伊達じゃないメガネ

八木寅

第1話

 私がメガネをかけ始めたころの思い出を語ります。


 私の視力が落ちだしたのは、小学校3年生くらいからでした。90年代のあのころは、メガネはオシャレとして楽しむものではありませんでした。

 小学生ではメガネをかけている人は少なく、恥ずかしいもので。私はメガネをかけることをためらっていました。

 視力がよくなるものならなんでも試しました。視力がよくなる音波器機という怪しい商品も使用しましたが、私の視力は落ちてく一方で。小5のころには黒板の文字に困るようになり、メガネをかけることを決断しました。


 でも、どうしてもメガネがイヤで、なんで視力が悪くなったのか考える毎日でした。テレビを近くで見てるわけでもないし、ゲームもやってないし、本も正しい読み方をしていたはず。原因があるとしたら、遺伝くらいなものでした。母も祖母も視力は0.1以下。絶対これは遺伝だなと思いました。そんな母、祖母もメガネを嫌がり、コンタクトレンズをつけていましたので、メガネがいいものだと思うことができませんでした。余談ですが、私のパートナーは幼少期からゲーム三昧ですが2.0あります……うらやましい。


 けどある日、メガネがかっこよく思えるときもあるなと、気づきました。それは、学者や医者や名探偵。頭のいい人がかけてるメガネはかっこいいし、似合う。

 ならば、頭がよくなれば、メガネが似合うんじゃない?


 そんな仮説を小5の私は立て、実行することにしました。つまり、メガネのおかげで、勉強のやる気スイッチがはいったのです。

 それまで私は、落ちこぼれでした。理解することや暗記することが困難でした。どんなに頑張っても九九は覚えられず、居残りになったこともありました。人の倍は頑張っていたと思います。それでもダメでした。

 じゃあ、頭がよくなるにはどうするか。小5の私が出した答えは、倍頑張ってダメなら10倍やればいい。

 自分なりにたくさん勉強しました。

 その結果、テストの点数がだいぶ上がりました。

 メガネが似合うようになったかはわかりません。ですが、このメガネは伊達じゃないって、ひそかにニヤニヤしてました。

 私のメガネは伊達メガネでない伊達じゃないメガネだぞって、ね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

伊達じゃないメガネ 八木寅 @mg15

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画