お嬢様のお心のままに
平 遊
~これって、まさか……~
けれどもつい先日、ひょんなことから、同じ高校の二年生の、
華恋は光留の通う高校の理事長の姪で、理事長は姪である華恋を殊の外可愛がっているとのこと。頭脳も美貌も学内一と評判の華恋は、その容姿に見合う高飛車な性格で、華恋を少しでも傷つけた生徒はなんのかんのと理由を付けては退学させられている、との噂。
実際のところ、嘘か真かは定かではない。だが、華恋と親しくなるにつれ、光留は背筋がヒヤリとすることが増えていた。
『夜明光留君。今から理事長室まで来てもらえないだろうか』
理事長からそんなメッセージが光留のスマホに届いたのは、ちょうど光留が帰ろうとしていた時だった。
えっ……なんでっ!?
直前に華恋から
『わたくし今日は用があるの。だからあなたは先にお帰りなさい』
というメッセージを受信していたため、華恋と一緒に行くことはできない。
理事長の姪である華恋の下僕という立場ゆえに、光留は何度か理事長室へ行ったことはある。だが、卒業まで一度も理事長室に行ったことのない生徒の方が普通なのだ。
俺、もしかしてなんかやらかし……た……?
噂が頭をよぎり、光留の背中には冷たい汗が伝い落ちる。
『わかりました。伺います』
緊張に強張る指でそう返信すると、光留は不安を胸に抱えて理事長室へと向かった。
理事長室のドアの前に立ち、何度か大きく深呼吸をしてから、光留はドアをノックした。
「どうぞ」
いなければいいな、という光留の淡い期待を打ち砕くよく響く低い声が、中から聞こえる。
仕方なく光留はノブに手を掛けると、理事長室へと足を踏み入れた。
「そこへ掛けていてくれないか」
執務デスクで書類に目を落としたまま、理事長は光留へ声を掛けた。言われるままに、光留は指示された応接用のソファへと、恐る恐る腰掛けた。
チラリと盗み見た理事長の横顔が、気のせいか厳しい表情に見える。
もしかしてあれは、俺への退学処分の書類だろうか……
気が遠くなりそうな緊張の中、光留は静かに息を殺して理事長を待った。
「すまないね、待たせてしまって」
そう言って理事長が向かいのソファに腰を下ろした時、光留の緊張は頂点に達した。
「あああの俺っ、退学なんでしょうかっ」
光留の言葉に、理事長は目を丸くして光留を見る。
「キミは何か退学になるような事をしたのかな?」
「わかりません。でも、気付かない内に華恋さんを傷つけてしまったのかもしれない。知らない内に華恋さんを泣かせてしまったのかもしれない。だけど俺っ」
「少し落ち着きなさい、夜明光留君」
理事長の穏やかな声が、光留の言葉を遮る。
「わたしがキミに来てもらったのは、一度キミとふたりだけで話をしてみたいと思ったからだよ」
「……え?」
ポカンとする光留に理事長は続ける。
「何しろキミは、華恋が心を許している数少ない友人のひとりだからね。もっとも、キミは華恋の下僕という立場だが。それでも、華恋はキミにとても心を許している。なぜなのかと不思議に思ったが、キミを見ていて気づいたのだよ。キミにはなぜだかわかるかな?」
理事長の問いかけに、光留はポカンとしたまま首を傾げた。
退学の危機を免れたらしい、という安心感で緊張の糸が切れた光留のボーッとした頭に、理事長の声がただ心地良く響く。
「いえ……」
「だろうね」
小さく笑った理事長は、優しい笑みを浮かべて光留を見る。
「そういう所だよ。キミはいつでも気負わず自然体で華恋に接してくれている。先輩として、また主人として敬意は払ってくれているが、わたしの、理事長の姪だからと言って腫れ物扱いをしたり、色めがねで見るようなことはしない」
「色めがねって」
「意外と、華恋を色めがねで見る者は多いのだよ。キミも知っての通り、華恋はわたしの姪であるだけでなく、あの容姿であの性格だ。あらぬ誤解もよく受ける。でも本当の華恋はね、気は強いけれども泣き虫で、大胆に見えて怖がり。それを見せないように、いつでも気を張っている。……時々可哀想に思う時もあったのだが、キミと出会ってから華恋は少しずつ変わってきた。キミになら、安心して甘えられるからだろうね、きっと」
「そうでしょうか……」
予想外の理事長の言葉は、光留には居心地が悪く感じるほどだった。
光留自身はただ、下僕として華恋と共に過ごす日々を純粋に楽しんでいただけだったのだから。
「時に夜明光留君」
「はい」
「なぜキミは退学だと思ったのかな?」
「えっ……そっそれは……」
不思議そうな目を向ける理事長に光留は口ごもりながら答えた。
「その、噂が」
「噂?」
「華恋さんを少しでも傷つけた生徒は、退学させられると」
「ほぅ……」
驚いたような声をあげた理事長は、そのままニヤリと笑って光留を見た。
「つまりキミはその噂を信じ、わたしの事を伯父バカの理事長だと思っていた、ということだね?」
「え?あっ、いえっ! そんなことはっ!」
理事長は大げさなくらいにため息を吐き、大きく首をふる。
「残念だ。非常に残念だ。キミはわたしのことは色めがねで見ていたということか」
「いやいやそんな……すみませんっ!」
観念して、光留は思い切り頭を下げる。すると、理事長は小さく吹き出した。
「冗談だ。その噂はわたしももちろん知っていたよ。華恋が口にしたほんの冗談から、そんな噂が広まってしまったのだろうね。キミも聞いたことがあるだろう? 『伯父に言って退学させる』だとか。だがわたしは、公私混同はしないよ。いくら華恋が可愛いと言っても」
「……ですよね」
どこか華恋と似ている整った顔立ちのイケオジ理事長は、親しみを感じる笑みを浮かべて光留を見ている。
やっぱり、噂はただの噂だったんだ。
心から安堵し、光留はようやく心からの笑顔を浮かべることができたのだった。
その時、理事長室にノックの音が響いた。
「伯父さま、華恋です」
「入りなさい」
えっ、華恋さん?
光留は驚いて理事長室のドアへと顔を向けた。
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