第52話 命の決断

 血まみれの少女。その光景が、私の脳みそを強く揺さぶるような錯覚を覚える。直視することを憚られる凄惨な現実。だが立ちすくんでいるわけにはいかない。私は医者なのだから。


 ヒナコちゃんは倒れたまま動かない。この暗さでは、息があるかどうかも分からない。彼女の傍らには先ほどまで私たちを捕まえていた異常再生症の男が立っている。


「離れろ!ヒナコちゃんに何をした!!」


 私は反射的に、この男がヒナコちゃんを傷つけたと断定し、ニードルガンを取り出して構え、そしてすぐさま発射する。男に治療の意志を確認するような余裕は、今の私には無かった。


 バシュ!バシュ!!!


 どちらにせよあの男も治療して無力化する必要があるのだ。いや、とにかく今はヒナコちゃんの安全が最優先だ。瞬間的に雑多な思考が脳内を駆け巡る。混乱している。そんな場合じゃない。


「チッ!!」


 男は私がニードルガンを撃つと同時にその場所を跳び退き、針は廃病院の壁に当たり乾いた音を立てた。


「クソ・・・!そのガキが無駄に騒ぐから面倒な事に・・・!」


 男は私の問いに答えた・・・という訳ではないようだが、一人ごちるように苦々し気にそう吐き捨てた。その言葉だけでこの男の人となりが察せられる。私は怒りを覚えたが、とにかくヒナコちゃん安全が第一だ。


 バシュバシュ!!


 再びニードルガンを撃ち放つ。だが、今度は男はその腕を一振りするだけでその針を防いでしまった。


「だが、お前は銀のアピリスか・・・一人だけなら、どうとでもなるか・・・!?」

「っ・・・!!」


 男が臨戦態勢をとる。確かに、この男相手に私一人では・・・。


 だがその時、部屋の扉が勢いよく開かれ、赤い影が乱入する。


「アピリス先生!・・・・トカゲ男も!!!」

「メアリさん!!」


 来てくれたんだ、私たちを追って!


「メアリさん!ヒナコちゃんが!傷を!!その男が邪魔で治療ができない!!」

「!!」


 私がそう告げると、メアリさんはヒナコちゃんの姿を見つけ、そしてみるみるとその表情を激化させた。


「貴様ぁ!!!」


 メアリさんはその刀を振り上げ男に迫る。男はそれを見て一転、踵を翻して部屋の奥の扉から姿を消した。メアリさんもそれを追ってゆく。


 取り合えずあの男の事はメアリさんに任せよう。私はヒナコちゃんの傍に駆け寄る。


 明かりのない中で診察はかなり難しが、手持ちの診察用ペンライトを頼りに何とかする。胸の付近を鋭利な細い何かで一突きされたようだ。恐らくあの男の爪・・・もしくはシッポの先かも知れない。脈と呼吸はかろうじて確認できた。だが全く安心することは出来ない。出血はひどく、意識はないし、体温は急激に低下している。このままではすぐに心肺も停止するだろう。一刻も早くこんな場所ではなく、ちゃんとした治療が出来るところに連れて行かなければ。だが、この状態で動かす事も危険だ。それに・・・今の状態からだと、運ぼうと動かしたらすぐに心肺停止してしまう確率が高い。それほどに状態は悪い。心肺停止してから3分経った場合、救命確率は75%と言われる。これが5分経つと25%にもなる。


 心肺停止させること無く、何とか治療できないか。最低限、今この場所と私の治療道具で出来ることをしながら頭を働かせる。止血をして気道の確保。心臓マッサージは、傷が近すぎて逆に危険だ。今この場でこれ以上出来ることは、残念ながら見つからない。


 やはり危険を承知で人がいる病棟に連れいていくべき?だけど、助からない事が分かっていながら無理に連れて行っても・・・。


 どうしよう。ヒナコちゃんを助ける方法が思いつかない。このままでは、この小さな子供の命は失われてしまう。・・・私のお母さんのように・・・。


 ヒナコちゃんを助けるためには・・・。


 私は医療道具が入ったバッグに手を添える。そこには、部族の蘇生術のために使う薬や道具が入っている。決して使うべきではない技術だ。深刻な副作用があることが分かっているのにやってはいけない。だけど、私はなぜか、これまでもずっと、どうしてもこの道具を手放せなかった。以前、ジョージを治療した時もそうだった。


 あの時と同じだ。


 ヒナコちゃんを助けるためには、彼女に蘇生術を施すしかないのか。異常再生症になる事を承知で・・・。

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