誰にでも悩みはある。神様も、化物も、人間も。

中村雨歩

第1話 九条兼人

 九条 兼人。26歳。心理学研究科で留年し、研究者の道に進むのか就職活動を始めるべきか悩んでいる。幼い頃から悩みがあると、九つ上の姉に泣きつくことが習慣化している。今も姉のいる大学の研究室に泣きつきに来たところだ。


「また、あんたは、これからどうしようかな? なんて、私に聞いても解決しない悩みを言うためにここに来たの?」


 姉の基子は、僕とは違い非常に優秀で、三十にして准教授になり、研究室持ちになっている。最近ではギフテッドなどと言われている天才の部類の人間だ。僕は今、その劣等感しか感じられない空間で、姉に今後の進路相談をしている。


「あんた、そんなに心理学とか研究とか、そもそも人間に興味あるの?心理学の世界でやっていくとしても、実験系と臨床系どちらにするのかとか、考えてるの? まずは、自分の興味の整理から始めて、自分を活かせる分野があるのか?とか考えてみればって、この前も言ったよね」


「そう言われたから、今日来たんだよ。」


「あ、そうなの? 悪かったわね。で、一歩進めそうなの?」


「うん、やっぱり心理学は好きだし、というか、それしかないって言うか・・・」


 正直、好きというより、この道で成功しないと自尊心が保てないと言うのが正しい。我ながら器の小さい人間だと思うけど、同い年の連中は、社会に出て活躍している年齢だ。スーツも着慣れて来ていて、一端に稼いで結婚を考えているなんて者までいる。そんな奴らに感じる劣等感を払拭するには、この道で成功するしかない。学者になるとか、医者になるとかしかないのだ。


「で、何するの?実験系?臨床系?教授を紹介してほしいってこと?」


 姉の声で、矮小な自尊心から生み出された妄想から引き戻された。


「え、ああ、教授の紹介?」


 それはまずい。姉なら、どこの教授でも紹介できてしまうのだろうが、同じ業界の教授では、僕がまったく優秀ではないことがバレてしまう。姉の弟なのに、バカなの?って思われてしまう。天才と言われている姉と僕は違う。


「いや、実はアルバイトがしたいんだよ」


「アルバイト?」


「そう、心理の仕事といっても研究や学校だけでなくて、公務員もあるし、民間もある訳で、今は、どこにいこうか悩んでいるから、とりあえず、社会に出てみようかと思ってるんだよね。」


「ふ〜ん、じゃあ、病院とか市役所とか、カウンセリングルームとか?」


「そうそう、地元から離れたカウンセリングルームなんていいかな〜。」


「地元から離れた?」


「あ、地元だと知り合いが来たりしたらよくないでしょ?二重関係ってやつ?」


 知り合いには、なるべく会いたくないという、これもまた矮小な自尊心に気づかれたかと思い、声が少し上擦った。


「あ!それなら、いいところがあるよ!場所は横浜で、知り合いに会うような事は無いところがある!ちょっと待ってて、名刺があったような気がする。」


 ゴチャゴチャと本や書類が積まれている机の上や中をゴソゴソと探してくれている。


「あった!はい!なるべく早くここに行ってみて。連絡もしておいてあげる。」


「水亀カウンセリングルーム?」


「みずがめではなくて、みなかめって読むみたいだよ。私も以前に行こうと思ったのだけど、近くまで行って道に迷ってしまって辿り着けなかったんだ。兼人は頑張って辿り着いてね」


 姉の目が怪しく光り、何かを期待するように口元が笑みで歪んだような気がした。

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