やめろー! オレをお兄ちゃんにするなー!

「いや、待て待て……! 服を! 着ろ!」


「ぐひひ……! 嫌です! だって、先ほどの覚悟を決めた時の奏斗くんの顔が凄く格好良くて……! あれを見て脱がずにいられますか!? いられませんよねぇ!?」


「脱ぐな! 脱がないで我慢しろ!?」


「むふふ……! 後で隠したカメラで何度も見返してみましょうかね……!」


「隠したカメラって何!? ここにも隠しカメラあるの!? というか笑い声おかしくない!?」


「ふへへ……! 今までずっと外面モードでしたので……! それに社長令嬢を舐めないでくださいな! そんなモノ、この倉庫に10個は無断で用意させて頂いております!」


 彼女の言う外面モードとは、教室や入学式で俺たちに見せてきた完全無欠な美少女像であるのだろうが──いや、だとしてもこんなのが音無静香の本性……もとい『しのぶ』の中の人であるという事実にオレは耐えられない。


 解釈違い、という言葉はこの時の為に存在していたのだと思う。


「というかなんで音無さんはエロASMRを販売してんだよ!? 未成年の販売は普通に考えてアウトだろ!?」


「残念でしたね奏斗くん! 18禁作品は『18歳未満が見てはいけない』ではなく『18』のが正しいのです! ですので、18歳未満が作品を見ても罰せられることはありませんし、18歳未満がエロ作品を作成しても罰せられる事はありません! 最高ですね!」


「クソが! でもよぉ! いくら法律が良くても学校がエロASMRの販売を認める訳がねぇんだよなぁ!」


「それはそうですね。実を言うと『しのぶ』の活動は完全に私の趣味なのです。だって、他人に自分の恥ずかしい声を聞いてもらうって最高ではありませんか!?」


「オレはこんな変態女の声で気持ちよくなっていたのか!?」


「ムフッ……! ムフフ……! 奏斗くんの声で罵倒されるの気持ちいい……! 嗚呼もっと私を蔑んで……!」


「随分とマニアックなド変態だな!?」


「ぐへへ……! エロASMRは両親にも内緒にやっています! ですので、結婚して墓まで一緒に持っていきましょう? さぁ! さぁさぁ!」


「クソ、こいつ無敵かよ……!?」


 本当に頭が痛くなってきた。

 オレの相棒のヘッドホンはこんな女の血族から産まれたという事にも普通にショックだし、オレはこんな女から出される声で癒されていたという衝撃的すぎる事実で驚きを隠せない。


「話は変わりますが、私は大学を卒業すると同時にお父様から会社を引き継ぐという約束をさせて頂いております」


「急に話変わりすぎじゃない……!?」 


「現に在学中の今でも、すでに簡単なビジネスを勉強がてら一任されております」


「マジかよ、こんな頭おかしいヤツに引き継がせるって音無株式会社終わったな。こんなのが社長のヘッドホンは俺でも嫌だよ」


「実を言いますとですね。私たちが暮らしているアパートがあるじゃないですか。あれ、私のアパートなんですよ?」


「──は!? そんなの初耳なんだけど!?」


「あのアパートは私が出した利益だけで購入し、私が管理している物件なのです」


「頭コレなのにどうして有能なんだよ⁉ だからか! だからオレの個人情報が筒抜けなのかよ!? 何やってんだよオーナー! お前じゃねぇかよオーナー!」


「お父様を保証人にして組み立てたローンでの購入ではありますが、近年中に返済も終わります! だって、奏斗くんと一緒に暮らしたかったので! 私、すごく頑張りました!」


「頑張るの範疇超えてないかなぁ⁉ 音無さんはまだ高校生だよなぁ⁉」


「で、す、の、で! 私は奏斗くんに一切の不自由をさせない自信があるのです!」


 そう言うと、彼女はぐいぐいとこちらに身体を寄せてきた。

 彼女の華奢な身体と、余りにも真白な肌が、余りにも男性の身体の構造と違いすぎていて、俺は押しのける事をするどころか彼女に抵抗さえ出来なかった。


 こんな綺麗な身体に触れてはならないとでも言うべきか、余りにも現実離れしている現状に逃避したいが為なのか、どちらにせよ、オレは彼女に一切の抵抗をすることが出来ずに、事前に床下に敷かれていた体育用のマットの上に倒されてしまう。


 ──傍目から見れば、オレは音無静香に押し倒されていた。


 彼女から垂れる黒髪が余りにも綺麗で。

 はだけた制服から見える肌にどうしようもなく意識して。

 赤みを帯び、年端もいかない子供のように嬉しさだけで構成された表情が、窓から差す夕日の光できらめいていて、どうしようもないぐらいに綺麗だった。


「結婚しましょう! 奏斗くんは一切働かないでいいから結婚しましょう! 私たち、最高のパートナーになれるとは思いませんか!?」


「思えねぇ!?」


「むう……! 何故なんですか……! 私、こう見えても着瘦せするタイプだったりするですよ? ほらほら、触って確認して下さい!」


 そう言うと、彼女はオレの腕を掴んで、自身の胸に触らせてきた。

 余りにも自然すぎる動作だったので、オレは思わず彼女の胸を直に触れてしまって──!


「──な!?」


「ふふ、どうですか。初めて触った女性の胸の感想は……?」












「──凄いまな板だよコレ! 着痩せすぎだよ!? というか胸のパット落ちてる!? これじゃ音無じゃなくて胸無だよ!? 巨乳のイメージを思わせる性格してるのにすごく貧乳じゃねぇか!?」














 彼女は、貧乳であった。

 高校生でこんなに小さい胸の人がいるのだと、俺は世界の広さを思い知った。


 とにもかくも。

 彼女は貧乳だった。


「……………………という訳で、胸を触った責任ぐらい取ってくださいね?」


 今にも泣きそうな声でそんな事を言ってきた彼女であったが、相も変わらず彼女は笑顔のままだった。


 よくよく見れば若干胸を貧乳であると指摘された事による羞恥心ゆえか、表情筋がぷるぷると震えていたし、眼は涙で潤っていた。


「なっ……! 不可抗力だ! オレは音無さんに無理やり貧乳を触らせられたんだ!」


「結婚しましょう? 奏斗くんの人生1つ、私に下さいな?」  


「それ結婚じゃなくて、オレがヒモになるだけじゃん! いや、凄くいい生活だとは思うけど! そんな事をしたらオレが凄くダメな人間になる事が目に見えて分かる!」


「でしたら! お仕事を頑張った私を、奏斗くんがとびっきり甘やかしてください!」


「……は?」


「帰ってきた私の頭を撫でて! 一緒にお風呂に入って! 一緒にご飯を食べて! 一緒に動画を見て! 一緒にASMRを作って! 一緒のベッドで私を抱きしめて寝て! 一緒に夜明けのコーヒーを飲んで二度寝して! 眠い目を擦りながら一緒に朝ごはんを食べて! 二度目のおはようを言いながら登校しましょう! それらを毎日欠かさずやりしょう!」


「あの、雑用とかそういうのは……」


「雑用ですか? ふふっ、そんなのお手伝いさんに任せればいいですよ!」


「ご飯とかは……」


「大丈夫です! お手伝いさんに任せちゃいましょう!」


「掃除とか、洗濯とか……」


「──三度も言わせないでくださいね」


「……はい、逆らってごめんなさい……」


 こういう時に限って、教室内での独特な迫力を持つ音無静香に戻って欲しくなかった。


 目の前の彼女には微塵にも思わないのだが、外面モードの時の彼女は有無を言わせない威圧感があるというか、笑顔が妙に怖いというか、自分を子供だと思い込んでいる大人というか、とにもかくもそんなイメージがある。


「さぁ! さぁ、さぁ、さぁ! さぁさぁさぁさぁさぁさぁ! どうですか!? 結婚しましょう! しましょう? ね? ね! ね! ね! ねー! 結婚しましょうってばー!」 


 それはそれとして、外面モードでない時の彼女は余りにも別人すぎて逆に怖い。


「……いや、ちょっと、都合が良すぎて、逆に怖い……」


「なんでぇ!? いーやーだー! 甘やかしてくださいよー! みーなーとーくーんじゃないといーやーでーすー!」


「うわぁ急に駄々をこねるなぁ!」


 入学式や教室内で見せてきたような静謐でどこか浮世離れした美少女を思わせる彼女とは裏腹に、今目の前で嫌だ嫌だと騒ぎまくる彼女は余りにも幼すぎるというか、本当に同一人物なのかどうかさえ怪しんでしまうほどに別人すぎる。


「というか、何でオレにこんなにも迫ってくるんだ!?」


「だって、私の声が好きだって言ってくれたじゃないですか!」


「それだけ!?」


「それだけで好きになりました! そんな理由じゃダメですか⁉」


「えっと……声、だよな?」


「えぇ、そうです。声! 私だけにしか出せない声! そんな私の声を聞いてくださったんですよね?」


「あぁ。勿論だ。しのぶの全て音声作品は全て購入済みだ」


「……そ、そうなんですか? ……へー?  ふーん? へー? ……えへへ……! あの、その、どどど、どうでしたか!?」


「うわっ」


 興奮した音無さんの綺麗すぎる顔が近付いてきて、オレは思わず俺は反射的に後退る。

 まるで子供のように目をキラキラとさせながら、彼女はオレに素直に感想を求めていた。

 

「どうでしたかどうでしたか!? 私の演技! どうでしたか!?」


「どう……って、え?」


「例えばその……! 例えば……そう! 上手だったとか……! なんか上手とか……! なんか……その……こう……! すっごく上手だったとか……!」


 なんか急に語彙力が死んでいる彼女であったが、オレはそんな彼女に、いや、しのぶに率直に感想を申し上げた。


「しのぶの声に上手い下手という概念は存在しない。しのぶという声は一種の概念であり正義でありルールだ。しのぶという声は俺に様々な作用をもたらしてくれる。例えば幸福感。あれは中毒症状に近いな。後は──」


「ちょ、ちょ、ちょ! ストップストップ! ストップですよ奏斗くん……!?」


「おい止めるな。オレはしのぶのお兄ちゃんだ。しのぶの声についての感想なんて240時間は余裕だ」


「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ! 嬉しいッ! 嬉しい! ファンだ! 本当のファンだ! こんな私なんかにファンが出来るだなんて嬉しい……!」


 彼女は自分を包み込んでいるのであろう幸福感に流されるがまま、平素の彼女からとても想像できないようなだらしない笑顔を浮かべていた。


「そんなに、嬉しいものなのか?」


「嬉しいに決まっているじゃないですか! だって、こうして私のファンだって断言してくれる人だなんて産まれて始めてで……!」


「そうか? 意外と『しのぶ』の活動を支持してくれている人は多いぞ?」


 確かに彼女のASMRの知名度は高いとは言えないが、それでも『しのぶ』の声に可能性を信じて応援してくれているファンは少なからずいるはずだ。


 だが、そんなオレの考えに反して、彼女の顔は若干曇っていたように感じ取れた。


「いや、でも、ほら……ネットじゃないですか? 文面だけで褒められてもどうしても信じられないって言いますか……」


「なるほど、理解した。確かにその気持ちは分かる。だからリアルで『しのぶ』のファンと出会えて嬉しい訳と」


「……御明察です」


 彼女、音無静香はどうも……こう言ってはなんだが中々のコミュ障の気がしてきた。


 いや、別に彼女がコミュ障だからと言って差別する気は毛頭ない。

 

 というのもオレもコミュ障なのだ。 

 よく幼い時から『お前も俺の推しの声を聴かないか?』とヘッドホンを片手に同年代の子を追いかけまわしていた過去がある。


 あの時のオレはただ単に自分の好きなものを他者にも共有して、分け合おうという考えで行動していた訳だが……今思えば相手の気持ちを無視した大変酷いものだったという自覚がある。


 やはり、声優の声は息子と共に聞くに限る。


「いやだってほら、もし私の演技がですよ? 聞くに堪えないような演技だったとするじゃないですか?」


「あぁ⁉ しのぶの演技が聞くに堪えないようなモノである訳がないだろうが!?」


「ひっ……!? 嬉しい事を言うのはありがたいんですけど、いきなり大きな声を出すのはは止めてくれません……!?」


「いやだって、そんな仮定があり得る訳がないだろう。しのぶの声は世界一だからな」


「──っ~~~~⁉ おおおお、お、おだてても、別に何も出ませんよ……!?」


「俺は事実を言っているだけだが」


「何でそんな洒落たセリフを恥ずかしがらずに言えるんですか……!? う、羨ましい……! やっぱり結婚しましょう……! ね、ね、ね……? 結婚しちゃいましょうよ……⁉ 私たち、絶対に相性抜群ですってば……!」


「それはそれ! これはこれ!」


「くっ、どうしても私と結婚したくないと言うのですね……!」


「したら人生終わりそうだもの!」


「かくなる上は仕方ありませんね……! この手だけは使いたくなかったのですが……! だって、私というオリジナルには魅力が一切ないって認めるの嫌ですしね! ……ふ……。欲しかったなぁ……胸……それさえあれば、きっと奏斗くんも私の事を絶対に好きになってくれたのになぁ……」


 などと、いきなりネガティブな負のオーラをまとった彼女は、こほんと、わざとらしい咳払いを1つしてみせて──。







『──ねぇ。しのぶと結婚しようよ、お兄ちゃん?』










 オレの妹である『しのぶ』の声で、否、無理矢理にオレの意識を奪う催眠音声を用いて襲いかかってきた。

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