泥の中の虫

亜中洋

泥の中の虫

 あれは、ずいぶん昔のこと……初夏の頃のことだったと思います。


 私は、自転車を漕いでアルバイト先に向かっていました。道すがら道路工事をしていたことを憶えています。

 勤務先の駐輪場にいつものように自転車を停めました。ここまではいつもと変わらない、なにも不自然なことはない日常の風景でした。


 事件は勤務後に起こりました。

 夕方の五時過ぎ、帰宅しようと自分の自転車の場所へ歩いていくと、ソレはあまりに当たり前のような顔をして、そこに在りました。

 私の自転車のハンドルのところ──フレームのベルが付いている横のところに、灰色の塊が付着していたのです。大きさは、ゴルフボールより一回り小さいくらいでした。


 その色合いや質感から、「セメントが私の自転車に付着している」と認識しました。


 もちろん、そのすぐ後に「なぜ?」という疑問が浮かびました。

 誰かが嫌がらせでしたのだろうか?

 近くの道路工事の現場からセメントを調達してきたのか?

 気が付いていないだけで、以前から付いていたということはないか?


 不可解でした。

 現実的な理由は思い浮かびませんでした。


 まぁいい。

 どれほど強固にくっ付いているかは知らないが、根本からもぎり取ってやろう。

 そう考えて、ソレをむんずと掴むと、意外なことに少し力を入れるとソレは手の中で粉々に崩れていきました。


 まだ固まっていなかったのか、セメントって何時間くらいで固まるものなんだ?

 そう考えながら、手の中の粉々のセメントを見ると、塊の内部に何かが入っていたようで、茶色っぽい何かが灰色のセメントの欠片に混ざって私の目の前に現れました。


 セメントの内部に埋められていたのは蟲の幼虫でした。


 一般的に芋虫と総称される、なんらかの虫の幼虫。

 白っぽい茶色の身体で、体長は1センチくらいだったと思います。


 それが5~6匹埋められていました。


 さらには、その芋虫たちは生きていて、私の手の上でウゾウゾと蠢いていました。




 乾いた土くれと共に虫の幼虫をボロボロ足元に零しながら、「まるでホラー映画の出来事みたいだなー」とどこか他人事のような気持ちでいたことを憶えています。


 乾いたセメントの塊の中から、生きた虫が出てくるなんてことが人間業で可能なのでしょうか?


 あまりにも……あまりにも理解不能の怪奇現象に私は遭遇してしまいました。


 その後、私はどうすることもできず、ただその現象を受け入れ、日々を暮らしていくことしかできませんでした。







 何年も経ったある日のこと。

 私はtwitterを見ていました。

 そしてある画像に出会いました。

「ドロバチの巣」の画像です。


 泥をこねて巣を作る蜂がいるようなのですが、その出来上がった巣は、私があのときに見たセメントの塊とよく似ていたのです。


 ピンときた私は、ドロバチについて調べてみることにしました。


 泥で巣を作る蜂のなかにも、いくつか種類があるようなのですが、多くのドロバチは巣の中に卵を産み、孵化してくる子供が食べるための蛾の幼虫等を詰め込んで巣に蓋をする生態があるようなのです。


 謎がすべて解けました。


 私があのとき握り潰したものはドロバチの巣だったのです。

 土の質が特殊で灰色をしていて、近くの工事現場の印象からセメントだと連想したのでしょう。

 私がアルバイトに従事する五時間ほどの間にドロバチはせっせと泥をこねて巣を作り、卵を産み付けて、餌となる虫を詰めて巣に蓋をした……

 そしてソレを握り潰した私は怪奇現象だと恐れ慄いた……


 原因を知ってしまえばなんてことはない自然の現象ですが、知らなければ恐怖以外の何物でもありません。

 やはり知識というものは人間最大の武器なのでしょう。




 私がこの知識に辿り着くことが出来たのは、twitterというSNSが雑多な情報を無秩序に垂れ流すケイオスのインターネットであるからこそでしょう。


 選別され、ターゲティングされ、自分の好みの情報しか流れてこないようにカスタマイズされたインターネットに私は価値を感じません。


 混沌の無限の可能性こそがインターネットの本質であると私は感じています。


 あなたのインターネットにも混沌はありますか?


 以上、私が遭遇した怪奇現象についての顛末でした。

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