第46話 医者の不養生

 俺は財前マシロ、天才外科医と呼ばれている。そんな俺の目の前には、病院のベンチに倒れこむ銀髪、褐色の肌の少女。人命救助は医者の責務だ。すぐに症状の確認を開始する。


 少し顔色が悪いな・・・。俺は様々な人種の患者を診たことがあるので、肌の色に関わらず判断ができる。呼吸に異常はない。体を揺らさないようにそっと肌に触れる。体温も低めのようだ。


「ねえねえ、そんなのんびりしてていいの!?すぐに病室に連れて行った方がいいんじゃない!?」


 すぐそばで見ていた、俺をここに連れてきたもう一人の少女、こちらは小学生定位学年ほどの幼さだ、が、じれったそうにそう言ってくる。子供らしい無遠慮さで、大人の医者に対してタメ口である。


「何言ってるんだ。もし脳梗塞とかなら、絶対に安易に動かしたらダメなんだ。まずは状態を見極めないと」

「う・・・ううん・・・」


 そうこう言ってると、倒れていた少女が反応を示した。


「・・・ハッ!ここは?私は!?」

「あ、起きたよ!」

「おい、意識ははっきりしてるか?名前は?」

「あ、アピリスです・・・?え、私、気を失ってた・・・!?」


 アピリスというのか。以前聞いていた噂の通りだ。


「おねえちゃん!よかった!急に倒れちゃったから心配したんだよ!このお医者さんが助けてくれたの!」

「助けていない。まだ何もしていない。勝手に起きただけだ」

「す、すいません。最近疲れてたから・・・もう大丈夫ですから・・・」

「おい、まだ動くな。まだ診察中だから、ちょっと待ってろ」

「いえ、疲れと寝不足でちょっと気を失ってただけで、どこも悪くありませんから」


 そう言って立ち上がろうとするアピリスという女。その言葉に俺は・・・カチンときた。


「おい、素人が勝手に自分の症状を診察するな。ちゃんと医者の診察を黙って待ってろ」

「え、いや、本当に大丈夫ですよ。自分の体の事は自分が一番分かっていますから・・・」


 これだ・・・。こういう事を言う患者は本当に多い。俺は短くため息をつく。


「あのな、何で素人のくせに医者より詳しいなんて自信を持てるんだ?自分の体だからって何でも分かるなら、医者なんて必要なくなるだろ」

「・・・素人?」


 なぜか、アピリスという女は、俺の言葉にすこし不機嫌そうな反応を示した。


「そんな、重大な疾患があるような症状は出てないでしょう?心拍数、呼吸、体温、どれも目立った異常はなく、吐き気や眩暈もない。手足のしびれも無いし活舌もハッキリしてる。大丈夫です。私は忙しいんです。やらなきゃいけないことがあるので、失礼します」

「そんな症状は少し見ただけですぐに分かってる。それでももうちょっと調べた方がいいと言ってるんだ。まったく、テレビかネットで知識を得たのか知らないが、そんなもんで医者より偉くなったつもりになるんだからな」

「何ですって!?私はこう見えて医者・・・・!」


 そこまで行って、アピリスという女はしまった!という顔をした?なんだか知らないが、医者?まだ学生くらいの歳に見えるが?


「医者って?」

「医者・・・の勉強をしているんです・・・!」

「なんだ、医学生か?それならなおの事、先輩の言う事くらい素直に聞くんだな」


 俺の言葉に気勢を削がれたのか、アピリスという女は悔しそうな顔をしながらも、それ以上は反論してこなくなった。


 やれやれ、現役の医者に意見してくるなんて、最近の医学生は強気なものだ。


「安心しろ。俺の診察は完璧だ」


 ◆


 アピリス先生が入院した。その知らせを聞いたわたし、村井ニニカは急いで九定きゅうてい大学病院に向かった。凄く大きい病院なので、結構迷ってしまった。なんとかして病室にたどり着くと、アピリス先生はベッドに上半身を起こして座っていた。服装は入院着に着替えていて、腕には点滴の針が刺さっている。


「それで結局『過労と寝不足』だったのよ!!」


 アピリス先生はぷりぷり怒っている。


「何が『俺の診察は完璧だ』よ!最初から私が言ってた通りじゃない!」


 本当にぷりぷりという感じだ。アピリス先生がこういう・・・可愛い怒り方をするのは珍しい。ジョージさん相手くらいだろう。


「それで、過労と寝不足ならなんで入院することになったんですか?」

「『念のためもう少し検査するから今日は入院しとけ』だって!過労と寝不足なんて家で寝とけば治るのに!自分で偉そうなこと言ったから引っ込みつかなくなったのよ、きっと!」

「もう、おねえちゃんずっとそんな文句ばっかり。あの『医局の王子様』と呼ばれる天才外科医、財前マシロに診てもらえるなんて、ものすごーくラッキーなんだよ?」


 アピリス先生のベッドの横に立っていた小学生低学年くらいの少女が話に入ってきた。さっきから気になっていたが、誰なんだろう。アピリス先生の知り合いなのかな?


「あのー、あなたはどこの子?」

「ああ、この子は私が倒れた時に、助けを呼んでくれた子なんですよ」

「あたし、羽佐間はざまヒナコ。この病院にはもう1か月も入院してるから、ここではアピリスお姉ちゃんの先輩ね!だから何でも聞いてちょうだい!マシロ先生以外にもカッコいい先生がいる病棟とか、口うるさい看護師さんに会わない秘密のルートとか、色々知ってるんだから!」

「え、一か月も?なんか・・・大変な病気なの?」

「え?あたし?うーん、詳しい話は分からないけど、検査入院っていうんだって。あたしは全然元気なんだけどねぇ?」

「そうなんだ・・・」


 こんな小さな女の子で一か月も入院なんて大変だなぁ。とは言え、当の本人が明るく喋っているのに、そのことを長々と深堀するのも悪い気がするので、話を戻す。


「それで、『医局の王子様』って?」

「マシロ先生のことだよ!凄ーく若くてイケメンで、そして天才なんだって!だから患者さんも看護師のお姉ちゃんたちにも、ファンがいっぱいいるんだよ!」

「ふん!天才なんておだてられたって、ただの過労であんな大騒ぎするなんて、実際は大したことないですよ」


 またアピリス先生がプリプリ怒り出した。医者としてライバル感情でも持っているのだろうか。


 ◆


「過労を馬鹿にするんじゃなーい!」


 後から合流したジョージさんとメアリさん。そのジョージさんがアピリス先生を𠮟りつけていた。


「過労は大変なんだぞ!病気じゃないから軽く見られがちだけど、倒れたって事は体がSOSを出してるんだ!そのマシロ先生ってのが入院して休んでいいって言ってるんだから、休んどけ!このまま帰ったらまた休まず働くつもりだろう!」


 流石ブラック企業に過労させられまくった男。説得力があるなぁ。


 ジョージさんがアピリス先生に対してこういう態度を取るのも珍しい。隣でメアリさんもうんうんと唸っている。


「アピリス先生、不倶戴天ふぐたいてんの敵ダンテ・クリストフへの怒りと、お姉さんへの心配で気が気じゃないのは分かりますが、そのために最近ろくに休まずに病院の仕事以外の時間はDr.アシハラを探してたんですよね?この病院に来ていたのもそのためでしょう?気持ちは分かりますが倒れては仕方ないですよ」

「そ、それは・・・すいません・・・」


 メアリさんにまでそう言われてアピリス先生はたじたじになる。


「まあ、センセイの働きすぎには俺にも責任はある。センセイはメアリちゃんが言ったこと以外にも・・・最近病院のお金がヤバくなってるから、昼夜問わず、FXに突っ込んだ資産の増減に精神がジェットコースターなんだ!すまない・・・!俺がもっと稼げていれば・・・!」

「うう・・・!私があんな銘柄で勝負をかけなければ、今頃はもっと楽出来ていたのに・・・!」


 アピリス先生は布団に顔を突っ伏しておいおいと泣き出した。


「何か知らないけど、大人って大変なのね?」


 横で聞いていたヒナコちゃんが無垢な顔で感想を洩らしている。

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