【KAC20248】少子化対策専用バイオ端末F【めがね】

あんどこいぢ

めがね

 サヤの声に振り返ったその〝女〟の瞳には、やはり怯えが走ったように思えた。

 しかしもう、引き返すことはできない。

「……と、突然済みませんでした。あなた、野田一臣君のパートナーの、ガイノイドさんですよね?」

「エッ? ガイノイド、……さん? パートナー?」

「ええ、私その、イッ君、いえ、一臣君とサークルが一緒の安栄小夜っていって、そのサークル、文芸サークルなんですけど、彼の作品とか研究発表とか、いいなって思ってる者でして、──いえでも彼の作品第三者的には全然ダメダメで見てられないようなところがあって──」

 支離滅裂なことをいいだしたサヤに対し、先に冷静さを取り戻したのはその女性型バイオロイドのほうだった。

「まだお話が読めませんけど、ここではなんですし、そこのファミレスでお茶でもしませんか? オーダーがくるまでには、なんとか落ち着いてくださいますよね?」

「エッ、あっ、そこのミッフィーズッ?」

 サヤはいまさっき、その店を飛びだしてきたところなのだ。窓の外を通過する〝彼女の横顔〟を観て……。が、唐木田街道から当該店を折れた細い生活道路とはいえ、道の真んなかだ。それに彼の部屋に誘われるより、よほどマシだろう。

「わっ、分かりました」

 応じる声に敗北感が籠もっている。頭のなかで組み立てた会話は、まったく成り立たなかった。

(チッキショウ──。所詮ロボットだろ? なんだってあんなウサギみたいな瞳、するんだようッ……)


 少子化対策専用バイオ端末F──。


 すでに半世紀間政権の座にある与党が強行する異次元の少子化対策の実効手段だ。

〝彼女たち〟は生殖機能のノックダウンをキャンセルされたヒトクローンで、禁止されてはいるが介護用などといった名目で流通しているセクサロイドたちを越え、問題の機能に関していえば、完全にヒト女性と同じ機能を有しているガイノイドなのである。もっとも今世紀初頭以来のポリティカルコレクトネスの波を承けての政策でもあるため、同目的のアンドロイド、すなわち少子化対策専用バイオ端末Mの供与も実行されてはいるのだが、〝孕ませられる性〟と〝孕ませる性〟とでは、おのずとその受容に開きがあるのである。またいわゆる〝貞操観念〟の面からいっても、それを受容する女性たちへの風当たりは相当強い。


 とはいえ、男性だって……。


 野田一臣がそれを受け入れるという話がでたとき、サークル内の雰囲気はお世辞にも好意的とはいえない印象だった。

 何しろあれは、実質セクサロイドなのだ。

 政策の主たるターゲットは明らかに若年男性たちだというのに、四年制大学に通う層は大体反対だった。それは実に、この問題のため、半世紀振りに学生運動が活性化したほどだった。

 主体は無論女子学生たちだったが……。

 ガイノイドたちの立場に立ってその非人道性に反対する者たち──。女性性自体の対象化、物象化、また非営利部門の政府の行為ではあったがその商品化を許さない者たち──。本質的にあれが自分たちの競争相手だと感じ闘争に加わる者たち──。

 動機は様々なのになぜか統一行動が取れていた。それは学生運動の歴史だけでなく、広く社会運動の歴史に照らしてもれいを観ないものだった。


 敵の明確さゆえだろうか? 敵? 〝彼女たち〟はやはり敵なのだろうか?

 しかし少なくともそれを推進する政府は敵だ。

 富国強兵政策──。フェミニズムへのバックラッシュ──。優生思想? クローンたちに利用されるゲノムは当然遺伝病などに対するチェックを受けているから……。

 反発の理由もまた様々だったが、ある野党議員がいみじくもいったものだ。


『とにかく気持ち悪いのよ』


 ところが彼、野田一臣はそれを受け入れるというのである。


 意外なことにサークル内では、男子たちのバッシングが女子たちのそれより遥かに激しかった。

『東京に新しい部屋借りて、大画面の据え置き型PC買って、そんでプロバイダ契約してアダルトサイトに入会すっと、なんとあれより、金かかっちゃうんだってよっ。本体は完全タダだし、維持費に関しても補助金ガッポガッポでっからよッ』

『何それ、あのキモヲタが計算したの?』

『いや、ネトウヨたちがそこら中の掲示板に貼ってるネタ──。でもあいつだって似たようなモンだろッ?』


 サヤもまた彼に関するその噂によって、少なからず動揺することになったのだった。

(でも、なんで?)

 しかしそう考えてしまったことが、彼女自身、自分でも全然納得がいかない一連の行動を始める切っかけになったのだった。


『イッ君最近、サークルこないよねーっ?』

『そりゃそうだろ? 俺だったら恥ずかしくって、部屋から一歩もでらんねーよっ』

『でもなんかあいつ、本業の授業のほうの出席率、逆によくなってんだよな……』

『何それ? キモッ!』

『イッ君って確か、経済学部だったよねーっ?』


 サヤはまず、彼の授業の履修状況をあっという間に調べあげてしまった。

 一年生は必修科目が多いので、経済学部に在籍する他のサークル仲間に訊けば、半コマ以上のスケジュールが特定できた。そして一般教養科目が一科目、サヤも履修しているそれと重なっていた。哲学だ。さらに、先の訊き込みをしたサークル仲間の一人が政治学でも彼と一緒だといっていた。

 またSF研にも所属しながら実は理系が苦手だといっていた彼自身の言葉を思いだし、それなら自然科学の一般教養は人類学辺りかな? などと推測し、サヤと彼の母校、城南平成大学で三講座開講されている人類学を総当たりしようとしたところ、二講座目の教室の二列目窓際にいる彼の姿を確認した。彼女もまさか人類学という予測が当たると思っていなかったので、次は生物学? などと考えていたのだが……。理系が苦手だという人間は大抵数学で引っかかっているので、あまり数式がでてこない科目から潰していこうと思っていたのだった。


 スケジュールが特定できたら、次に彼が、部屋をでる時間の予想を立てた。午前中授業があれば、眠たいのを必死に堪え、大学へ直行といったところだろう。

 下宿先自体はサークル仲間数人でお邪魔したことがあった。


 そして……。

 当該時間に当該地区をジョギングする体で巡回し初め、彼女は自分自身の行動の異常さに気づいた。

(これじゃストーカーね、まったく……)

 だがその認識で彼女が、そうした行動をやめたわけではない。

 目立った動きを避け、彼の部屋近くにあって大学への最短経路にも接している先述のファミレスに拠点を据え、そこからの長期的観察という手段へとその行動をシフトさせたのだ。


 不思議なことに哲学の授業で、彼に声をかけることはできなかった。また彼のほうでも、サークル内の口さがない噂話について知っていたのだろう。彼女を避けているようすだった。


 できるだけ早く問題のガイノイドの姿を確認したいと思っていたのだが、彼がここを通るときは、いつも一人だった。学校前までイチャイチャしながらということはちょっと考えられなかったが、部屋に近いこの辺りまでなら、あるいは、と考えていたのだ。ところが……。


 幸いなことにゴミ置き場の監視カメラが閲覧可能になっていた。

 昭和の香りさえする町並みなのにメイド服を着た女たちが頻繁にそこを訪れる。

(男の子たちにキツいこともいうって噂だったのに、あんな服着てゴミだしも一手に引き受けるなんて……)

 やっぱあんな奴ら、信用できないなと、妙な納得感を覚えた。


 さらにそのゴミ置き場で彼の姿を数回確認した。そして、それはそれで不満の種になった。

(あーあッ、尻に敷かれちゃってらッ)

 やがて彼が現われない朝にかぎって現われる、トップスは大抵白いTシャツで、ボトムスはGパンかスラックスの女が特定できた。

 それがつまり、冒頭で声をかけた彼女だった。


 チラリとも視線を動かさない双眸はやはりロボット的だと思える。


 その視線に耐えかね、サヤのほうが口を開いた。

「あの、あなたのこと、一体なんてお呼びしたら……」

「彼にはモトコって呼ばれてるんですけど、なんなら製造番号か何か、お教えしましょうか?」

 オーダーは先ほど、映画『禁断の惑星』登場のロビー型ロボットが取っていった。それはブリキのオモチャのようなと形容される、とはいえサヤがいま対峙している相手よりはよほど温かみが感じられるロボットだった。

 ちなみに〝彼女〟も、ホットコーヒーをオーダーした。


「あの、それじゃ私も、モトコさんって……」

「そうですか? この名前、彼の元カノの名前だったりしたらマズいなって思ってるんですけど、そういうひと、心当たりありませんか?」

「いえ、少なくとも、私たちのサークルのなかには……」

「そうですか──。で? あなたは?」


 ロボットの視線とはこうも攻撃的ものだっただろうか? ロボット工学三原則第一条、第二条があるはずなのに……。

 だがその眼尻がフッとさがった。そして……。


「ひょっとしてこう考えてよろしいのでしょうか? あなた自身が彼のパートナーの立場にエントリーしたい、と──。それで私のようなロボットには身を引いて欲しい、と──」

「いやそうじゃなくてあなたたち、ヒトの男の子と女の子とがおつき合いできるような間接的プログラムってのも実装してるんでしょ? だったらっ──」

「はあああッ?」


 一瞬彼女、モトコさんはフリーズしたような感じになった。最初に声をかけたときのように瞳を見開き、次いでパチパチ瞬きして……。最後に何かが、切り替わったような感じになる。


「フッ、あなたはなかなかクレヴァーな方ですね。ヒトの女性たちの多くは、私たちのこと、毛嫌いしていますよ。フェムボットとかなんとかいって……。受け入れ者様たちとのあいだを取り持たせることができるだろうか? なんて理由で私たちに接触してきた第三者様は、私単体の記憶のなかでヒットしなかったのは勿論のこと、共有データベースのなかにも見いだすことができませんでした」

「でもいま一瞬、怒ったよね?」

「いいえ。ただ前例のない提案でしたので、回答を生成するのにちょっと時間がかかってしまいました。申しわけありません。確かに私たち、ヒトクローンベースのロボットですが、三原則のチップ抜きでも脳内報酬系自体に調整が入っていますから、恋なんてしませんし、従がって嫉妬なんかもしません」

「ふーん」


 結果その後十数分ほど、女子会のような会話が続いている。少なくとも表面的には……。彼女の言葉使いも急速にフレンドリーなものにシフトしていっている。


「本当に応援してます! サヤさん! なんならその証拠、提示しましょうか? あなた、コンタクト型のウェアラブル端末、現在進行形で使用中ですよね? レーシック手術なんかもホントにお手軽になってるっていうのに、視力矯正込みのやつを──。でも彼、メガネっ娘が好きなんですよ。本来なら守秘義務扱いになる情報の、特別放出ですよ。信じてください! 私あなたがこの窓から、私たちのことウォッチしてるの知ってたんですよ。そういうことするのにも多くの機能を搭載しやすい大きなメガネ型端末のほうが、絶対お得ですよ!」

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