イケボミュージシャンの彼女に耳をやられて大変なことになる話
霜月このは
イケボミュージシャンの彼女に耳をやられて大変なことになる話
暗闇の中で弾む吐息と、衣擦れの音。小さな悲鳴が漏れて、わたしは弛緩する。
ああ、もうこれで、何度目だろう。
夜毎に繰り返す妄想。もし現実だったらって思うと、それだけで身体が火照ってしまって。最近のわたしはなんだかおかしい。
……それもこれも、ぜんぶ、悠さんがいい声過ぎるせいだ。
*
去年の3月。夜の公園で口づけられたのをきっかけに、わたしと
悠さんのギターと歌声に一瞬で夢中になってしまったわたしがライブに通い詰めるうちに、いつのまにか悠さんと直接連絡を取ったり2人で会うようになったのだった。
お付き合いをするようになってからも、わたしは悠さんのライブにはよく出かけて行った。飲食店勤務のわたしと、昼間会社員をしている悠さんとは、お休みの時間が合わないことも多いけど、わたしにとって悠さんの音楽を聴いている時間は何よりの至福の時だから。
だからこうして今日も、悠さんのライブイベントのために、はるばるいつものライブバーに来たというわけだった。
今日の悠さんはいつものバンドではなくて、ひとりで弾き語りをする回で。お店に響きわたる悠さんの歌声に、わたしの心臓は性懲りもなく高鳴ってしまう。
わたしは悠さんの恋人であると同時に悠さんのファンだから、もうそれは仕方ないのだ。
オープンマイクの時間には他のお客さんと一緒に演奏したりしていて、でもわたしは楽器もできないし、歌だって初心者のそれだから、人前で演奏するなんてとてもとてもできない。そう思っていたのだけど。
「
ふいに悠さんに呼ばれて。
「何か歌ってみない?」
そんなことを言われる。
「え、でも、わたしは……」
突然のお誘いにびっくりしてしまうのだけど、以前河川敷で一緒にうたったときのことを思い出して、楽しそうだなあ、なんて思う心もあった。
「いいじゃん、今日は常連さんばっかりだし」
確かにお店にいるのは、ほとんど顔見知りのおじさんたちばかりだ。温かい雰囲気とほろ酔いの気分に乗せられて、わたしは勢いでみんなの前に出ることになってしまった。
何を歌うか迷って、結局、わたしの好きな有名アーティストの曲を選んだ。悠さんがイントロを弾き出す。ドキドキしながら、わたしは歌い始める。
それは夢のような時間だった。悠さんのギターの美しい音色にのせて、わたしが歌う。河川敷のときとは違って、今日はマイクも使っているし、目の前にはお客さんがいて。言いようのない高揚感と、緊張で足が震えてしまう。
歌いながら不安になって悠さんのほうを見ると、悠さんは『大丈夫だよ』と言うようににっこり笑ってくれた。その優しい笑顔に、ほっとするというよりは、クラクラしてしまいそうになる。
ああ、やっぱりわたしは悠さんに夢中なんだ。なんだか恥ずかしい。
一生懸命歌っているうちに曲が終わって、わたしは、ふう、と息を吐く。お客さんたちはみんな温かい拍手を送ってくれる。初めてだったけど、緊張もしたけれど、人前で歌うのがこんなに気持ちいいなんて、知らなかった。
オープンマイクの時間が終わって、他のお客さんと話していた悠さんは、しばらくしてわたしのほうに来てくれた。
「お疲れさま。春香、よかったよ」
悠さんはそう言って笑う。お世辞とかじゃなくて、これは本当に嬉しそうにしているときの目。一応、彼女なわけで、それくらいはわかるのだ。……だけどもう、こんなの反則だ。
お疲れ様ということで、マスターにグラスをもらって、悠さんがボトルキープしているウイスキーをちょっとだけ分けてもらう。ジャックダニエル?とかいうやつで、わたしにはウイスキーの味はよくわからないけど、悠さんと一緒のお酒を飲めるのってなんだか嬉しい。
けど、ロックで飲むのにチャレンジしてみたら、すぐにふわふわとしてきてしまった。
そして、そうこうするうちに時刻はもう0時近くて。まもなくお店の閉店時間だった。
「春香、明日は休みだったよね」
「あ、うん。お休みだけど……」
「じゃあ、今からカラオケ行かない? 朝まで」
悠さんは、そんなお誘いをしてくる。カラオケなんて珍しい。
戸惑っていると、悠さんはわたしの耳元でこっそり囁いた。
「春香の声、もっと聴きたい。……聴かせて?」
もう、本当にずるい。そんなことを言われれば、素直に付いていくしか、なくなっちゃうじゃないか。
近くの24時間スーパーで、ちょっと飲み物と食べ物を買って、カラオケボックスに入る。ライブ帰りに悠さんの他の友達と一緒に来たことはあるけど、実は2人きりでカラオケに来るのは初めてだ。
「さて、適当に歌おうかな」
デンモクとにらめっこして悩んでいるわたしに気を遣ってか、悠さんは先に曲を入れて歌い始める。
悠さんの声、いつもライブで聴いているけど、悠さんの曲じゃなくて他のアーティストの曲を歌っているのは、なんだか新鮮だ。
ツヤツヤした中音域も、ファルセットの高音域も美しいけど、なによりわたしが好きなのは、悠さんの低音。
ささやくようなその低音ボイスを聴いていると、何やら胸の奥にモヤモヤとしたものが渦巻いてくる。ドキドキして、何も考えられなくなる。
わたしが歌うときにもさりげなく隣でハモリを入れてきたりして、それはそれは気持ちがいいんだけど、それ以上に、なんだろう。
「春香、大丈夫? 眠い?」
わたしがとろんとしてしまっているので、悠さんはそう勘違いしたみたいだったから。
「悠さんの低音……ずるいんですよ」
わたしは頭を抱えて、うめき声を上げる。
「ええ? 今更?」
悠さんは笑う。
「でも……嬉しい」
すぐ隣に近づいて、耳元でわざわざ、いい声で囁いてくる。
ぞわぞわして、どうにかなりそう。もう、ダメ。
「あ、あの……わたし、お手洗いに行ってきます!」
わたしはそう言って、部屋の外に出た。
お手洗いで、ショーツを脱ぐ。……ああ、やっぱり、予想はしていたけど。
そこはしっかりと、湿り気を帯びていて。
……もう、なにこれ。
胸がドキドキして、身体が熱っぽくて。そこに、触りたくなってくる。
いや、こんなところで、ダメ、って思うんだけど。
指でそうっと敏感なところをなぞってしまえば、ん、と小さく息が漏れる。
ぬるぬるとしたそこを、もっと刺激したくなって。
でも、そこで。コンコン、と扉をノックされる。
「春香。……大丈夫?」
悠さんだった。それで仕方なく、わたしは個室から出る。身体は当然、まだモヤモヤしたままで。
カラオケの部屋に戻るなり、わたしは悠さんの胸に顔をうずめる。恥ずかしくて、でも、もうダメ。悠さんに触れたくて仕方なかった。
わたしはもう、どうしちゃったんだろう。
「……春香?」
悠さんは、気づいているのだろうか、それとも、何もわかっていないのか。
またわたしの耳元で、いい声を出してくる。
「……悠さんの、バカ」
やっとのことで、わたしは声を絞り出す。
息が荒くなっているのが、自分でもわかる。
「悠さんのせいで……濡れちゃったじゃ、ないですか」
ものすごく恥ずかしいけど、でも、もう、限界で。
悠さんに触れてほしくて、仕方なくて。
「……!?」
悠さんは、やっぱりわかっていないようで、すごくびっくりしたようだったけど、その次の瞬間、わたしの目を見つめて言った。
「じゃあ、仕方ないね。……行こうか」
どこに、なんて野暮なことは言わなかった。
もう終電もなかったし、こうなってしまったわたしを連れていく場所なんて、きっと。
午前2時、なんて半端な時間に、わたしたちはカラオケボックスを後にしたのだった。
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(※カクヨム(R-15)版はここまでです、続きが気になる方は別サイト探してみてください♪)
イケボミュージシャンの彼女に耳をやられて大変なことになる話 霜月このは @konoha_nov
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