第40話 死は或いは泰山より重し

 あの日の事は未だに良く思い出せない。


 目に焼き付いているのは、血まみれで倒れるお母さんと、傍らに立つ男、ダンテ・クリストフ。奴がお母さんを殺したその場面を最後に、私の意識は途絶えた。そして気づいた時には全てが終わっていた。


 私は倒れてから数日間意識が戻らなかったそうだ。目覚めた時にはダンテはお母さんだけではなく、村の人々を何人も傷つけ、お母さんが守っていた蘇生術に関する資料を奪い姿を消していた。お姉ちゃん、パナテアも行方知らずだった。そしてお母さんは、すでに蘇生術をもってしても蘇生は不可能なほど時間が経っていた。村にはお母さん以外に蘇生術をつかえる人はいなかった。もし私が意識を失っていなかったとしても・・・私もまだ蘇生術を受け継いではいなかった。


 ◆


 あの事件が起きる前まで、私たち、アピリスとパナテアの姉妹は、お母さんから蘇生術を学んでいた。この技術は部族の外には絶対の秘密であり、部族の中でも一部の人しか正確な実態は知らない。ただし、部族の人が治療が必要な状態になったら惜しみなくその技術は使われた。山林の中で暮らす私たちの部族では、山中で大怪我を負う事も多い。そんな時にはお母さんが呼ばれ、通常の医療で問題ない時は通常の医療で、それでは対応できない場合は蘇生術を使ってその命を助けていた。一般的には死亡と判断される状態からでも蘇生できる上に、適切に処置すれば副作用も無い。勿論限界はあり、状況次第では助けられない。つまるところ、ちょっと腕のいい医者がいるのと同じというだけのことである。


 しかし、だからこそ私は不満を持っていた。この蘇生術を、部族以外の人にも使ってよければ、助かる人が沢山いるだろうに、と。もちろんそう簡単にはいかないことも分かっていた。一番の理由は、この蘇生術の原理が分かっていないことだろう。現代医学の知識では全く説明できないのである。薬草や虫などを原料に、部族秘伝の製法で作られた薬を用い、ある種の外科手術と、あとは「儀式」と呼ぶしかない決まり事、つまり、御香とか文様の用意とか呪文を唱えるとか、を行う必要があった。理屈は分からないが、これらの事をきちんとしないと蘇生術は効果を発揮しないらしい。およそ西洋医学の範疇ではなく、よく言っても東洋漢方の部類、ありていに言えば民間療法、もっと言えばオカルトの部類である。だが実際に効果があるのだ。これは部族の長い歴史が証明している。だから部族という単位の中だけなら信じられるが、これがもっと広い世界、多くの人間に広まれば、まず信じられることは無いだろう。野蛮な民間療法として否定されるか、一部の変わり者にもてはやされて玩具にされるか、どっちかだろう。どちらにせよ、部族とその伝統を守るために秘密にするのは理解できる。


 だがそれでもやっぱり、この技術でもっと多くの人を救えるはずだと私は諦めきれなかった。そう思っているのは、お母さんも一緒だった。「要は科学的に証明できればいいのよ」という、至ってシンプルな考えを実現するために、部族の慣例にとらわれず色々な事をした。まずお母さんは若い頃、大学に通い一般的な医術を学んだそうだ。そのおかげで、私たち姉妹に蘇生術を伝える時に一緒に大学で学んだ知識も教えてくれたし、私たち自身も大学に通い最新医学を学ぶことができた。さらに、お母さんは、Dr.アシハラという日本の女性と協力して、部族の蘇生術を科学的に解明しようとしていた。パナテアお姉ちゃんは部族の蘇生技術を外に公開するのは「碌なことにならない」と反対していたが、私は誇らしかった。


 ◆


 だがそれも、ダンテ・クリストフの手で全て壊されてしまった。


 事件の後、私のことを部族の人たちは労わり慰めてくれた。だけど私は彼らの言葉も聞かず、まだお母さんから教えてもらっている途中だった蘇生術を完全に自分のものにできないかと奔走した。部族の中に知識を持った人がいないか探したが、当代の巫女、つまりお母さんしか知らないものだという。先代までの巫女はもう亡くなっていた。


だが、別の手段で少しだけ前進することが出来た。お母さんが保管していた資料は殆どダンテ・クリストフに全て奪われていたが、奴に見つけられなかったであろう僅かな資料を発見した。それと、私がその時点で教えられていた知識を合わせることで、ある程度までの蘇生術を身に着けることが出来たのだ。


しかし、それはあまりにも中途半端なものだった。この蘇生術は、死んだ状態の患者を一度「再生過剰」状態にして、その後正常な状態に落ち着かせる、という手順を取る。私が身につけられた知識は、途中の「再生過剰」状態にするまでのものしかなかった。その先の、正常な状態にする方法が分からなかったのだ。これではこの知識は使えない。「再生過剰」状態の患者は、これまた非科学的でオカルトじみた話だが、肌が変色するうえ、異能とも呼べる不思議な力を発揮してしまう、何より、意識が正常でない状態になってしまう。薬で一時的に抑える事は出来るが、完全に治療することはできない。そんな状態になる事が分かっていてこの蘇生術を施すなど、医療倫理からしても、決して許されることではないのだ。

蘇生術に着いてその時の私に出来るのはそこまでだった。


 次に私が取り掛かったのは、ダンテ・クリストフを探すことと、Dr.アシハラを探すこと。前者は奪われた資料を取り返すため、後者は、彼女がお母さんと一緒に進めていた研究の話を聞くためだ。お母さんが殺されたことは街の警察には伝えたが、ダンテ・クリストフの手掛かりは全くなかった。仕方なく私はDr.アシハラが住んでいるという日本の九州に行くことにした。日本語を勉強しながらネットで日本の事を調べていると、奇妙な噂を目にするようになる。


 日本の九州のある地域で、「死者が甦る」といった噂が散見されるようになったのだ。私の頭をよぎったのはダンテである。まさか、ダンテが奪った知識を使っている・・・?


 ◆


 可能な限り準備を急いで、私はついに日本にたどり着いた。Dr.アシハラの連絡先も居場所も結局分からなかったので、ほぼ行き当たりばったりの訪日だった。私はせめてもの手掛かりにと、死者が甦ると噂の街に来た。そこは九州の中ほど、周囲を山に囲まれた街だった。よそ者は目立つようで、特に外国人という事で目に付きやすいらしく、私は出来るだけ人目を避けて行動していた。その街で流れていた噂とは、「死ねば理想の自分になって甦ることが出来る」というものだった。その噂を調べていたある日、私は、一人の男性が、山奥の廃病院から飛び降りる現場に遭遇したのだった。


 地面に叩きつけられたその男性に駆け寄った時、わずかに意識はあったが、すぐにそれも失われた。ほぼ即死・・・そう言って差し支えない状態だった。私は激しく動揺した。目の前で死んだお母さんの姿がフラッシュバックする。医術を学んでいると言っても、人の生き死にに私一人で立ち会うのは、お母さんに続いて2度目だ。お母さんの時のことを思い出すと、いや、それに関わらず、見捨てることは出来なかった。でも私のな医療技術では助けられる見込みは全くないほどの重傷だった。


 ―――部族に伝わる蘇生術を除いては。


 蘇生術を使う事は決して許されないことだ。重大な副作用があることを承知の上で行っていい事ではない。

 それは頭では分かっていたが、しかし、では助けられる命を見捨てていのだろうか。


 医療倫理として何が正しいのかは全く分からなかった。


 ただその時の私は、目の前の命をどうしても助けたかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る