様も大奥様も手を焼いていたように思います。奥様にひと目惚れして熱烈にアピールしていたのが懐かしゅうございます」
「グリム、それは言わないでくれないか?」
家令が懐かしそうに話す昔話を、子爵は困った顔をしてやめさせようとしている。この親にしてこの子ありである。
少し話が脱線したものの、子爵はすぐに話を元に戻す。
「さて、密売組織を壊滅させるためにはどうしたものかな……」
子爵は真剣な表情で家令に尋ねている。すると、家令は唸るような声を出しながら悩んでいる。
「尻尾を出さぬのであるなら、出させるしかございませんでしょう」
家令はこう答えた。
「やはりそうなるかな。街から出ていったというような報告はないし、まだ街の中に潜伏していると見てもいいのだろうな。……だが、この街は思ったよりも狭い。隠れるような場所も隠すような場所もないはずなのだがな……」
子爵は両肘をつきながら考え込んでいる。
だが、子爵は狭いとはいったものの、この街のすべてを把握できるわけがない。それに狭いとはいってもそれは王都などの都市に比べてだ。さすがに領都となればそれなりの広さがあるものなのである。
「うーむ、しかしだ。尻尾を出させるとなると、ちょっと面倒な事になりそうだな」
「左様でございますね」
子爵と家令が、揃って同じ方向を見る。その視線の先には壁しかないのだが、それを延長するとその先にあるのはイジスの部屋なのである。
そう、子爵たちが切羽詰まって思いついた作戦では、間違いなくイジスが障害となるのである。
……となると、子爵たちの思いついた作戦の内容は分かったも同然だろう。
「早ければ明日にでも、モエを街に出させるか。この屋敷の使用人である以上、仕事はいろいろと覚えてもらわねばならないからな」
「畏まりました。マーサにも伝えておきましょう」
家令は子爵に答えると、軽くお辞儀をして部屋を出ていった。
「さて、後は気付かれないように護衛をつけておく事にしようか。モエに何かあれば、イジスが間違いなく殴りに来るだろうからな……。私に似たのなら、十分あり得る事だ」
子爵は頭を抱えた後、少し笑っていたようだった。
そのしばらく後だった。エリィと一緒に仕事をしているモエのところにマーサがやって来た。
「エリィさん、モエさん、ちょっといいでしょうか」
マーサが声を掛けると、二人は何事かと思ってくるりと振り返ると、顔を見合わせていた。
「何でしょうか、メイド長」
モエではなくエリィが反応する。
「明日なのですが、二人で市井に出掛けて買い物を頼みたいのです」
「はい?」
モエではなくエリィの方が大げさに反応していた。モエの方はただ首を傾げているだけだった。
「では、伝えましたからね。明日購入品の一覧をメモでお渡ししますので、よろしくお願いしますよ」
マーサは伝えるだけ伝えてすたすたと去っていった。
モエとエリィは驚きのあまり、その場でしばらく動けなくなっていたのだった。
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