第22話 今は穏やかな日
その日、ガーティス子爵領へやって来ていたジニアスは王都へと戻っていった。滞在時間にしてわずか1日にも満たなかったのである。
そもそも司祭という仕事は忙しい。その合間を縫ってやって来てくれたのだから、文句というものはない。
モエもしっかり玄関の掃除をして、朝のうちに発つジニアスを見送った。
「ほほほっ、君のような子に出会えた事を嬉しく思うよ。君に我らが神の加護があるように」
ジニアスはそう言い残して、ガーティス子爵領を発ったのだった。
その日から、モエは子爵邸の庭などの仕事にも携わるようになった。
マイコニドという事でどうなるかと思われたが、使用人たちからはそんなに悪い評価はされていないようだった。エリィの心配は杞憂で終わりそうだ。
ちなみに、食堂の掃除以外ではモエの頭にはルスが乗っかっており、その光景を見て和む使用人も居たとかどうとか。
こうやってモエが外回りに出始めた2日目の夜の事。食事中に使用人たちからモエは絡まれていた。
「ねえねえ、ちょっと聞いてもいいかしら」
「うっ、何でしょうか……、先輩」
まだ少し他人が怖いのか、身構えるような反応を見せるモエ。ちなみにモエの足元ではルスがもぐもぐと食事をしている。
「マイコニドってどういう生活しているの?」
「ふえ?」
どうやら、マイコニドについて興味を持ったようだった。
「うう、別に特殊な生活をしてるってわけじゃないですよ。畑仕事をしたり、木の実などを拾ってきたり、実に地味な生活なんですから」
「なんだ。村人みたいな生活してるのね」
モエが戸惑いながらも正直に話をすると、期待外れみたいな反応をしてきた。
とはいっても、これは仕方がない話だ。マイコニドは森の奥でひっそりと暮らしているのだから。村人みたいな生活でなければそれはおかしいというものである。
「まあまあ、ミリー。マイコニドって森の民とも言われてるじゃないの。期待する方がおかしいっていうのよ」
モエに質問した使用人を落ち着かせるように声を掛ける使用人。
「でも、サマンサ。亜人なんだから、変わった生活してるかもって思うじゃないのよ。マイコニドって胞子が危険すぎて近付けないんだから、こうやって話ができるのは貴重なのよ。ねえ、モエ。もっと話を聞かせてちょうだい」
「え、ええ……」
ぐいぐい来るミリーと呼ばれた使用人。さすがにこの圧に、モエは困り顔になってしまうのだった。
「はいはい、いい加減にしなさい、あなたたち。そろそろ食事の時間が終わりますよ」
「うわ、出た。エリィさんだわ」
「何が『出た』なんですか。仕事を増やされたいのですか?」
「それは勘弁して下さい!」
しつこそうにしているミリーにエリィからの強烈な言葉の一撃が浴びせられる。よく見ると、足元に居たはずのルスもテーブルに上がって唸っている。さすがにこの圧には耐えられないミリーだった。
「ほら、ミリー。食べてさっさと行くわよ」
「ちょっとサマンサ、待ってよ」
サマンサと呼ばれたそばかすのある使用人が急かすと、ミリーは慌てて食事を掻き込んでいた。
「それじゃモエ。また話聞かせてちょうだいね。お兄ちゃんに自慢しちゃうんだから」
ミリーはそう言い残して食堂を出ていった。
食堂に残されたモエは、何だったのかと呆然として固まっていた。
「モエ、大丈夫かしら」
「あっはい。大丈夫です」
エリィから声を掛けられて我に返るモエ。そのモエに対してエリィは話をする。
「ミリーのお兄さんは学者で、亜人研究をしているそうなのよ。単純に興味だとは思うけれど、あの様子ではモエの事を外部に漏らしかねないわね。追いかけてミリーの口止めをしておくから安心しておいてね」
「は、はあ、分かりました」
エリィに説得されるモエだったが、ミリーの勢いを思い出して生返事である。
「追いかけてくるから、戻ってくるまでに食事を済ませて片付けておきなさいね」
「は、はい!」
エリィはそう言い残して、早足で食堂を出ていった。
「……賑やかだったわね、ルス」
「わうっ」
残されたモエはルスを見ながら苦笑いをしていた。ルスはモエの声掛けに反応して鳴くと、つぶらな瞳でモエの事を眺めていた。
そして、どうにか食事を終えたモエは食器を持って厨房に向かい、そのまま洗い物をしたのだった。
「おう、モエ。食事は口に合ったかい?」
「はい、おいしかったですよ」
厨房に居た料理人に声を掛けられたモエは、一瞬びびりながらも質問に答えていた。
「そうかそうか。マイコニドって聞いて驚きはしたが、俺たちと同じ味付けで大丈夫ならひと安心だな」
料理人はご機嫌そうに大笑いをしていた。
「まったく、モードンは何をやってるんですか。モエを威圧しないで下さい」
「おう、エリィ。何も怖がらせてはいないぞ。俺は普通に話し掛けただけだ」
「熊みたいな見た目の時点で説得力がないんですよ。料理人なんですから、もうちょっと見た目にも気を遣って下さい」
「がっはっはっ、別にいいだろうが。相変わらず細けえな、エリィはよ」
モードンと呼ばれた料理人は豪快に笑っていた。モエはずっと怯えたままである。
「さあモエ、行きますよ。今日も午後はお勉強ですからね」
「は、はい。すぐに支度します」
モエは返事をすると、バタバタと自室に向かって駆け出していった。ルスもその後を追っていく。
「マイコニドっていうからどんな奴かと思ったが、そこらの女と変わらねえな。あれは美人になるぞ」
「まったく、すぐにそういう品定め的な事を言うのはやめて下さい。人間社会に出てきたばかりなんですから、変な印象を与えかねませんよ」
「おっとぉ、そうだったな。まあ、あいつは俺の料理をうまそうに食ってくれてるみたいだし、いい子だよな」
「ええ、驚くほどいい子です」
エリィとモードンはそう言い合うと、しばらく場が静まり返る。
「では、私はあの子の勉強を見ますので、これで失礼します。夕食も楽しみにしていますからね」
「おう、任せておけ」
エリィは厨房を後にして、モエの勉強の準備をするために自室へと向かった。
今のところはモエに関して問題は起きていない。このままの状況が続く事を、エリィは心の中で願ったのだった。
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