メガネと幼馴染と厨二病

夜桜くらは

メガネと幼馴染と厨二病

 高橋たかはし蒼影そうえいは、とある病にかかっている。


 それは彼の言動を見れば分かることだ。彼は常に周囲を警戒しており、まるで何かから身を潜めているかのように、いつも一人で行動している。

 そして、自らを『ハイブリッジ蒼影ソウエイ』と名乗り、意味深な言動で周囲を困惑におとしいれては、勝手にえつひたる。……勘のいい人なら、もうこの段階で気付いているだろう。

 そう。彼の言動は『厨二病ちゅうにびょう』と呼ばれるものに酷似しているのだ。


 厨二病とは、中学二年生頃から高校生頃にかけて発症しやすいとされている思春期特有の心の病である。

 俗に『痛い』『恥ずかしい』と言われる言動が多く、同年代の仲間から敬遠される傾向がある。が、それは成長期における一過性のものであり、時間が経てば自然と治癒される。……大抵の場合は。

 しかし、高橋蒼影の症状は、とある理由により完治不能となっているようだ。……どういうことかって? それでは、彼の一日を一緒に追体験してもらおう。



 朝。高橋蒼影は──いや、ハイブリッジ蒼影は、起床してすぐに鏡の前へと立つ。


「今日も完璧だ。だが、まだ完璧ではない。何故なら俺の封印されし左目レフトアイの眼帯は、今日より覚醒の時を迎えるからだ」


 そう言って彼は眼帯を外し、その隠された左目を露わにする。


「ククッ、この力を解放する時が来たか」


 ハイブリッジ蒼影は不敵に笑いつつそう呟き、そして──


「フハハハハハッ!」


 と高笑いした。この一連の流れ、完全に厨二病である。

 そして隣の部屋にいる彼の妹から「うるさい」と苦情が寄せられるまで、ハイブリッジ蒼影の高笑いは続くのであった。



 そして、登校時。ハイブリッジ蒼影は独りで通学路を歩んでいた。


「フッ、我が闇の力を恐れ、誰も近づいてこないな」


 ハイブリッジ蒼影は不敵な笑みを浮かべ、そう呟く。……いや、事実そうなのだが。

 ハイブリッジ蒼影……いやもう面倒だから蒼影でいいか。蒼影は、基本的に一人で学校生活を送っている。それは彼の抱える厨二病故だ。


「フッ、この俺に友人など不要。俺は孤高を貫くのだ。誰にもこの領域には踏み込ません」


 蒼影は一人でそんなことを呟いていた。だが、心なしかその表情には寂しさがうかがえる。……そう、蒼影は意外と人恋しいのだ。

 しかし彼は厨二病だ。故に、孤高を貫かねばならないと強く思い込んでいる。ゆえに孤独を選ぶのだ。


 そして学校へ到着した蒼影は、教室の扉を開ける。


「おはよう我が同士達よ」


 キメ顔で挨拶をかました蒼影。……しかし。


「お、おはよう」

「あ、うん、おはよう……」

「お、おう……」


 蒼影の挨拶にクラスメイト達は戸惑いながら返事を返すが……やはりどこかよそよそしい。それはそうだ、彼らは蒼影の言動に引いているのだから。だが蒼影はそのことに気付いていない。いや、気付いてはいるが気にしていないのだ。彼は厨二病ゆえ、自分の世界に浸っているのである。


「そーくん、おはよー」


 そんな中、蒼影に声をかける者がいた。小川おがわ由芽ゆめである。彼女は蒼影とは幼馴染であり、誰よりも彼のことを理解してくれている。


「……む、由芽か。俺を呼ぶなら『ハイブリッジ蒼影』だといつも言っているだろう」

「えー? いーじゃんそーくんで」

「そういう問題ではない。いいか、由芽。この俺を他の者と同じように呼ぶのは──」

「いーからいーから。それよりさ、目のそれ。物もらい治ったんだね」


 由芽は蒼影の言葉をさえぎって、彼の左目について触れた。


「……フッ、昨日まで封印されていた闇の力が覚醒したのだ」

「あ、やっぱそーなんだ。治ったなら良かったね」

「ああ。だが、まだ完全ではない。この封印されし左目は、いつの日か解かれ覚醒の時を迎えるであろう」

「そっか。まだちゃんと治ったわけじゃないんだね。ところでそーくん、今日の放課後空いてる?」

「フッ、俺を誘っているのか? いいだろう。貴様の誘いに乗ってやる」


 蒼影は不敵な笑みを浮かべながらそう告げるが……由芽は蒼影の言葉を無視して話を進める。


「お母さんがね、そーくんの好きな桃のタルト作ったから持ってけーって」

「なにっ!? ま、まぁいいだろう。その誘いに乗ってやる」


 蒼影はガタッと立ち上がり、一瞬嬉しさを顔に出しながらもすぐに冷静さを取り戻し、由芽の誘いに承諾した。厨二病のくせして好物がタルトである。……まぁそれはいいとして、とにかく由芽は蒼影の扱いが上手いのだ。


「あ、そろそろチャイム鳴るね。じゃあそーくん、今日はタルトを楽しみに頑張ろーってことで!」

「ああ。そうさせてもらおう」


 そうして、由芽は鞄から教科書やノートを取り出し始め、蒼影もそれに続いた。彼はペンケースを取り出しつつ、タルトに想いをせる。


「フッ、これも俺の封印されし力が覚醒した影響か。甘き幸運が舞い降りてきたものだ」



 そして授業が始まった。蒼影の席は窓際の最後列、その右隣が由芽の席である。蒼影は授業中、たいてい窓の外を眺めている。……だが、今日は違った。


(む……見えん。もしやこれは俺に課せられし試練なのか……?)


 蒼影は黒板をにらみ付けるかのように凝視する。だが、その視界はまるでもやでもかかっているかのように不明瞭だ。


「フッ、だが俺は屈しない。この程度の障害……乗り越えてみせよう」


 そう呟き、蒼影は黒板とのにらめっこを開始した。しかしやはり視界がぼやけていて見えないようだ。彼は悪戦苦闘していた。

 そんな時──


「そーくん、黒板見えてないでしょ?」


 由芽が小声でそんなことを言ってきた。どうやら彼女もそれに気付いたらしい。


「……ッ! 何のことだ? 俺はこの程度の障害に屈したりは……」

「ノート見せてあげるから机くっつけて。見えづらいんでしょ?」

「……すまん」


 蒼影は素直にお礼を言って机を近づける。由芽はそれを横目で確認しながら、ノートに黒板の板書を写していく。


「……恩に着る」

「いーって、これくらい」


 そして蒼影と由芽は授業が終わるまで、机をくっつけたままだった。



 それからも蒼影は、授業の合間合間に由芽からノートを借り、どうにか授業を乗り越えていた。だが、それではどうにもならない授業もあった。……体育である。

 今日の体育は、テニスだった。男女混合のダブルスで試合をすることになる。


「そーくん、一緒に組もー」

「フッ……いいだろう」


 由芽はいつものように蒼影を誘い、蒼影もそれに応じる。


「あ、そーくん左利きだからそっちね」

「わかっている。神の左腕レフトアームを持つこの俺の力、とくと見せてやろう」


 蒼影は自信満々にそう言ってラケットを構えた。

 ……神の左腕云々うんぬんの下りは意味不明だが、とにかく彼はやる気満々だった。やる気だけは、あるのだ。


 そして試合が始まったのだが、やはり蒼影の視界はぼやけたままだ。とてもテニスどころではない。

 上手くラケットで受けたところで、ボールは明後日の方向へ。ボレーしようものなら空振りが当たり前である。また、相手のボールを腕や体で受け止めてしまうことも度々あった。盛大にすっ転ぶことも多々あった。


「フッ、この程度の障害……今の俺には全て無力ッ!」


 そんな蒼影は、しかしそれでもめげずに戦い続けた。そして──結果は散々だった。


「フッ、この俺の力を以てしても……やはり見える者と見えぬ者との間には越えられぬ壁が存在するということか……」


 蒼影は、悔しそうな素振りなど一切見せずにそんなことを言っていた。


「そーくんやっぱ無理だったね」

「フッ……やはりそうか」


 由芽のそんな発言にも、蒼影は平然と返す。


「でもそーくん、腕とか顔に当たっても痛くないの?」

「……無論だ。……我が身すらもあざむけるとは……俺は自分が恐ろしい」

「ねぇそれ絶対痛いんじゃん」

「クッ……右腕ライトアームうずく……ッ!!」

「やっぱ怪我してんじゃん! もー、保健室行くよ!」


 由芽はそう言って蒼影の服のすそを掴み、引っ張っていく。そして二人は教師に事情を話し、そのまま保健室へ向かった。



 二人が保健室に到着した時、養護教諭はちょうど留守だった。


「先生いないねー」

「構わん。待てばよかろう」


 蒼影は椅子に座って養護教諭を待つつもりのようだが、由芽は構わず勝手に棚から薬やら包帯やらを取り出す。そして、蒼影に向き直った。


「じゃあそーくん、右腕見せて? 消毒するから」

「フッ、構わん。この程度の傷など……」

「早く!」

「う、うむ」


 由芽の勢いに押され、蒼影は袖をまくって右腕を見せる。由芽はそこに消毒液をかけ、脱脂綿で傷口の周りを拭く。


「少し染みるよ?」

「問題ない」


 蒼影の返事を聞き、由芽は脱脂綿で傷を拭う。すると、蒼影がわずかに顔を歪めた。……やはり痛いらしい。しかし彼はそれを表に出すまいとしている。厨二病故だ。


「他は……あ! おでこ赤くなってるじゃん!」


 由芽が蒼影の顔を覗き込みながらそんなことを言ってきた。どうやら額にボールが当たっていたようだ。


「……ッ!?」

「わー痛そう……」

「ッ……ゆ、由芽……」

「ちょっと待ってて! 冷やすもの取ってくるから」


 由芽はそう言って、蒼影から視線を逸らす。そして、蒼影は──


「……クッ」


 突然胸を押さえ、小さく呻き声を漏らした。彼の耳は……真っ赤だった。

 由芽が至近距離で蒼影と目を合わせた途端、彼の厨二病モードは解除されてしまったのだ。……そう、彼は別の病を患っていた。そのため、彼は幼馴染の由芽と目を合わせられないのだ。


「ぐぉぉぉ……ッ」


 そんな声を漏らしつつ悶える蒼影を余所に、由芽は冷凍庫の中から氷を取り出し、それを袋に詰めて戻ってくる。そして、その袋を蒼影の赤くなった額に当ててきた。


「……ッ! ……ハッ!?」

「これでちょっとは冷やせるかな。痛くない?」

「だ、大丈夫だ……」


 由芽は蒼影を心配するようにそう尋ねるが、蒼影はまともに返事ができないでいる。そんな蒼影の様子を見て、由芽は首を傾げていた。


「そーくんどうしたの?」

「なッ……べ、別に何でもないっ!」


 蒼影は慌てて平静を装いながらそう返す。……しかし、その頬は僅かに赤らんでいたのだった。



 放課後。帰る準備をする蒼影に、由芽が声をかけてきた。


「そーくん、ちょっといい?」

「む? タルトの約束だろう? 甘美なる桃色の果実が俺を待っている」

「いや、そうなんだけどさ……。他に寄りたいところがあって、付き合って欲しいなーって」

「他? この俺にか?」

「うん。むしろそーくんと一緒に行きたくて」

「フッ、いいだろう。で、どこへ向かうのだ?」


 蒼影の問いを受け、由芽はにっと口角を上げる。


「メガネ屋さん! そーくん、やっぱ目悪くなってると思うからさ、視力検査してもらいに行こ?」

「なッ!? よ、寄る必要はない。この俺のアイズは全てを見通している!」

「いーじゃん行こ? ほら、メガネは見るだけでも楽しいし! 買うのは今度でもいーからさ」

「……む」


 そう言われ、蒼影は考え込んだ。……確かにメガネをかけるのもいいかもしれない、と。それに、由芽が一緒に選んでくれるなんて、こんなに嬉しいことはない。……と、蒼影は素直に思ったのだ。


「……わかった、いいだろう」


 蒼影の返事を聞き、由芽は嬉しそうに笑みを浮かべる。蒼影もまた、彼女から目を逸らしつつ頬を緩ませていた。……だが、次の由芽の一言で、彼はすぐに顔を引きつらせることになる。


「やった! これでそーくんも、あたしのことちゃんと見てくれるようになるね!」

「……ッ!?」

「そーくん、最近目合わせてくれないからさー、ちょっと寂しいなって思ってたんだ。だからメガネ買ったら、ちゃんとあたしを見てね?」

「むッ!?」


 そんな約束を取り付けられた蒼影は、完全に動揺していた。由芽の願いは叶えてやりたいが、いささか難易度が高すぎる。……蒼影の病は、重症だった。


「あ! もうこんな時間じゃん! 早く行こ!」


 由芽はそう言って、鞄を持ってさっさと教室を出ていく。そんな彼女を見て、蒼影は慌てて彼女の後を追いかけた。


「おい待てッ! ……その、ちゃんと見るからっ。だから急ぐな」


 そんな蒼影の呟きは、彼女に届いているのかいないのか。それは当人にもわからないことだった。

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