よく見えるようになった世界
松平真
第1話
「見えていないのかいお兄さん」
道の真ん中で見知らぬお嬢さんは、私にそう言った。
真昼間、昼八つ。最近入ってきた西洋風の言い回しでは13時か。
距離があるせいか、塵が多いのか、細かいところはわからないが赤に近い茶の着物を着た黒髪のお嬢さんがこちらを見ていた。
「いや、どちらかというと肩こりが」
私は、そのお嬢さんにそう返した。
事実、最近妙に肩が重い。
「ああ、それは目のせいだよ。目が悪いんだねぇ」
お嬢さんはそう言うと、そこのアタシの店にいいものがあるんだよと私の手を引いた。
「いや、そう言われても懐は寂しいから」
職を失くした私は、ちょうど父親が死に、財産として妾宅だった屋敷を継いだのでこれ幸いとその屋敷に住み着いたばかりだった。
金はけしてないわけではないが、それでも次の職を見つけるまでは、心もとないものだ。
それなのに屋敷で時間を潰さずぶらぶらしていたのは、屋敷にいると近くの別の妾宅から聞こえる女のすすり泣く声に嫌気がさしていたからだった。
「いいんだよ。御近付の印さ」
お兄さんはおもしろそうだからねぇ、お嬢さんはそうそうからから笑った。
職を探す気分でもなくかといってなにか暇つぶしの宛もなかった私は、ならちょうどいいかとほいほいとお嬢さんについていった。
お嬢さんの店は、想像していた数畳しかない茶屋のような店ではなく、それなりの歴史を感じさせるしっかりとした奥行きを持った店だった。
「こいつはすごいね」
そして商っているのは眼鏡のようだった。
幾つも置かれた長机の上に処せましと無数の様々な眼鏡が置いてある。
年季の入ったものから、洒落た紐のついた片眼鏡、はては顔の上半分を隠す仮面のようなものまであった。
「その辺でくつろいでいてよ。準備してくるからさ」
小半時も待たされただろうか。
お嬢さんは妙な立て板を持ってきた。
様々な大きさの一部が欠けた円が描かれた板だ。
お嬢さんはそこからでいいから、片目を隠してどっちが欠けてるか言ってごらんよと棒であちこちの円を指す。
私は、よくわからないままそれに答えた。
お嬢さんは、うんうん頷くと、本当に目が悪いねぇとつぶやいた。
「目が悪いのはわかっていたんだろう?」
「そうだけどねぇ」
そういうとお嬢さんは眼鏡に色々と細工をして、私に差し出した。
「これでよく見えるはずだよ」
それを受け取り、かける。
「おぉ」
思わず感嘆のつぶやきが漏れた。
世界がくっきりと見える。
どうも世界がかすんでいたのは、私の目のせいだったらしい。
私はお嬢さんに礼を言い、後日改めてお礼をもってくると言うと、くっきり見えるようになった町中を歩きながら屋敷へと戻った。
屋敷に戻り、寝室にしている部屋に入る。
気が付くと入り口の傍に十代半ばごろの少女がいた。
そう言えば施錠を忘れていた。
どこからか迷い込んだのだろう。
顔は愛らしく、肩で切りそろえられた艶やかな黒髪は扇情的に思われた。
「どこから迷い込んだんだい?」
そう尋ねた私に、少女は微笑みを浮かべると抱き着き、唇を合わせた。
妙なことになったな、と思う。どこかの妾なのだろうが、もし手を出したことがその旦那にバレたら。
だがまぁ……そういえば最近ご無沙汰だったか。
据え膳ではあるし、なにより好みの見掛けをしている。
そう思った私は少女を受けいることにした。
私は優しく少女を布団へと押し倒した。
翌朝、妙に気怠い躰を起こすと、少女の姿は既に無かった。
はて、と思いながら頭を掻いた。
ふと、最近感じていた肩の重さが無くなっていることに気付いた。
後に、礼のために訪ねた眼鏡屋のお嬢さんにその話をすると、御兄弟になったんだねぇと大いに笑っていた。
よく見えるようになった世界 松平真 @mappei
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