溢れたミルクを嘆いても

如月明

溢れたミルクを嘆いても

 後悔とは、なんだろうか。一般的に言ったら、昔してしまった恥ずかしいことを嘆く。つまり、してしまった事について、後から悔やむことを指すのだろう。しかし、俺、吉村拓也ヨシムラタクヤは後悔をしたことがなかった。そのせいもあってよくみんなからは感情が無いやつと揶揄われていた。


 俺の今までの生活を見たら、ただ何も考えずに生きているだけだろと思うかもしれない。確かに俺は面倒くさがりな性格で、勉強だって部屋の片付けだって後回しにしていた。でもこうして十四年間生きてきたのは事実である。


 まず俺がこの性格だと気づいたのは、小学校の頃である。


 *


 クラスで映画を見ようということになって、先生が見せてきたのは主人公とヒロインが離れ離れになってしまう映画だった。俺は映画をずっと見ていたが、一切感動しなかった。周りのみんなが泣いているのを見て、『涙もろ』と思ってしまうほどに。


 見終えた後になってみんなが手を上げて感想を言い合う時間になったので、みんなの感想を聞いていたが、『感動した』とか『引き裂かれて可哀想』とか言っていて俺は全く共感できなかった。なので俺は挙手をして自分の意見を言おうと決めた。


「じゃあ拓也くん」


「なんでヒロインが泣いていたのか気になりました」


 俺のこの一言で周りが一気に凍りついたのがわかった。でも俺は自分の発言のせいだとは思わずに、このまま続ける。


「だって、また新しい出会い見つければいいだけじゃないですか?」


 先生は呆れながら俺の方を見て来ていたが、俺は自分の感想が間違っているとは思わなかった。クラスの人たちは俺を冷ややかな視線で見てきており、俺は斬新なことを言って一目置かれているのかと思っていた。


 俺はその日の帰り道、みんながそっけないことに気づいて、どうしたのかと考えていた。しかしいくら考えても答えは見つからなかった。


「みんなどうしたんだろうね」


 そこに一人の女子が話しかけてきた。彼女は他の人たちとは違って、そっけなさはなく、俺に優しく接してきた。


「私は気にしないよ。一緒に帰ろうよ拓也くん」


 彼女は俺の手を引いて教室を出た。廊下を駆けている時、俺は疑問を口にした。

すると彼女は微笑んで


「私が君の感情を一緒に探してあげる」


 そう呟いた。



 その日から俺はみんなと距離を置かれるようになったのだ。しかし俺にも唯一話しかけてくれる子がいた。


「拓也くん、おはよう」

 

 それが俺の幼馴染の岡崎寧々オカザキネネだった。彼女は俺と家が近くて、学校が終わった後もよく一緒に遊んでいた。俺があの発言をした日も、俺に優しくしてくれたのも彼女である。小学校でも俺と絡んでることによって彼女が色々と言われていた。しかし彼女は気にしないでと言って俺と関わりを断たなかった。俺は彼女が善意でやってることなんだろうとずっと思っていた。


「ああおはよう寧々。今日も早いな」


「拓也くんは宿題やった?」


 宿題? 俺は一瞬思考が停止した。そう言えば、昨日先生が宿題を出すとかなんか言っていたような気がする。俺は授業中ずっと寝ているので、微かにしか聞き取っていなかったが。


「やってないわ」


「学校着いたら教えてあげるから、がんばろ?」


 こうやっていつも俺が迷惑をかけてしまっているので、少し申し訳ないと思った。なんか埋め合わせはできないだろうか。そう思って俺はなんかしてやれることはないか聞いてみた。


「じゃあ今日も拓也くんの家に行ってもいい?」


 そんなことでいいのか? と聞いたが彼女が行きたいというので、了承した。


 昔から彼女とよく互いの家に遊びに行ったりしていた。しかし中一の頃に、彼女のご両親が離婚してしまったのだ。親権は彼女の父親が持ったようで、今は二人で暮らしてるらしい。ただ、それからは彼女は門限を決められ、彼女の顔からは笑顔が少なくなっていった。俺は疑問には思ったものの、そのことを深く受け止めなかった。


 結局それからは彼女の家に行けなくなってしまったので、よくうちに来て一緒に過ごしている。まあやることと言っても、一緒に話したり、勉強したり、ゲームとかしたりするくらいだが。相変わらず感動する映画見ても、俺とは感想言い合えないし。


 学校に着くと、俺らはみんなから注目を浴びた。それもそのはず、寧々は、可愛くてみんなから人気のある女の子だからだ。対して俺は、みんなから避けられている男子。クラスの男子からしたら、俺の存在は邪魔以外の何者でもないだろう。しかしそんなこと気にはせず、俺は宿題のプリントを取り出して解き始めた。一切わからなかったので、寧々に聞くと、優しく説明してくれた。


「なんであいつが寧々ちゃんと仲良いんだよ」


「幼馴染なんだってさ、それでも『氷の男』と呼ばれてる男と仲良くしなくていいのにね」


 あの出来事があってからか、今までの無関心、面倒臭がりな性格も相まって『氷の男』と揶揄われるようになってしまった。俺は極力無視しているので何にも被害はないが、絡んでくるのは正直億劫である。


「岡崎さんももしかして『氷の女』なんじゃないの?」


 彼女をよく思わないグループの一人がそう言ったのを聞いて、俺は苛立ちを感じた。その人の方に向かおうとしたが、寧々に止められた。


「いいよ、拓也くん。私は大丈夫」


 俺がクラスで浮くのはどうでもいいが、彼女が俺のせいで馬鹿にされてるのは正直耐えられなかった。しかし、彼女に止められてしまったので、俺も行くことはできなかった。

 

 宿題を終えた後も、彼女は俺にずっと話しかけてきた。俺は彼女のことを仲の良い幼馴染だと思っているので、悪い気はしなかったが、他にも彼女と話したがってるクラスメイトがいることを俺は知っていた。


「寧々、あそこの二人が話したがってるよ」


「私は拓也くんと・・・・・・」


「いいよ、ありがとう。話してきなよ」


 彼女は不服そうだったが、俺に諭されて他のクラスメイトのところに向かった。これで良いんだ。俺なんかにずっと絡む必要はない。彼女は学校では俺と別世界の人間であるので、この方が彼女にとっては良いことだろう。


 授業の内容は退屈で、一切頭に入ってこない。睡魔と戦う時間であった。ふと隣を見ると、寧々が一生懸命ノートを取っていた。彼女は良い高校に行くんだろうな。そうやってぼんやりしていると、先生と目が合ってしまった。


「おい吉村! 聞いているか?」


「あ、はい。聞いてますよ」


「じゃあこの問題に答えてみろ」


 先生が黒板で指しているところを見ると、『一六〇〇年に起きた戦い』と書かれていた。俺は全くわからなかった。自慢ではないが、俺はテストで七十点以上取ったことがないレベルのバカだった。勉強嫌いだったし、やる気も湧かなかったからだ。寧々のおかげで、なんとか赤点は回避していたようなものだ。


 どうしようかと思って周りを見ていると、俺は足になんか違和感を覚えた。触れてみると、『関ヶ原の戦い』と書かれた紙がセロテープが付いて貼られていた。横を見ると、寧々が笑みを浮かべていた。彼女が助けてくれたってことだろう。


「えっと、関ヶ原の戦いです」


「チッ、正解だ」


 先生は舌打ちをして、授業を再開した。俺は寧々にお礼を言った。


「次はしっかり聞いておいた方がいいよ」


 流石に彼女に迷惑をかけすぎてると思ったので、一応授業は聞こうと思った。


 四限が終わったので、俺は昼食を食べようと、家から持ってきたパンを取り出した。ウチは両親が共働きなので、昼は毎回家から持ってきたり、店で買ってきたりしている。購買で買うこともあるが、混むのでできるだけ避けている。寧々は基本弁当を持って来ており、自分で作っているらしい。


「拓也くんまたパン一個だけ?」


「ああ、まあ一個あれば空腹にはならないし大丈夫だろ」


「成長期なんだから、栄養取らないと。私のおかずあげるから」


 彼女はおかずを取り出して、箸で摘んで俺の方まで持ってきた。これは『あーん』というやつだろうか。みんながこっちを見てきていて恥ずかしいからやめて欲しいのだが。


「みんな見てるからさ・・・・・・」


「私は気にしないよ?」


「俺が気にするんだよ・・・・・・。でもありがとう、パンの上に乗せて食べるわ」


 彼女はなんかがっかりしていたが、みんなの目もあったし、俺の精神がもたなかったので仕方がない。そしたら、クラスの男子たちが寧々に話しかけ始めた。


「寧々ちゃんオレにおかずちょうだい、こいつみたいに塩対応しないから」


「おれにもくれよ、あーんしてほしい」


「ごめんね・・・・・・、もう全部食べちゃった」


 俺がこの二人に睨まれた気がするが、俺はパン一個だからもらえただけだ。それなのにこの二人は何に怒っているのか。俺には理解できなかった。


 そのまま午後の授業もなんとか耐え抜いて、長かった授業が終わった。勿論俺は部活など入っていないので、早速帰る準備をする。


「拓也くんちょっと待ってよ」


「寧々には帰る友達たくさんいるんだし、無理して俺と帰らなくていいんだよ?」  


「今日家行くって言ったじゃん」


 家に来るとは言っていたものの、一緒に帰るとは思っていなかったので、少し驚いた。周りの視線を気にせずに、俺たちは学校を後にした。


 帰り道は、いつもと違ってなんか変な空気になってしまっていた。俺が意識しているせいだろうか。とりあえず会話を続かせないと気まずい。


「今日は何するんだ?」


「とりあえず宿題からだね」


 嫌なものを思い出した。しかも苦手な英語の宿題だ。日本から出るつもりないので英語なんてやる必要性がわからない。


「わからないところは私が教えてあげるよ」

 

 俺が面倒くさそうにしているのを見て寧々が声をかけてきた。彼女はどうしてここまで優しくしてくれるのだろうか。もしかして、俺が彼女の幼馴染だからって理由なのか。俺にはそうとしか思えなかった。


「俺は、迷惑かけてばっかりだな。すまん」


「私が好きでやってることだから、気にしないで」


 彼女はこうやっていっているが、気にならないわけがない。これが俺の立場なら、煩わしさでいっぱいだったはずだ。彼女の優しさには何があるのか。それについて俺は考えていた。英単語も、英文法も一切頭に入ってこなかった。


「拓也くん、ちょっと、聞いてる?」

 

 彼女は心配そうな顔でこちらを見つめてくる。君について考えているなんて言えるわけがない。俺は誤魔化そうと、問題の質問をした。すぐに理解することができたので、そのあとはまったりしていた。俺は何をやっててもすぐに飽きてしまうので、特別な趣味とかがない。こうやって寧々と話してるのが一番面白いと思うくらいである。そんな感じで話してると、時計の針が六時に近くなっていた。彼女は六時までに家に帰らないと、怒られてしまうので、帰るよう促してあげよう。


「寧々。もうそろそろ帰った方がいいと思う」


 俺がした提案を彼女は聞いていなかったのか、無反応だった。彼女を見てみると、集中して問題を解いているようだった。俺ももうそろそろ高校に関して考えた方がいいのだろうか。寧々の肩を叩くと、我に返ったようで、こちらを見てきた。


「ねえ拓也くん、私は帰りたくないな」

 

 俺はその発言の意図がわからなかった。もう少しここに残りたいということだろうか。おそらく勉強をもっとしたいのだろう。ただ彼女は今までこのようなことを言ったことはなかった。でも門限過ぎたら彼女は怒られてしまう。それは避けさせたい。幼馴染として。


「お父さん、心配するぞ?」


「それでも私は帰りたくない。ダメ?」


 そう言って彼女は上の服を脱いだ。彼女の下着が見えて俺は意識してしまう。まずなんで上を脱いだのか、どうして男がいる前で脱いだのかとさまざまな疑問が浮かんでくる。俺は目を逸らした。


「・・・・・・寧々何やってんだ。早く上着てくれ」


「私のこと嫌い? なんだか素っ気ないし」


 俺の性格が元からそういう感じなのはおいといて、そこまで塩対応だとは自分では自覚していなかった。彼女の悲しそうな顔を見てなんだか申し訳なくなってくる。


「嫌いじゃない。素っ気ないのは元の性格だからなんとも」


「こっち見て、拓也くん」

 

 そのまま下着姿の彼女を見た。そこで俺はあることに気づいた。彼女の体に痣があったのだ。かといって、それをそのまま聞けるほど俺は無頓着ではない。怪我をしたのだろうと自己完結した。


「とりあえず、服を着てくれ」


「あ、ごめんね」


 彼女はそう言って服を着た。でも帰ろうとする様子は見られなかった。


「流石にもう帰った方がいいよ。また明日」


「・・・・・・わかった。またね」


 そう言って彼女は出ていった。彼女の表情は暗くて、悲しそうであったがこうするしかなかった。


 彼女が帰った後、俺は部屋のテーブルにあるものが書いてあるのを見つけた。それは何やら手のようなものが三つ書かれていた。一つはパー、二つめは親指を折り畳んだやつ。三つ目はグーぽかった。彼女もこういうイタズラするんだなと思って俺は少し微笑ましかった。


 しかし、俺は今日ずっと、彼女が見せたあの表情が頭に浮かんでいた。いくら寧々を心配させないためとはいえ、あそこまでするのは最低だっただろう。明日謝ろうと思った。



 翌朝、俺は起きて学校に向かおうと家を出たが、まだ寧々は来ていなかった。俺が出るときにはもう家の前で待っていた彼女が遅れるなんて珍しい。しかし、彼女の家には行けないということを俺はわかっていたので、仕方なく一人で学校に向かった。一人での登校は退屈で、何かが欠けているような感覚だった。彼女との登校は楽しい時間だったんだと思う。


 学校に着くと、クラスメイトたちが俺を見て何か噂をしていた。


「氷の男。今日は珍しく一人で登校か」


「多分岡崎さんに嫌われたんだよ」


「よし寧々ちゃんにアタックできるな」


 何やら全く見当違いなことを口にしている生徒もいるが、俺は絡む気は毛等もない。噂をされることには慣れきっている。


 しかし、始業時間に近づいても寧々が登校してくる様子もなく、俺は心配になってきた。電話やメールをしてみたが、一切反応はなかった。もしかして・・・・・・。嫌な予感が心をよぎる。そして、現実というものは非常に残酷である。担任が教室に入ってきて、驚く一言を放った。


「岡崎寧々は、昨日の夜、病院に運ばれた」  


 俺は、この言葉について理解し難かった。だって昨日まで仲良くしてた幼馴染が、搬送されたというのだから。気が付いたら俺は担任に問い詰めていた。


「寧々は無事なんですか?」


 先生の聞いたところによると、昨日の夜に倒れて意識を失い、そのまま搬送されたという。俺はどこの病院に搬送されたのかを尋ねた。先生は俺の行動を見て動揺していたが、教えてくれた。俺は一目散に教室を飛び出した。先生の声やクラスメイトの声などが聞こえてきたが、俺は気にも留めなかった。


 無我夢中で駆けていた俺の元に、彼女が倒れた原因が判明されたのは、学校から出て十分すぎの頃だった。俺の母親から電話がかかってきたのだ。


「は? 虐待?」


 なんと彼女はお父さんから虐待を受けていて、昨日はそれがヒートアップしてこうなってしまったらしい。離婚してから厳しくなったとは聞いていたが、まさかこんなことになっているとは思いもしなかった。


 そして俺は彼女の昨日の行動を思い返してみた。彼女は俺にずっとサインを送っていたのだ。


 まず、家に帰りたくない発言だ。もしかしてあれは、俺の家に匿ってほしいというメッセージだったのかもしれない。しかも一度だけではなく、何度も。そして、俺が帰らせてしまったことが結果的に彼女に危害を加えてしまったのだ。俺のせいだ。悔やんでも悔やみきれない。


 次に、下着姿になったことだ。多分あの姿になって痣に気づいてもらいたかったのだろう。俺は満足に彼女のことを見ることはできなかったが。


 そして、机に書いてあった絵だ。あれは、ヘルプのサインらしい。今調べてきたらそう書いてあった。彼女はこんなにも俺にサインを出していた。それを、俺は何一つ気づいてあげることはできなかった。自責の念に駆られる。


 病院に着いたので、受付で寧々の病室を確認して、急いで向かった。部屋に入ると、寧々のお母さんが来ていた。最後に俺と会ったのは、二年前くらいだったが、だいぶ顔が変わっていた。


「あ、拓也君」


「久しぶりです、おばさん。寧々について詳しく知ってますか?」


「私も聞いた話なんだけどね・・・・・・」


 まず寧々はお父さんに殴られて気を失ったのは確からしい。それでお父さんは事情聴取を受けてるという。


「寧々と一緒にいてあげて」


「わかりました」

 

 彼女は顔は綺麗で、眠っているようだった。俺は早く目覚めてほしいと思って彼女の手を握った。手はまだ温かく、俺に安心を与えた。


 しばらくすると、おばさんはおじさんに会ってくると言って病室を後にした。それからも俺は彼女の手を握り続けていた。


 数時間が経った頃だろうか、俺らのクラスメイトが病室に来た。俺がいることに気がついたのか、こそこそ話してるの聞こえる。またなんか言われるのかなと思ったら、思いがけないことを言われた。


「そのー、吉村、悪かった」


「ん? 急にどうした?」


「俺、お前のこと勘違いしてたわ。『氷の男』とか言ってたけど、寧々ちゃんの状態を聞いてる時の必死さを見て、全然そんなことないなって思った」


「ごめんね。吉村くん」


 なんと、ここに来たクラスメイトたちは俺に対して謝罪をしてきた。まず俺はそんなに気にしていなかったし、あの時の行動が影響を与えるなんて思ってもいなかったのでびっくりした。


「俺はいいからさ、寧々にも謝ってあげて」


 そういうと彼らは寧々にも謝っていた。彼女には聞こえてるかどうかわからないが。まあこれでわだかまりが解けたので良かったと思う。


 そのまま俺は夕方までずっと残っていた。医者曰く、彼女が目を覚ますかどうかは分からないならしい。明日目を覚ますかもしれないし、一生目覚めないのかもしれない。なら目が覚めるまで俺が一緒にいるべきだ。彼女を間接的に昏睡状態に追いやったのは俺なんだから。


 夜になって、病院が閉まる時間が近くなった頃、握ってた手が少し動いた。俺はそれに気づいて、寧々の名前を呼び続けた。


「寧々。お願いだ。目を覚ましてくれ」


 しばらくすると、彼女の目が徐々に開いた。しかし体を起こすことはできないようだ。でも意識はあるようで、俺が手を握ると、握り返してきた。


「寧々。良かった。」


「たくや・・・・・・くん」


 彼女はか細い声で、俺を呼び返した。


「ごめん、俺、お前のサインに気づけなかった。俺が、間接的に君を・・・・・・」


「違う・・・・・・よ。悪いのは・・・・・・私。ごめんね」


 何を言ってるんだよ。君が悪いわけない。そう思っているうちに俺は目頭が熱くなってるのが感じられた。


「・・・・・・泣かないで、私も涙が出てきちゃう」


 彼女は自分が辛いのに、俺にこんな優しい言葉をかけてくれる。どうしてここまで優しいのだろうか。


「でも・・・・・・拓也くん。涙、出たんだね。良かった」


 そういえば、この涙が初めての涙な気がする。今まで泣いた覚えもないし。寧々は俺の大切な人だ。彼女が瀕死の状態になって・・・・・・。つまり、自分がこういう状況になって初めて、悲しみというものがわかったのかもしれない。ただ、正直、悲しみというより後悔の気持ちの方が強い。


「そんなことどうでもいい。君が元気でいてくれればそれでいいんだ。だから元気になって」


 そう言ったものの、彼女は首を横に振った。目の前が真っ暗になっていくのが感じられる。


「私は・・・・・・君の感情を探せた。それで満足だよ」


「でも俺は、君に何も返せてない」


「あなたと過ごして・・・・・・私は楽しかったよ。」


 彼女の声がだんだん弱くなってきている。俺の声も涙ぐんだ声になってきたのを感じた。


「これからも、君と一緒に過ごしたい」


「私も・・・・・・でもごめんね。無理そう。拓也くん、溢れた・・・・・・ミルクを嘆いても仕方ないんだよ。だから・・・・・・私のことは忘れて幸せになって」

 

 覆水盆に返らず。か。てか忘れて幸せになれってそんなこと無理に決まってるだろ。寧々のいない生活なんて耐えられない。俺は初めて後悔をしたが、これ以上後悔はしたくないと思った。


「寧々・・・・・・。大好きだ」


 俺が最後にそう伝えると、彼女は笑いながら俺の手を握って。


「拓也くん・・・・・・。私も大好きでした」


 部屋の中は、輝きを残したまま、俺らを包み込んだ。

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