【KAC20248】メガネなしには読めない物語

金燈スピカ

メガネなしには読めない物語

 そのメガネは、カバーもなく日焼けした文庫本と一緒に、がらくた市の台に乗せられていた。


 夏の暑さの余韻がようやく消えたと思える十一月。駅から歩いて十分もしない、境内が広めの神社。普段は犬の散歩をしている人がちらほらといる程度だが、月に一度のがらくた市の日は、どこから湧いてきたと思うほど人が集まる。境内には小さな店がぎゅうぎゅうに並び、昔の着物だとか食器だとかがびっしりと並べられている。そんな賑わいの端っこのほう、日焼けした肌にごましおのような無精ひげの爺さんが店番をしている店があった。置いてあるのはレトロ昭和な日用品といったところか。古銭やら、人形やら、レコードやら、ブリキのおもちゃやら、ボロボロなのか懐かしいのか見分けがつかないものを眺めていて、そのメガネと文庫本が目についた。


「…………」


 俺はなんとなく気になって足を止める。外回りの日とがらくた市の日が被ると、昼休みにちょっと覗いてみるのが定番だった。プラスチックの黒いフレームのメガネは文庫本の上に置かれていて、その下の文庫本のタイトルが見えない。似たような古本を別の店でも見かけて、それは何十冊とケースの中に並べられていたが、ここはメガネの下の一冊きりだ。本なんて読まないのに、本のタイトルがどうしても気になって、メガネを持ち上げる。すると、置物のようにじっとしていた爺さんが、ぱっとこちらを向いた。


「ああ、それはねえ、本とメガネでセットだから」

「ああ、はい」


 俺は適当に返事をして、メガネを脇にどけると、その本を手に取った。何の変哲もない文庫本。草の模様がぐるりと取り囲む表紙に描かれていたタイトルは「メガネなしには読めない物語」。なんだそりゃ。俺は本をぱらぱらとめくってみる。


 中には、何も書かれていなかった。


「あれ?」


 俺は思わず表紙を見る。ちゃんとふざけたタイトルが印刷されている。著者名は……ない。よく見ると、出版社名もないし、背表紙に至っては何も書かれていない。もう一度本を開いても、黄色い紙がぱらぱらと流れていくだけだ。


「にいちゃん、メガネかけて」


 爺さんが笑いながら言う。そもそも古道具屋でメガネ売ってるってどういう状況なんだ? ものすごく小さい字で印刷してあって、メガネをかけると読めるようになるってことか? それなら俺は今コンタクトレンズをつけて、しっかり両目とも1.2はある筈だ。こんな、おもちゃみたいなメガネをかけないと文字が読めないとは思えない。


「ほれ、メガネ」

「…………」


 催促する爺さんに負けて、俺はメガネをかけてみた。メガネ越しに爺さんを見ても何も変わらない。持ったままの文庫本を見てみるが、何も変わらない。唇を歪めながら本を開いて、パラパラとめくってみる。


「えっ」


 めくれる先で、文字の海が流れていくのが見えた。上の方にぎっしり、下の方は時々余白があって。黒くて少し掠れた、昔の本によくある書体とインク。まるで初めからそうだったと言わんばかりに、ごくごく当たり前に、そこに文字が並んでいた。


「えっ?」


 俺は本の表紙を見る。変わらない草の模様と「メガネなしには読めない物語」の文字。けれどうっすらと著者名と出版社名が印刷されているのが見える。さっきはなかったよな? 間違いない、なかった筈だ。俺はメガネをずらして文庫本を見てみた。表紙から著者名と出版社名が消えた。中身も消えて、もとの黄色い紙に戻った。本をじっと見たまま、そっとメガネを元に戻す──途中で、視界が半々になるように持つと、メガネの中は文字があり、メガネの外は文字がない。完全にメガネをかけると、やっぱり当たり前のようにそこに文字が並んでいた。


「じいさん、何これ」


 俺はメガネをかけたまま顔を上げると、さっきまでそこにいた爺さんは忽然と消えていた。


「え?」


 俺はメガネをかけたまま手の中の本を見る。文字は変わらず、当たり前にそこにある。目次を見て、最初の一ページを見て、ちょっと、面白そうだなと思う。爺さんどこに行ったんだ? これ持ってっていいのかな? 五百円くらい置いとけば足りるかな……。




 ……気が付くと俺は爺さんが使っていた椅子に座っていた。がらくた市は月に一度のはずなのに毎日開催されている。腹は空かないしトイレにも行かず眠くもならず、ただただ毎日がらくた市の客を眺める。大抵はこんなチンケな店の前までやってこなくて、来たとしても横目にちらりと見るだけだ。だが時々、俺みたいに暇を持て余していそうな奴が、ふらりとここまでやってくる。つまらなそうに品物を眺め、文庫本とメガネを眺め──ああ、また行ってしまった。手に取ってもらいたいのに。何がいけないんだろう。俺はあの時、どうしてこの本を手に取ってしまったんだ?


「…………」


 そうか。そういうことか。


 俺はメガネを手に取ると、文庫本の上にそっと置き直した。






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