第26話 イレギュラー
「本日のお昼前の掃除の時間、モエにはイジス坊ちゃんの部屋を掃除して頂きます」
マーサから告げられた仕事は、まさかのイジスの部屋の掃除だった。
どういう反応をするのか楽しみだったのだが、モエはまったくの無反応だった。むしろ、頭に乗っているルスが喜んでいるくらいだった。少し残念に思うマーサである。
「えっと、メイド長?」
意外な反応に驚いていたマーサは、モエの言葉で咳払いをする。
「今日の坊ちゃんの部屋の掃除は私と一緒に行いますので、しっかりと覚えて下さいね」
「あ、はい。分かりました」
マーサがモエに言いつけると、モエは淡々と返事をしていた。
この反応を見る限り、モエはイジスに対して何の感情も持っていない事をひしひしと感じるマーサだった。
(やはり、イジス坊ちゃんの一方的な感情なのですね)
マーサはイジスの事を哀れんだような表情になったのだった。
その後、使用人の半分ほどが出てガーティス子爵とイジスが出発するのを見送った。もちろん、その場にもモエは居たのだが、他の使用人たちと同様に淡々と無表情で頭を下げているだけだった。しっかりと使用人としての仕草は身に付いているので、そこは実に喜ばしい事ではあった。
見送った後はそれぞれの持ち場に戻っていくのだが、その時の一部の使用人たちは愚痴めいた事を話していた。
「あーあ、あの子マイコニドなんでしょ? 安全だって言われても一緒に居たくないわね」
「こら、口に出すのは控えた方がいいぞ」
「そうよ。旦那様も坊ちゃんも認めている以上、私たちがどうこういう事じゃないわ」
「しかしだ、うちに来たばかりの奴が、俺たちよりいい待遇っていうのは解せねえ話だよな」
隅っこの方でひそひそと話をいる。
「おほん!」
近くを通ったエリィがわざとらしく大きく咳払いをする。その音に、愚痴っていた使用人たちは身震いをさせていた。
無言の圧力を掛けられた使用人たちは、そそくさとその場から去っていった。
実のところ、エリィだってモエの待遇に関しては不満はある。だが、しばらく見ていて仕事熱心で覚えるのがとても早いとあって、不満よりも期待の方が上回っていた。マイコニドではあるものの、使用人として上を目指せるのではないかと思うくらいだった。
(まったく、新人に対して抱く不満はあるでしょうが、実際を見ればそんな気持ちも吹き飛ぶでしょうね。私もそうでしたからね)
仕事に向かっていった愚痴を言っていた使用人たちを見ながら、エリィはそんな事を思ったのだった。
(意外と素直ないい子ですから、大事にしてあげませんとね)
エリィは静かに微笑んでいたのだった。
さて、モエはマーサに連れられてイジスの部屋へとやって来ていた。なにせ、今日はイジスは父親の子爵と共に夕方まで居ないとあって、食堂の掃除の予定が吹き飛んでいたからだ。その代わりに言い渡されたのがイジスの部屋の掃除である。
何気にこの部屋に入るのは昨日に続いて2回目である。
掃除をするにあたって、モエは部屋の中をぐるりと見回す。ここは執務室とあって、正面には窓を背にした位置に執務用の机があり、その窓の隣には本棚が置かれている。入口から右側には応接用の机と椅子が置かれていて、左側には外套が掛けられたポールが置かれている。その奥にはベッドが置かれている。その横には扉があり、その奥には水回りやウォークインクロゼットなどがあるらしい。
「モエさん、どうされました?」
マーサに声を掛けられるモエ。
「あっいえ……、自分の部屋とはずいぶんと違うなって思って、つい見てしまいました」
「わうっ」
急に犬の鳴き声が聞こえて、マーサは驚いて辺りを見回してしまう。
「っと、ルスも居るのですね」
「はい、今も私の頭の上に居ますよ」
モエが頭の上に手を伸ばすと、すっとルスが姿を見せた。完全にモエの頭の上が気に入っているのか、ほとんどこの位置が定位置と化していた。今のところルスはまだ小さいので、頭の上に乗っかられていてもモエはまったく苦にしていないようだった。
「大きくなってきたら、さすがにその位置では首を痛めますからね。乗せておくのもほどほどにしておいた方がいいですよ」
「分かりました」
マーサの忠告をおとなしくモエは聞き入れていた。
ジニアスが言うにはプリズムウルフは将来的にはかなり大きくなるらしいので、実に幼いうちしかできない限定的の措置なのである。
「とりあえず今日はそのままでいいですが、大きくなってきたら対処法を考えませんとね」
マーサはそう言うと、イジスの部屋の掃除の準備に取り掛かる。
「それでは、そろそろ始めましょうか。注意点としては、極力小物類は動かさないで下さい。あとは実際に掃除をしながら説明していきます。モエさんはそこのはたきを持って本棚の掃除をしましょうか」
「分かりました」
というわけで、最小限の説明を終えると、マーサとモエはイジスの部屋の掃除を始めたのだった。
実は当主の家族の部屋の掃除を任されるというのは使用人としてはそれなりの躍進なのではあるが、人間の街に出てきてそんなに経っていないモエはその意味をまったく分かっていなかった。
ただ時折マーサから説明を受けながら、黙々と掃除を済ませていたのだった。
その手際の良さは何度見ても素晴らしいもので、マーサが驚くほど掃除は早く終わってしまったのだ。
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