第10話 殺ゾン事件

 イトさんがゾンビになった時の顛末はこうだった。


 彼の職場はこのアピリス先生の病院がある繁華街からはかなり離れた田舎の方にあった。周囲には山林も多く、夜中にその山林を車で移動していた際、職場の私有地に入り込む見慣れない車を見かけた。その先には普段人が寄り付かない建物がある。最近、都市伝説とかのせいで肝試しにくる若者が多い、と聞いていたので、そのたぐいだと思った。肝試しの若者くらいなら一声かければ帰ってくれると思っていたのだ。


 だがそれは間違いだった。


 彼が建物の中で見たものは、若者たちが血まみれで重なるように倒れている光景だった。一瞬状況が理解できず、そのすぐ後ににパニックが押し寄せた。悲鳴を上げ、腰を抜かし、そしてそこで彼の意識は一度途切れる。


 次に彼が目覚めた時は、事情は少し違っていた。周囲が血まみれなのは変わらない。気を失った時と同じ部屋にいるようだ。だが先ほどまで倒れていた若者たちは、その時は立ち上がっていた。無事だったのか?そう思ったが、様子が変だった。


 まず目についた数人の若者達は、まったく生気のない顔で、血に濡れていない部分から覗く肌は青緑色に変色していた。体の軸が定まらないようなフラフラとした動きで、部屋の奥に向かって動いている。


 次に目に付いたのは、彼らが向かう部屋の奥、一人の若い女性が立っていた。まず特徴的なのは血まみれの中に合っても鮮やかな赤く長い髪。肌は他の者と同じように青緑色。そして手に何か長いものを持っている。刀のようだった。状況を飲み込めぬまま、しかし事態は進む。女は刀を振りかぶると、何かを叫びながら彼女に迫る他の若者に振り下ろした。斬られた者はその場に倒れこむ。あまりの現実感のなさに、映画の撮影かと思う、が、女が次のターゲットに刀を振るった時に、そうではない事を思い知らされた。

 彼女の一振りを受けた相手の


 人殺し―――――!!


 声にならない叫びをあげ、彼はその場から必死に逃げ出した。後ろで女が叫んでいる。今度は何と言っているのか聞き取れた。


「逃げるな!ゾンビは全部、私が殺してやる!」


 ゾンビ?何を言っているんだ?理解できないまま、とにかく彼はそのまま逃げきった。


だが、何とか落ち着いた時、自分の体も青緑色に変色し、腐ったような匂いがしていることに気づいた。その時になってやっと事態を理解した。先ほど殺し合いをしていた者たちも、そして自分も、『ゾンビ』になってしまったのではないかと。


 ◆


「あんな恐ろしい光景に居合わせただけではなく、自分もこんな姿になってしまうなんて・・・」


 イトさんは当時の事を思い出すことでトラウマが甦ったらしい。憔悴しきった顔で頭を抱えた。大量殺人の現場に、ゾンビとは言え首切りの瞬間を目撃。人のよさそうな見た目のイトさんだ、ものすごいショックだっただろう。ゾンビなので顔は元々青緑色なんだけど、それを差し引いても顔色が悪い。


 しかしもう一人、顔色が悪い人がいた。アピリス先生だ。


「そんな・・・殺し合いだなんて・・・」


 こちらはまたイトさんとは違ったショックだろう。イトさんにとっては、『非現実的な化け物であるゾンビ』が突然現れて平和な日常を壊されたショックだ。だが、アピリス先生にとってはあくまで病気の患者。化け物でも何でもない、治療すべき一般人だ。それが、病気の影響で狂暴化することはあるとは言え、殺し合いをしてしまうなんて。


「私にとっては殺ゾン事件ですが、アピリス先生にとっては殺人事件と言うわけですね・・・」

「殺ゾン事件?」

「殺ゾン事件って何!?聞いたこと無いんだけど」


 私が真面目な話をしているのに、イトさんとジョージさんが変なところに引っかかってくる。


「こうしてはいられません!早くあの赤髪の女性を止めないと!これ以上罪を重ねる前に!」


 アピリス先生も私達の話が耳に入っていなかったようで、使命感から赤髪のゾンビを止めようとしているらしい。


「あの、それはそれで助かるんですが、まず私の治療をお願いしてもいいでしょうか・・・」

「あ、もちろん!もちろん治療してからですよ。では治療を始めますね」


 イトさんに言われてアピリス先生は慌てたように椅子に座りなおし、私の時と同じように治療を開始した。


「とにかく、先ほど言ったように、これは死んだわけでも化け物になったわけでもありません。病気にかかってるだけの状態です。決して自暴自棄にならないように」

「そうなんですか・・・。でも、どうして私がその病気なんかに・・・?もしかして感染症とかなんですか!?」

「いえ、これは感染症ではありません。詳しくは話せませんが、瀕死の人間に特殊な治療を中途半端に施すと、このような副作用が発生してしまうんですが・・・。先ほどのあなたのお話からすると、最初に血まみれで倒れている集団を見た後に気を失ったとのことですが、その時に大きな傷を負ったりしていないですか?」

「そう言えば・・・上半身の服が激しく破れていました。でも傷は無かったですよ?」

「おそらく、気を失った時に、何者かに致命傷を負わされたんでしょう。それで瀕死になった所を蘇生されて、傷自体は治ってしまったんだと思います」

「そんな・・・」


 治療を受けながらの説明を聞いていたイトさんは、改めて自分の体の異常性を認識したようだ。私としては、その『特殊な治療』の方法を早く聞いてみたいものだ。


 治療は順調に進み、肌も彼本来の色に戻っていった。

 最後に薬が入った袋を身につけさせて終わりだ。


「ありがとうございます!これで職場にも復帰できます!」

「よかったです。ちなみに、家族や友人、警察などに、この病気や事件の事を話したりしていますか?」

「いえ、私は一人暮らしですし、何か怖くて誰にも・・・・」

「そうですか・・・」


 そこでアピリス先生は少し考えこんでから、イトさんに問いかけた。


「その、イトさんの話では何人もの人が殺されていたという事でしたが、それはニュースになってたりしないんですか?」


 これは私も気になっていたので会話に参加した。


「確かに、そんなのがあったら大ニュースになりますよね!でもそんなの最近聞いたこと無いし・・・。人の寄り付かない廃墟とかだったんですか?」


 だが、イトさんは困ったように返答した。


「いや、それがおかしいんですよ。その施設は時々は使われる場所で、事件の翌日にも使われる予定があったんです。だから私は同僚にそれとなく聞いてみたんです。そしたら、荒らされてはいたけど、死体や血の跡なんかは無かったらしいんです」


「死体が消えたってこと!?」


「ふーむ」


 アピリス先生は腕組みをしながら思考を巡らせる。


「この病気の患者から体外に出た血は、時間が経ったら消えてしまう事が多いので、血が消えたのはそのせいかも知れませんね・・・。とすると、あとは死体を誰かが運んだか。例の赤髪の女性か、それとも・・・」


 アピリス先生は言葉を濁したが、私はその後に続く言葉に予想がついた。アピリス先生の母親を殺し、ゾンビ化の技術を盗んで、今まさにゾンビを生み出し続けている男、ダンテ・クリストフ・・・。以前、私の目玉を持って行った男でもある。


「その犯人が、イトさんをゾンビにしたのかも知れませんね、アピリス先生!」

「とにかく・・・事件の真相を知るためにも、そしてこれ以上被害を出さないためにも、赤髪の女性から話を聞かないと!!」


 こうして『赤髪ゾンビ捜索作戦』が始まった!

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