めがねを拭く男

月狐-gekko-

第1話

「さっぶ!!」


 ダウンジャケットにマフラー、手袋と耐寒装備はフル装備だというのに顔への冷気は防ぐことが出来ず、温かさを生まないデニムの冷たさも相まって涼太はつい口に出してしまった。


「ちょっと言わないでよ。余計に寒くなるでしょ」


 隣を歩く杏子あんずが涼太の心の叫びをたしなめる。


「大体そもそも寒そうな名前してるんだからこのくらい我慢しなさいよ。あー、さっぶ」


「名前で暖が取れるなら今すぐ改名してやるっての」


 涼太は悪態をつきながら、杏子の服装がこの寒さを凌ぐには少し心許ないと思っていた。お洒落で可愛い服と短いスカートは基本的に防寒とは相性が悪い。何処かで少し暖を取ってから再度移動した方がいい気がする。


「なあ、ちょっと暖かい場所で温かい飲み物でも飲まないか?流石に冷えすぎて買い物どころじゃないわ」


 涼太がそう提案すると杏子も同意する。すぐ目の前にあった大手コーヒーチェーン店に入り、各々頼んだ飲み物を受け取って二人で窓際のカウンターへと移動した。席に着くと涼太が杏子の飲み物を見て身震いする。


「なんで冷たい飲み物なんだよ。生クリーム乗ってるじゃないか」


「生クリームならウインナーコーヒーにも乗ってるわよ。飲み物の温度とは無関係じゃない」


 涼太の知る限り、杏子は子供の頃からこんな調子である。思考と行動が一致しない。寒いから温かい飲み物を飲む、こういった当たり前の行動原理が存在しないのだ。寒くても暑くても飲みたいものを飲むし、着たい服を着る。


「あのな、高校生活も二年目になるんだからさ。もう少し落ち着いた思考と行動方針に舵切っていかないか。暖を取ろうって入った店でフローズンに近い飲み物頼むなよ」


「いいじゃない、そんなに急ぐ用があるわけでもないし」


「確かにそうだけどさ」


 そう言うと涼太は両手でコーヒーのカップを包んで手を温める。ブラックのままカップを口に運んで香りを楽しみながら喉を潤した。温かい液体が喉を通って胃へと運ばれていくのが分かる。


 今日は、杏子が父の誕生日のプレゼントを選ぶために駆り出された。まだ昼前だし、なんなら百貨店も開店したばかりという時間である。

 確かに時間には余裕があるし、杏子とゆっくりお茶をするのも時間の使い方としては悪くない。

 涼太としては何と表現すればいいのか分からないが、杏子と何かについて話す時間は極めて楽しいのだ。


 そんな風に自分を納得させながら窓の外に目をやると、店舗の前は小さな広場になっており、所々にベンチや備え付けのオブジェ兼椅子といった物が置かれている。

 待ち合わせやちょっとした雑談の場になっているのだろうか、短いスカート姿で地面に座り込んで爆笑している女子高生と思しき一団や、カロリースティックを齧るスーツ姿のサラリーマンもいる。リュックサックを地面に置いたままでスマートフォンを操作しながら運動靴を脱いで蒸れた足を乾かしている。

 横並びにベンチに腰掛けて寒さもスパイスとばかりにイチャコラしているカップルなど、寒空の下だというのに各々のやりたい事に没頭しているように見える。


 そんな中、明らかにおかしな挙動の人物が涼太の目に飛び込んできた。マスクに帽子、眼鏡、スタジアムジャンバーにデニム姿。目深に被った帽子とマスクで顔は見えない。エナメルのスポーツバッグを足元に置いていて、何が入っているのか、ぱつんぱつんに膨らんでいた。


「なあ、杏子。あの男さ」

「ん?ああ。あまり見るもんじゃないわよ」

「変だよな、何であんなに」

「だから、見んなっての」


 杏子が制止するが涼太の言葉は止まらなかった。


めがねを拭いている・・・・・・・・・んだ」

 

 その男が奇異だったのは、めがねを掛けては外し、拭き、そしてまた掛ける、これを十秒程の間隔でずっと繰り返していた事だった。


「眼鏡ってあんなに拭くものか?皮脂で曇って拭くのはわかるけど、あんなに頻繁には外して拭いてを繰り返さないだろ」


「そんなの分からないじゃない。強迫観念的に眼鏡を拭きたくなる、そういう人もいるかもしれないでしょう」


 そういう人がいる可能性は確かに微量とは言え、無くはない。しかし、そんな低い可能性で納得できる程、涼太は大人では無かった。


「いや、おかしいだろ」

「なら涼太は、あれが何だと思うのよ」

「そうだな、例えば……」


 暫く考えこんでから涼太が自らの推理を披露する。

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