エッセイ、他
破死竜
ただひたすらクサかった、とある乗客の話
バスか、電車か。 とにかく、他の乗客も居合わせる乗り物だったと思ってください。それに乗り込んだ途端、平日の夜にも関わらず、ある席の周りに空間があることに気が付きました。 そのことを何となく妙に感じながら、座席の横に立ち――自分は、原則、席に座らない人です――カバンからスマホを取り出し、反対の手で吊り輪を掴んだ、そのときになって、強烈な臭いを感じました。
”匂い”は、漂ってくるものですが、”臭い”は、それとは違い、放たれてくるものなのだと、初めて知りました。 自分は、鼻炎持ちで、またその日は寒かったものですから、何かに乗るときは、マスクをしていました。しかし、放たれた臭いは、その上から、鼻に”突き刺さって”きたのです。
顔を上げると、地味な色の服装の乗客が一人、座席に横になっている光景が視界に入ってきました。 服と同じく、暗い色の帽子を、顔の上半分が隠れるほど深く被り、車内はそれなりに混んでいるというのに、詰めて座れば二、三人が座れるだろうスペースにその身体を伸ばして、一人寝転がっています。その背中と座席との間には傘が一本挟まれて置かれており、その足元では、紐で口を縛った袋が一つ、靴の間に挟まれておりました。
(浮浪者なのかな?)
頭を下げ、視線はスマホの画面に戻しながらも、自分は、目の前の、この強烈な臭いを放つ存在のことを、考え続けておりました。
(何の臭い、と呼べば良いのだろう?)
次に、よぎったのは、そんな考えでした。
(これは、多分、小便の臭いだ。それも、何回、何十回、何百回分もの)
彼/彼女の臭いは、大便でも、吐しゃ物でもなく、小便のそれであるように、自分には感じられたのです。
(ただし、この街中の公衆便所の、小便器を削って粉にして、それをまとめ、鼻の穴に突っ込まれたような、とてつもなく強い臭いだけれどっ)
同じ臭いであっても、これだけ強いと、まるで元とは違う存在のように感じられました。 その”強敵”相手に、自分の脳が選んだことは、他に、よりクサい臭いを想像することで、この臭いのことを客観的に分析しようとする、だったのでありました。
(長い半生、瞬間&最大のクサさに限定してよいのならば、これよりもクサい臭いを嗅いだことがあるはずだ)
そう考えて、過去の記憶を検索したところ、浮かんできた臭いがありました。
それは、化学の授業中に嗅いだ、アンモニアの臭いのクサさ、でありました。
あれは・・・・・・、スゴかった。ほとんど、物理的な力でした。鼻が折れるかと思って、涙が自然に出てきたほどでしたから。
”あれ”との比較で考えてみますと、彼/彼女のことを、乗客たちが嫌がって避けている、その理由は、もちろん、単純にクサいから、ではありますが、それ以外に、アンモニアのように、無色透明な存在が発している臭いではなく、汚れが染みついた色付の存在、このヒトという見た目にも、その一つがあるのかもしれません。少なくとも、自分にそう思えました。
これは、すなわち、化学物質であるアンモニアと、天然由来の乗客という、異種間の臭いのクサさ度勝負なのかもしれません。
そんなことを考えていた自分は、ふと、
(あれ、このままだと、臭いがこちらの服やカバンにも、着いてしまうのでは?)
という考えに、ようやくこのときになって、至りました。
・・・・・・どうやら、クサい臭いの効果で、頭までもやられていたようです。自分は、普段降りる停留所/駅より、手前で、降りることにしました。
(買い物でもして、それから、また乗り直して帰ろう)
そう思いながら、スマホをカバンに仕舞い――自分は、ながら歩きを、いたしません――入口のドアへ向かおうとしたそのとき、彼/彼女の口から、言葉が漏れました。
何と言っていたのか、正確には聴き取れませんでした。しかし、それは間違いなく日本語でありました。
(日本人・・・・・・、とも限らないけれど、少なくとも、日本語話者だったのか)
自分が降りるのは、ただ、この”存在”が強烈にクサい臭いを有しているからであって、国籍も職業も、どうだっていいことでした。さきほど、浮浪者と思ったのは、そうかもしれないと推理しただけのことであって、日雇い労働者だろうが、資産生活者だろうが、この”臭い”には何の関係もなく、そしてまた、自分が受ける被害についても、また何一つ変わりはしません。
ただ、何者なのか、そのヒントにはなるかもしれない、そうは考えたと思います。
(そうなると、自分は、フー・ダニットが、わかっている事件について、ホワイ・ダニットを知りたがっている、そんな状態のミステリファンのようなものなのか)
たとえ、自分自身の身体だろうと、こんな臭いがしていたら、逃げたくもなることでしょう。ただし、その場合には、きっと、なぜ、そんな臭いをしているのかは、きっと確実に知っていることでしょうけれど。
降りた場所から寄った、スーパーでの、買い物の際には、自分、セルフレジを使いました。
そして、再度乗り直し――今度は、臭いを放つ存在は見当たりませんでした――家に辿り着くと、厚い冬物も着ていたにも関わらず、身に着けていた服を、残らず洗濯機へと放り込んで、自分は、風呂へと飛び込んだのでありました。
”寒さから身を守るために、乗り物に乗ることを選んでいたのだろう”と、ホワイ・ダニットへの、自分なりの回答を用意できたのは、翌朝、目覚めた後になってから、のことでありました。
(彼/彼女の背に守られていた、あの傘の絵柄は、一体何だったのだろう)
そんなことを想像している内に、自分は、このことを、この場に書き記しておこうと、そう思いついたのでありました。
終わり
エッセイ、他 破死竜 @hashiryu
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