自称ASDに仕える天使と悪魔

ロカ

第1話 自称ASDの独り言

「この曲…何回聴いたんだろう」


真夜中にふと呟く。


日時は2月24日土曜日、時刻は午前3時をちょっと過ぎていた。


僕は読んでいた本にスマホを挟み、iTunesを開いた。購入してから3日しか経っていないその曲の合計再生回数は丁度200回。四分ちょうどの曲を200回聴いても飽きる事はない。



こだわりはいつからあったのだろう。いや待て。そもそも、”こだわり”とは何か。


この言葉を今まで何となく使っていたので、この際PCで調べてみる。



こだわり…『拘る』とは「ちょっとしたことを必要に気にする。気持ちがとらわれる」と書いてある。


まあ、自分や他人に危害を与えるこだわりは問題だが、無害なこだわりなら別にいいだろう。




「そんな事より…だな」


ただの溜息を、ひとつ。




僕は、対人関係で度々苦しんだ。義務教育、高校、大学…ずーっと自分のせいで。



僕は、昨年新卒で就職したが、すぐに病んでしまい退職してしまった。いや、働きたい意思はあったから”させられた”と言って良いかもしれない。特に人間関係や業務上で困った訳ではない…分かりやすく表現するなら「自滅」


社会のレールから外れた後は、現在まで薬を飲みながらただなんとなく過ごしている。




ルーティン化した日常生活を送りつつ、読書したり、運動したり…


でも大半の時間は自分の事を考えるのだ。






僕は他人が分からない。おおよそ知っているのは家族だけ。両親、そして妹の三人である。




振り返ってみると、同年代には散々虐げられた。


イジメは小3から中2まで受け続けた(小5だけは何もなかった)。それでも家族に迷惑をかけたくないという一心で、一応は学校に通い続けた。小学生時代は携帯ゲームのおかげ、そして中学生時代に通い続けられた理由は多分、”部活が楽しかったから”だけだったと思う(部活仲間には本当に恵まれた)。




後になってとある人から『君は強い心を持っているから尊敬する』と言われても嬉しい気持ちは一瞬、その後「今の自分は?」となり、僕は少しだけ憂鬱になるのだ。




高校からは一転、イジメはなくなった(いじられる事はあったが)。2年生の夏までは中学時代の部活仲間と遊びほうけた。義務教育期間にほぼ誰とも遊ばなかったためか、その反動はすさまじく、他人と楽しく遊ぶ快楽に酔いしれた。そのせいで全く勉強しなくなり、テストは赤点すれすれ、大学受験は勿論、お察し下さい…である。




問題だったのは勉強だけではない。対人関係の未熟さ故に、度々問題を引き起こしてしまった。


高校1年の時、かまちょを炸裂させてしまい中学時代の部員に迷惑をかけてしまった。面白半分で妄想が行き過ぎた。結果、絶縁されたのはしょうがない。あれは完全に僕が悪い。




そして、大学1年生になりたての頃…入学式が終わり健康診断や履修登録をしていた時に、僕のせいでとある重大な事件を引き起こしてしまった。しかも、僕の友人も巻き添えにしていまったのだ。




事件の詳細を語る前に、僕の友人…高校2年生の夏休み明けから親交を深め始めた『S(仮名)』を紹介したい。彼とはクラスメートで僕から話しかけたと思う。そこから趣味やネットスラングを教えて貰った。結局、僕はそれにハマってしまい、大学受験にも響いてしまった。Sがセンター直前に彼女とイチャイチャしていたと自慢げに話していたのは今でもよーく覚えている。




そのようにして僕は滑り止めにしか受からなかったのだが、直ぐにある事を知った。それは受かった大学に、僕やSと同じ趣味を持つ2個上の先輩がいたのだ。




なんて幸運なのだろう!3月はずっとそれしか考えられなかった。Sとは別の大学だけど、先輩がいるなら安心できる…と。




だがその幸せも、翌月の4月上旬をもって地獄へと変わった。きっかけはその先輩に対して、ちょっとした無礼を働いたこと。たったこれだけだし僕としてはちゃんと謝罪したつもりだったが、許して貰えず…そのせいで僕はSと先輩が参加している界隈(規模は20人位かな?)から追放されたのだった。




Sから言われたのは、「お前のせいで俺達(彼には友達が複数名いた)が先輩方と築き上げてきた全ての関係が崩れたんだよ。謝罪した?あれの何処が謝罪なんだよ!お前には失望した」それが翌5月中旬の事。その後、僕はS達やその界隈とは絶交しようと心に決めた。




大学へ行くのも億劫になった。でも、とにかくあの先輩と会わなければそれでいい。先輩が卒業するまでの間は1ミリたりとも目を合わせたくないので、学内では少し目線を下げて歩いていたのをよく覚えている。




今になっても不思議なのだが、何故アレがきっかけでこんな大事になったのかよく分からない。それは僕が自称ASDだから分からないだけなのだろうか?


そもそも、これを事件と呼べるかもよく分からないが、とにかく僕が迷惑をかけた事には変わりない。




振り返るとSには本当に迷惑を掛けた。今でも覚えている事がある。あの事件から数ヶ月が経ったある日、僕が妹とゲームをしていた際、突然彼から連絡がきた。その内容は「あの事件は君自身も勿論悪かったけど、俺自身も悪かったと思う。あの制裁はやり過ぎだった。だからよりを戻したい」だった。




絶交しようと心に決めていたハズ…なのに僕の気持ちは真逆で、本当に嬉しかったとしか言いようがなかった。だって自分からはもう連絡する気は無かったのだから。




けど僕は、よりを戻してからも度々自称ASDぶりを発揮してしまい君を困らせてしまったと思う。


あの時僕はとても嬉しかったんだ…でも、今になってこう思う。「Sがよりを戻そうとしなかったら、君はもっと幸福な人生を歩めたのではないのか」


そう思うと、少し憂鬱になるのである。


今ではSも立派な社会人として活躍している。…どこで仕事しているかは分からないが、タバコはほどほどにね。






例の事件を除けば、それ以降の大学生活はまあまあ楽しかった。一度だけ拘りを爆発させてソシャゲのイベランで1桁取ったり、旅行したり、ライブを見に行ったり…。


ちなみに旅行やライブ鑑賞では、他人に対して特に迷惑をかけてはいないと思う。遅刻をしたり忘れ物をしたことは1度たりともなかった。前日までにある程度の計画を立てておき、一緒に行く人とは数ヶ月前から密に連絡しておくことで、当日不快な事にならないようにする。つまり、”防げるものは防ぐ”という算段がハマったのだ。




でも僕はふと思う「もし、大学生活初っ端にあの事件が起きなかったら」と。ま、楽しかったならそれでいいんじゃないかと納得もしていますけど。






それからは感染症が蔓延して、全てが変わった。そして就活。就活はストレスの連続だった。僕は非現実さを求めて、求めた先がノベルゲーム…美少女ゲームと出会う事になる、ハマるととことんやるのが僕なので、それからの約1年間…(就職先が決まって4月から働き出すまでの間)就活中を除いて四六時中やり続けるのだった。






ところで…何故僕は”自称ASD”と言うのか。


それは、僕自身が薄々認識しているからだ。これまで家族や他人からは『ASDじゃない?』とか言われてないし、多分ちょっとした気の緩みからだろう。「ASD」なんだと自覚してこれからはちゃんと自制したら大丈夫だと思うから。それに、そう診断されたところで大した治療薬もないらしいし。




結局、対人関係の拗れは全部僕が悪いんだ…と言い聞かせている。




小2から中2まで、イジメを受けていたのは勿論、一人遊びが好きでほぼ誰とも遊ばなかった僕はどこまでも幼稚なのです。




そんな幼稚さを隠すためには、理性で縛らなくてはなるまい。ただ、人間なのでどうしても緩んでしまいがち。そこを神様は見逃さない。






同年代以上の人間とは度々問題を起こす一方、年下と関わった際は全く問題が起きる事はなかった。中でも印象に残った人達を少しだけ紹介したい。




例の事件が起きてから翌五月上旬頃に、僕はSNSの垢を作り直した。そこで出会った当時高校一年生の新規フォロワー『W(仮名)』とは結構な近所だと判明し、翌6月上旬に近くのカラオケに行って歌った事は、今でも忘れられない。絶望のどん底から救ってくれたのは、間違いなくWだったのだから。




声優に問題発言的リプを送り、垢バンされてそのまま受験生になった元フォロワーの『T(仮名)』…元気にしているだろうか。君との時間は本当に楽しかったよ。某ライブの時に、Tがとある施設にモバイルバッテリーを忘れてしまい、それを僕が取りに行き一時的に保管していた際、その絵柄は《蒼の彼方のフォーリズム》だったな。当時は何も知らなかった。だけど、僕もノベルゲーマーになった今なら分かるよ。あ、でも”あおかな”はまだプレイしてなかったな…


Tの同級生である『T2(仮名)』も同じく楽しかったけど、一方で「ごめんな」としか言いようがない。あの11月のライブは、T2が急遽用事で行けなくなったから、代わりにTが僕を指名してくれて行くことになった。で、そのライブの席…実は最前だったんだ。アーティストのパフォーマンス、Tと共に酔いしれた…一生記憶に残るほど凄かったよ。






もう一人、紹介したい人がいる。それは僕よりいくつか年上のプロスポーツ選手。職業は競輪選手で、輪界のビッグレースであるG1にも出場した関東が誇る自在型選手だ。


彼との出会いは、またしてもSNSだ。


昨今の感染症が流行った際、競輪界も大打撃を受けた。開催中止が相次いだ中で、彼は配信を通してファンの人達と交流をしたのだ。その際に僕も配信にお邪魔した。そこから一緒にゲームをするようになった。



ある時、彼は「マイクラをする」って言った。僕は全くやった事はないけど、面白そうだからという理由でやる事にした。最初は訳も分からず、マグマダイブ&全ロス&即フラグ回収をしてしまった…多分その時から自称ASDぶりが出ていた気がする、どうしても最初は周りより覚えが遅いから…。でもそんな僕に対して、彼は優しく丁寧に教えてくれたのだ…確かハウルスキンで。おかげ様で、大分上達しました…得意分野は整地です。



この選手がいなかったら、僕はマイクラの面白さに気づけなかったと思う。もし僕がとあるゲームの経験者で初心者の方と一緒にゲームするってなったら、彼みたいに優しく丁寧に教えて、そして楽しめたら良いなって思う。



彼には他にも麻雀の楽しさ、そして勿論競輪の楽しさも教えてもらった。感染症蔓延で競輪開催が中止になった僅かな時期だったが、本当に楽しいひとときだった。ありがとう。




競輪選手としては、今は少し低迷しているが、きっと復活してくれるに違いない。


プロの世界が厳しい事は重々承知しているが、彼が復活してくれると信じて僕はこれからも応援し続けます。






あとは…あ、もう一つあった。


それは新卒で入社した会社を退職して少ししてからの話。僕は平日に「猫の島」と呼ばれる島に観光しに向かった。そこでベンチに座り猫達とふれあっていると、僕の横におじいちゃんが座った。服装から見ておそらくこの島に住んでいるのだろう。多分平日に来た僕が物珍しかったからだと思うが、話しかけられた理由は分からない。そこでその人と色々な話をした、有意義な時間だった。


話を聞くと、どうやらこのおじいちゃんはこの島で真珠養殖の仕事をしていらっしゃるとの事。二時間ほど話をして、その人はベンチを立った。




家に戻り、調べてみる。するとこのおじいちゃん、なんとこの島の真珠養殖の社長さんだった。僕はビックリした。社長と話していたんだと思うと、なんだか凄いなと思った。




あの時は全く知識というものが不足していた。でも今では本を読んでいるのでもっと有意義な話が出来ると思います、またお話しができたら幸せですね。


本当に猫の島に住んでいる人達は温かい…またいつか訪れたい。



…こんな感じで、僕は気がついたら妄想に耽り、妄想から溢れた分を独り言として昇華している。これはイジメられていた時の名残であり、孤独を癒やすための防衛反応だと思っている。


これを直せと言われても、無理だと言わざるを得ない。その理由は、僕は一人ではないから。他人には見えないし聞こえないけど、僕だけには聞き取れる…姿形はその時々によって変わるけど。


そう、僕は一人ではない。僕には”天使”と”悪魔”が仕えているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る