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──花々よりもお互いを眺める時間の方が長かったささやかなお茶会を程よいところで切り上げて、着替えのために二人はそれぞれの部屋に戻る。
侍女たちに婚礼用の豪華なドレスを脱がせてもらい、普段着用のやや気楽なドレスに着替えて髪型も少し変えると、夕食の時間だ。
この後のことを考えるとあまりたくさん食べる気にはなれず、フレイヤはいつもより控えめな量をなんとか飲み込んでいく。
食後は再びそれぞれの部屋に戻り、しばらく時間をあけてから湯浴みの時間だ。
花と果物の香りが複雑に混じり合ったような、うっとりするいい香りの石鹸で隅々まで磨かれる間に、フレイヤはマーサへ問いかける。
「ねぇ、マーサ。足の傷はもう見えないくらいになっているでしょう?」
「ええ、もう怪我をなさったのがどこなのかわからないくらいですよ」
「それはよかったわ」
王城に呼ばれたのは、誘拐事件があった四日後のことだった。
もともと、手足の傷はどちらもごく浅く、その時点でほとんど完治と言っていい状態だったのだが、ローガンは自分に『けじめ』を課しているので、同衾はしていてもそういうことは一切していない。
だが、婚礼やり直しも今日無事に終わった。あの事件から一週間になるので、傷も完全に治っている。
そのため、今日は名実ともに夫婦となる最初の夜になるだろうとフレイヤは考えていた。
(ようやく……という感じがするわ。最初から覚悟はできていたけれど、あれは義務として、事務的な行為をする覚悟のようなものだったから……今は違った緊張感があるわね)
フレイヤはお忍びで街を出歩いていたため、貴族の令嬢にしてはあけすけな性知識がある方だろう。
しかし、もちろん体験したことなんてないし、男性の身体をすべて見たこともない。閨事の大部分が未知だ。
(初めては痛みがあるというのは、閨教育でも街でも聞いたわ。でも、街の女性が言うには、初めてでなくてある程度慣れていても、相手によっては痛いとか……。かと思えば、未経験だったけれどそこまで痛くなかったと話していた人もいたし、『今の彼となら毎日してもいい』と言う人もいたのよね……)
耳年増と言っても過言ではないフレイヤだが、なにぶん個人差が大きい件のため、どれが自分にとっての正解なのかはさっぱりだ。
ただ、これまで聞き齧ってきた知識をまとめると、好きな相手なのか否かや、男性がどれだけ丁寧か、相性、あとは体調によって感じ方が様々なのだろうと思っている。要するに、実際にしてみなければわからないということだ。
(ちょっと怖さもあるけれど……ローガン様は決して手荒にはされないはずよ。信頼して身を任せるのがいいわ、きっと。以前マーサも、『ゆったりと構えて緊張しないことが大事』のようなことを言っていたものね。……でも、緊張しないのは無理よ!)
じたばたしたくなるのを堪えているうちに湯浴みは終わり、薄手の夜着を着せられる。それだけでは心もとないが、ガウンも掛けてもらえたのでフレイヤは少しほっとした。
「参りましょうか」
「……ええ」
マーサが夫婦の寝室につながる扉をノックする。すぐにローガンの声で「入れ」と返事があり、マーサが扉を開けた。
「大丈夫ですからね」
優しく微笑む彼女は、夫妻の間にこれまで何もなかったことに気づいていたのだろう。
フレイヤはマーサに頷きで返して、寝室へと足を踏み入れた。
背後で扉が閉まる微かな音がする。数歩入ったところでフレイヤが足を止めていると、ソファにいたローガンが立ち上がり、こちらへとやってくる。
腕を差し出され、フレイヤはそこへそっと手を添えた。
「何か飲むか? 果実水と酒と茶と水がある」
ソファへと向かう間にそう言われ、まるでカフェのような品揃えのよさに、フレイヤはくすっと笑ってしまう。お陰で少し緊張も和らいだ。
「では、果実水をいただきます」
「ああ」
グラスに半分ほど注がれたのは、柑橘系の爽やかな香りの水だ。一口飲むと、緊張で乾いていた喉が潤され、同時により落ち着くことができる。
気遣いをありがたく思いつつ、フレイヤはグラスをテーブルに置いて、ローガンを見つめた。
「ローガン様」
「……ただ、ローガンと」
生家の階級は同格の伯爵家だが、フレイヤは後継者ではない次女で、ローガンは次期伯爵で年上である。なのでこれまでは『様』を付けて呼んでいたのだが、たしかに夫婦では少し違和感があるかもしれない。
とはいえ、急に呼び方を変えるのも難しく思えて、フレイヤは少し沈黙した。
「折を見て言おうと思っていたのだが、呼び方を変えるならば今日が節目としてちょうどいいだろう? 呼ばれ慣れているし少し惜しい気もするが……今のままでは少し距離を感じるようにも思えてな。フレイヤと俺は、共に並び歩んでいく夫婦になったのだから、ただローガンと呼んでほしい」
憧れの人として後ろを追いかけ回すのでもなく、叶わぬ恋と諦めて遠くから悟られぬように時折見るでもなく、お互いに愛情を抱いた夫婦として共に歩んでいけるのだと思うと、胸の奥が熱くなる。
「はい……ローガン」
まだ慣れず、小さめの声になりながらも絞り出した言葉を聞き、ローガンは満足そうに頷いた。
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