ダメガネ

ハヤシダノリカズ

第1話

「だから、オマエはダメガネだってんだ」

「ダメガネってなんだよ」

 隣の席で話している若い男性二人の会話が耳に入って来た。心地いい温度が保たれたスターバックスコーヒーの店内はそれなりに混雑していて、僕がラップトップを開いて一人で座っている小さなテーブルの両隣りのテーブルにはそれぞれ男性二人、女性二人が向かい合ってお喋りに興じている。


「メガネってのは知性を司るものじゃん? なのに、オマエからは全く知性を感じない。メガネかけてるくせによ」

「勉強のし過ぎで目が悪くなるなんてイメージ、いつの時代のものだよ! オレは普通にゲームのやりすぎで悪くなっただけだって」

 ダメガネというワードが耳に刺さったせいで、僕は隣の二人の会話に耳を傾けてしまう。眼球だけを動かして隣に座る二人の男を観察しようとする。隣の男は首を曲げないと見えないが、斜め前の男はメガネをかけていない。斜め向かいに座っている男が僕の隣に座るメガネ男子をバカにしているのだという事は分かった。


「とにかくだ。いつもモテたいモテたいって言ってるオマエがさ。”ザ・ダメガネ”じゃいかんだろうよ」

「どういう事だよ?」

「いいか。頭がいいか悪いかなんて他人からは分かりゃしねえ。でも、女はバカより賢い男を好むもんだ。頭が悪そうって思われたら、モテるなんて夢のまた夢だ」

「頭が悪そうに見えるような事、してるかな……」

 隣のメガネ男子はまるで心当たりがないといった調子でそう言った。賢そうに見られる事もいい事ばかりじゃないけどな。自覚している欠点を『こんなに賢そうなのに、そんな事も出来ないの? 知らないの?』と言われるのは割とめんどくさいものだよ。僕は声には出さずに隣の会話に加わる。静かにラップトップの画面を見つめるフリをして。時折キーボードを叩きながら。


「こないだの合コンだって、オマエ、ありゃなんだよ。会話を大して盛り上げもしなったお前が会計の時にだけ声を張り上げで割り勘アプリを見ながら、『えっと、それじゃあ、お一人五千七百三十二円です』じゃ、ねーんだよ」

「明朗会計は大事じゃん」

「あんなのはざっくり『男六千円、女子は四千円ねー』でいいんだよ」

「え、それじゃたぶん足りないよ」

 うん。そうだね。男女の人数が同数だった場合、足りないよね。僕は頭の中で簡単に計算して、心の中で同意する。

「じゃ、男七千円、女子四千円でいいよもう」

「それじゃ、余る」

「だからな、問題は数字じゃないんだ。余ったら幹事がとっときゃいいし、足りなかったら幹事が払うんだよ」

「えー。そんなどんぶり勘定でいいの? それに、どんぶり勘定でざっくり金額を言うのが良くて、明朗会計を主張する方が頭悪そうに見えるってなんだよ」

 僕もその意見には賛成だ。お金の事は公明正大にしておいた方がいい。ま、十円単位、一円単位までするのは行き過ぎだけど。

「あのな、女ってのは、公平を正義の御旗のように振りかざすけどな。アイツら、自分が得する分には公平じゃなくて全然構わないんだ。そしてな、アイツらは、数字という理性じゃなくて、『なんとなく楽しかったー』ってイメージ、感性で全てを処理する生き物なんだ。だからな、オマエのあの割り勘宣言は悪手中の悪手、最悪だ」


 斜め前の男の言葉は分からなくはない。でも、それ以上に、今までリズミカルに会話のラリーが続いていたのに、隣のメガネ男子の発言が詰まってしまったのが気になる。

 首を曲げて真横に座っている彼の顔を見たいという衝動を必死に抑え、僕はラップトップで仕事の続きをしようと試みる。だけど、まいった。遅々として進まない。

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