妹の言う事聞いてね、お兄ちゃん?

 ホームルームが始まり、特に何事もなく終わろうとして、休み時間に入ろうとした矢先に音無静香ヤツはついに動いた。


「すみません、先生。私、目が悪いので一番前の席……奏斗くんの横の席に座ってもよろしいでしょうか?」


「……は?」


 オレは思わず戸惑いの声を口にしてしまったが、全校生徒の目の前で模範的な優等生としての姿を見せた彼女の意見を先生が断るはずもなく、ましてや身体的な都合も相まって、あっさりと彼女のお願いを承諾した。


 そりゃあ、新入生の中で一番成績が良かったからその成績を下げさせる訳にはいかないという先生方の思惑も重々承知ではあるのだが……オレが思う戸惑いはそんな事ではない。


 どうして、彼女は今朝の事やヘッドホンでの事があったというのに、何故オレに近づいてくるのか?


 普通に考えて、こういう場合は不干渉するべきだろう。

 彼女が本当に『しのぶ』であるかどうかは置いておいて、普通の人間であれば距離を取るのが妥当だ。


 だというのに、彼女はこうして距離を縮めてくるのだから、いよいよ彼女が何を考えているのかさえも分からなくなってきた。


 オレがそうこう悩んでいる間に彼女は優雅な立ち振る舞いで俺の隣にいた生徒と話していた。


「という訳で、席、代わっては頂けないでしょうか?」


「ひっ!? は、はい、ど、どうぞッ!」


「ありがとうございます。これからもどうぞ宜しくお願い致しますね……それから、彼の事をいじめたり、仲良さげに話でもしたら……ふふっ」


「はい! 分かってます! 絶対にしませんよそんな事!」


「ありがとうございます。これからもずっと仲の良い友達でいましょうね」


 ……先ほどの彼女とのやりとりでどうも、隣の席の女子生徒は音無静香に苦手意識を持ってしまったらしく、彼女の言う事に一切逆らわないように調教されていた。


 隣の席のクラスメイトはなんだかんだで腐れ縁になるとはよく聞くけれど、実際問題、隣に座っていた女子はかなりレベルの高い容姿であった。


 だがしかし、端正な顔立ちをして独特な存在感を放ってみせる彼女と比べてみれば、元隣の席の女子なんて取るに足らない存在のようにも思えてしまった。


 そんな音無静香の静かな迫力に、オレは思わず魅せられていた。


「急に席を変えてしまってすみません。音無静香と申します。宜しくお願いしますね──奏斗くん?」


 まだ名乗ってもいないはずのオレの名前を平然と、しかも下の方の名前の方で口にして、彼女は優雅に笑ってみせた。


 とても今朝遭遇してしまった女子とはとても思えないような余裕たっぷりの笑顔が、まるでこちらの考えている事なぞ御見通しであると言いたげな表情のように思えてならない。


 まるで身体中に蛇が這いずり回っているかのような恐怖感さえ感じられたが──そんな事なぞどうでもいいと思わせるぐらいの彼女にオレは心を奪われつつあった。


 だから、だろうか。


「こちらこそ宜しく。──?」


 オレは彼女の余裕を崩したいと思ってしまった。

 そんな思いがこもった言葉を受けて、ぴくり、と彼女の整った眉が動いたが、彼女は依然として静かな笑みを保ったままであった。


「あぁ、すまない。間違いをしてしまった」


「……ふふっ。奏斗くんはあわてんぼうさんなんですね? 私は音無静香ですよ。さては私がしのぶさんという方に似ていたので勘違いでもなさったのでしょうか」


「おや、おかしいな。俺はまだ『しのぶ』は人間であるとは口にしてはいないのだが」


 オレがそう言うと、彼女は嬉しそうな笑顔を見せて、口元を手で隠しながら、鈴が転がるような綺麗な声で笑ってみせた。


 ──いや、そこはどう考えても笑う余裕なんてないはずだろう。

 だというのに、彼女はまるで余裕だと言いたげに笑ったのである。


「奏斗くんは面白い人ですね。ですが、文脈から察するにその『しのぶ』とやらはあたかも貴方の大切な存在のように扱っていらっしゃると思ってしまいましてね。ですから、自然と大切な存在だと分かってしまったのです」


「あぁ、お察しの通り大切な存在だ。オレは毎日、彼女の声で元気を頂いている」


「それは実に感動的な話ですが──おかしいですね? 小耳に挟んだ話ではその『しのぶ』とやらは確か18禁作品に携わる方では?」


「……音無株式会社の社長令嬢がよく知ってるな」


「仕事の関係上、そういうのには幾分詳しいものでして。しかし、貴方の発言は──未成年でありながら、そういうモノを買い、そういうモノで楽しんでいるという告白に他ならないのでは?」


 罠にハメたつもりであったのだが、どうやら罠に引っ掛かってしまったのはどうやらこちらの方らしい。


 安易に近寄りすぎたと後悔した俺を見て、彼女は再び余裕たっぷりな笑顔を浮かべて。


「──放課後、どこかお出掛けしませんか? お互いの今後の為に、ね?」

 

 ぞっとするような綺麗な声で、けれどもどこか『しのぶ』を思わせるような声でそう言ったのだ。


「……分かった。場所はどこにする?」


「そうですね。丁度人がいない場所に覚えがありますので、そこに来てくださいますか?」


「どこだ?」


「後でスマホのメッセージに送っておきます。電話番号は既に知っていますのでご安心を」


「……いや、待て。なんでオレのスマホの電話番号を知っている……?」


「調べましたので。それではまた放課後に会いましょうね」


「……分かった」


「──? ?」


「っ!?」


 耳元で再び『しのぶ』を思わせる声で彼女はそう言って、不敵な笑みを浮かべたまま、彼女は余裕たっぷりと言いたげに歩いて教室の外に出ようとした。


 もうここまで来ると、いよいよ彼女は『しのぶ』である事を隠す気が更々ないのではという疑問が浮かんでくるが、俺はそんな訳があるはずがないと頭を振る。


 一体どうして、こんな俺に『しのぶ』がわざわざ正体を教えたがる?

 オレには利点があるかもしれないが、彼女の方にはそういう利点が一切存在しない。


 普通に考えて、自分の正体が周囲にバラされてしまうリスクがほんの一握りでもある以上、そんな事を自分からするのは愚の骨頂としか言いようがない。


 オレは思わず、教室から出ようとする彼女の手を後ろから、引っ張るように握る。


「……あら? 随分と情熱的ですね、奏斗くん」


「そりゃそうだろ。だって、音無さんが何を考えているか分からないからな」


「なるほど、それは失礼いたしました。であれば、分かりやすく行動で示すべきですね」


 そう言うと、彼女は俺の手を振り払い、両の手でオレの頬に手を添えたかと思うと。







 ──彼女はいきなり口づけを交わしてきた。





「っ!?」


 彼女の唇がオレの唇をこじ開けて、彼女の舌がオレの口内に侵入してくる。


 驚いて反射的に離れようとすると、彼女は逃がさないと言わんばかりにオレの胴の周りに腕を回す。


「──んんっ……んちゅ……」


 彼女の舌が、オレの舌を一方的に絡めとる。

 彼女の唾液とオレの唾液が無理やり混ざり合う。

 彼女に捕食されるように、オレは一方的に蹂躙され。

 息が苦しくなって呼吸すると同時に、彼女の暖かい吐息がオレの中に入ってきて。


 けれども、オレと彼女の心臓音は不思議と、一つになっていた。


 当然、この場はクラスメイト達がいる教室であるので、クラスメイトのほぼ全員が突然の出来事に対して、オレたち2人を凝視していた。


 しかし、彼女はそんなことなぞどうでもいいと言いたげに、周囲に見せつけるように、まるで子猫のように体をくねらせながら、オレとのキスを一方的に続けていた。


 そして、永遠を思わせるような時間の終わりを告げるかのように、彼女はオレの唇から離れた。


「……ふふっ、ご馳走様でした」


 離れた彼女とオレの口の間には、粘着質になった唾液で繋がっていた。

 まるでお互いの涎が雨露に濡れて光り輝く蜘蛛の糸のように、オレと彼女が一時的に繋がっていた事を周囲に見せびらかしているかのようだった。


 オレは彼女のモノなのだとマーキングされてしまったような倒錯的な感情が体内で暴走していて、考えがまとまりそうになかった。 


「おかわり、してもいいですよね?」


「だ、駄目だ。いきなりそんな……」


「……?」


「ッ⁉」


 まるでではなく、あたかも本物の『しのぶ』の声で彼女がそういうのと同時に……俺は本当に身動きが取れなくなってしまった。


「もう貴方は私の声に対して永遠に逆らえません。そうなるように、たっぷり調教してあげましたから」


 一体全体、どうして動かないのかと困惑するオレを他所に、彼女は怪しい笑みを浮かべながらそう言って、恋する乙女のように頬を赤らめながら近づいてきて──その後、オレは休み時間が終わるまで一方的に彼女に襲われていた。

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