第5話 メイド教育、開始です

 翌朝、扉を叩く音でモエは目が覚める。

「ふぁい……、どちら様……」

 目を擦りながら体を起こすモエ。だが、寝ぼけているせいか、自分がどこに居るのかよく分かっていなかった模様。

「あたあっ!!」

 大きな音を立ててベッドから落っこちるモエ。その音のせいで扉の外の人物が大慌てで部屋の中に入ってきた。

「大丈夫ですか、モエさん」

「あたたた……。ってあれ?! ここ、どこ?」

 ベッドから落ちたショックで完全に目を覚ますモエだが、見た事のない部屋の中に居たせいで、意識がかなり混乱しているようである。

 モエが寝ぼけている様子に、部屋に入ってきた人物、エリィはものすごく呆れた顔をしていた。

「モエさん、あなた、昨日の事をもう忘れているのですか?」

「え、えっと……。確か、エリィ!」

 エリィの問い掛けに元気よく声を上げると、モエは頭に手刀を食らっていた。

「あいた!」

「エリィさんです。使用人同士は必ず『さん』を付けて名前を呼ぶように。それと、その笠って痛みを感じるのですね」

「当たり前ですよ、頭の一部なんですから。いたたた……」

 モエは声を上げるが、ベッドから落ちた痛みに腰を擦っていた。まったく、朝からとんでもない失態をかましたものである。

「モエさん、痛がっている暇はありませんよ。さっさと顔を洗って服を着替えて下さい。今日から私がみっちり、メイドとしての心構えと教養をたっぷり叩き込んであげますから」

「ひっ!」

 年は10代の後半から20代前半くらいのエリィだが、メイドとしては長いために、その時の表情といったらモエは恐怖を感じてしまっていた。顔は笑っているが目がまったく笑っていないのである。さすがにそんな表情に見られてしまえば、モエはさっさと顔を洗いに行く。

「待ちなさい、モエ」

「はい?」

「帽子をかぶりなさい。あなたの頭は目立つんですから」

 エリィから帽子を渡されて、それをかぶるモエ。そして、すぐさま出て行こうとするが再びエリィに止められる。

「お礼は?」

「はっ、ごめんなさい。ありがとう」

「よろしい。言葉遣いは後で直しますが、今はそれで構いません。洗面台は廊下に出て左側の突き当りです」

「はい、分かりました」

 モエは返事をするととててと廊下を小走りしていく。その姿を見て、エリィは再びため息を吐いた。先が思いやられると。


 しばらくしてモエが戻ってくる。その姿にエリィはぎょっとする。

「モエさん、顔と手はちゃんと拭きなさい!」

 声を荒げると、どこからともタオルを出してモエの顔に押し付ける。完璧たるメイド、いかなる事態にも対処できるものなのだ。

「わぷっ!」

 タオルを押し付けられたモエは、そのタオルを手に取る。

「モエさん、すぐにそのタオルで顔と手を拭きなさい。床を濡らすと転倒の危険がありますから、手や顔を洗ったらすぐに水分を拭うように、分かりましたか?」

「あう、ごめんなさい」

 身を縮こまらせながら、モエはエリィの注意を聞き入れていた。そして、顔と手を拭き終わると、早速メイド服に着替えていた。

 昨日は着せてもらっていたが、今日は見守られながら自分で着替えるモエ。しかし、やはりろくな服のなかったマイコニドにとって、メイド服というのは少々ハードルが高かったようである。

 無事に着替えて朝食を済ませたモエは、この日はみっちりとエリィによる教育を受ける事となった。なにせモエはイジスの専属になる事になっているためである。

 さすがに子爵とはいえど貴族だ。その子息の専属の使用人となるのであれば、それなりの教養と所作が求められる。それとは無縁のマイコニドをそのレベルに引き上げるために、エリィは心を鬼にしてモエの教育に臨んでいた。

「本来は新人の使用人は、最初に他の使用人たちと顔合わせをするものですが、あなたには時間がありませんからね。顔合わせは夜に回して、それまで私が最低限を教えこみます。覚悟して下さい」

「ひぃぃ~!」

 あまりの厳しさに、モエからは悲鳴が漏れ出ていた。

 しかし、さすがに同じ屋敷の中なので、その様子を見に他の使用人たちが集まってきていた。

「なに、あの子」

「エリィさんに鍛えられてるなんて、見込みのある子なのかしらね」

「てかなに、あの頭……」

 子爵邸内で働くメイドたちが覗き見ながら話をしている。

「うおっほん」

「げっ、メイド長……」

 突然の咳払いに、メイドたちは固まっている。

「おさぼりとは感心しませんね。やる事はちゃんと終えたのですか?」

 メイド長がその様に問い掛けると、メイドたちは顔を真っ青にしながら走り去っていった。仕事をさぼっていたようである。

「まったく、いい加減な子たちだねぇ……」

 腰に両手を当ててため息を吐くメイド長。そして、ノックをすると部屋の中へと入っていった。

「ずいぶんと厳しくしているようですね、エリィさん」

「これはメイド長。はい、旦那様とイジス様の命令でございますので、やむなくでございます」

 声を掛けられてエリィは、メイド長に苦笑いをしながら答えていた。

「しかし、旦那様たちからお話は伺いましたが、この子がマイコニドとは、にわかに信じがたいですね」

 メイド長の言葉が耳に入ったモエは、体を強張らせていた。そして、硬い動きでゆっくりと顔をエリィたちの方に向ける。

「あなたがモエさんね。私はこのガーティス子爵邸のメイド長を務めるマーサと申します。歓迎しますよ、変わったマイコニドさん」

 にこりと微笑むメイド長ことマーサ。そのマーサと目が合ったモエは、緊張のあまり完全に硬直してしまうのだった。

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