7
四人とも鼻をすすりながら湯浴みを終え、怪我した方の足をつかないようエヴァに支えられて、寝室のソファに座る。
しばらくすると寝室の扉がノックされ、同じく湯浴みを終えたローガンが入ってきた。
侍女たちが退室し、寝室には二人きりとなる。
「フレイヤ、傷の手当てをしよう」
王太子に呼びつけられた侍医からもらった軟膏を片手に、ローガンはフレイヤが座るソファの隣に座った。
「手を」
「はい」
切れてしまった右手を差し出すと、慎重に薄く軟膏を塗ったあと、包帯を巻かれる。
騎士は基本的な手当てもできなくてはならないので、ローガンの手付きは慣れたものだった。
「次は足だな」
「えっ、と……」
好きな人に素足を差し出すというのはどうにも気恥ずかしい。フレイヤが固まっていると、ローガンはソファから降りて片膝をつき、フレイヤの足をそっと持ち上げた。
「ローガン様……!」
「俺が至らなかったばかりに怪我をさせてしまったんだ。せめてこれくらいさせてくれ」
「いえ、でも、これは私が勝手に木に飛び移っただけで……」
口に出すと、自分の行動は既婚者としても令嬢としてもあり得なさすぎるもので、恥ずかしい。
しかしローガンが「俺がそばにいれば、あと少し早く助けに行けていれば、こんな怪我せずに済んだだろう」と後悔を滲ませて呟くから、フレイヤはそれ以上何も言えず沈黙した。
「……これでいい。しばらくは朝夕、傷口を洗って軟膏を塗る」
「はい……」
この口ぶりだとおそらく、ローガン自ら治療をする気なのだろう。
彼は図々しくも三ヶ月の休暇を望んだが、さすがにそれは長すぎるとのことで、三週間の特別休暇が与えられた。
数日もあれば傷は治るはずだから、完治までしっかり見守られそうだ。
ローガンが軟膏や包帯を片付ける間に沈黙が降りる。
お互いに一番肝心な思いを伝え合うことはできたが、まだわからないことが多く、何から確認すればいいのかもわからない。
あれこれと考え、フレイヤは一つ目の質問を切り出した。
「あの……ローガン様は、今も昔も私のことを想ってくださっているとおっしゃっていましたけれど、一体いつからなのでしょうか……?」
「……寄宿学校から戻ってきたばかりの頃、だろうか」
「えっ!」
「それまでは……その、お転婆で可愛らしいちびっ子くらいに思っていたんだが、あの時、フレイヤが自分とあまり年の変わらない女の子なんだと感じた瞬間に、どうにも落ち着かない気持ちになってしまった」
あの時の彼がまさかそんなことを思っていたとは予想外で、フレイヤは驚きに目をまたたく。
「だが、フレイヤは俺を見て、表情を強張らせて逃げていっただろう?」
「あ……」
「俺は寄宿学校にいる間にぐんぐん背が伸びて、体つきもがっしりしたし、顔の雰囲気も変わって、声も低くなった。フレイヤが懐いてくれていた頃とは、まるで別人だ」
確かに、寄宿学校入学前と卒業後のローガンでは、身長も体格も声も、雰囲気すらも大きく変わっていた。
「入学当時は、恐れ多くもどこぞの王子みたいだと茶化して言われることもあったが、卒業した時にはすっかり騎士らしくなり、腕力と家系のこともあって同窓の一部や下級生には恐れられているようだったから……。フレイヤもきっと恐ろしく感じたのだろうと思うと、なかなか声をかけられなかった」
フレイヤが、過去の自分への羞恥心から「お勤めご苦労さまです」という謎の挨拶をして逃げ去っていった時、ローガンがそんなことを考えていたとは。
「すれ違いの起点はそこまで遡るのね……」と内心頭を抱え、フレイヤは訂正に入る。
「ローガン様は確かにお変わりになられましたが、とても格好良くて……私、小さい頃は本当にお転婆どころではなく、男の子みたいでしたから……一応女の子らしくなって、何をどうやってお話すればいいのかわからなくなってしまったのです。逃げてしまったのはそのせいで、ローガン様が怖かったわけではありません」
フレイヤの言葉を聞いて、ローガンはぽかんとする。
そして、「怖くはなかった……格好いい……?」と、呆然としつつ繰り返す。
「ええ。それに私、小さい頃、お義父様の騎士団長服姿に憧れて剣を振り回していたのですよ? ローガン様が騎士らしい見た目になられても、怖がるはずなんてないではありませんか」
「そうか……言われてみれば確かにそうだな……」
目から鱗といった様子のローガンを見てくすくす笑い、フレイヤは彼の肩の辺りにそっと寄りかかった。
「ローガン様とどんな顔をしてお会いすればいいのかわからず避けている内に、お姉様と仲睦まじくされているところを見てしまって……その後、婚約もされましたし。叶わぬ恋だと、諦めたのです」
「……あの婚約は、最初から解消が前提のものだった」
「えっ!?」
ここにきてもたらされた新しい情報に、フレイヤは寄りかかっていた身体を瞬時に起こしてしまう。
「それは、一体どういうことなのですか……!?」
「機密事項に関わるので俺から詳しくは話せないが、いずれ殿下から話があるだろう」
「そ、そうですか……。では、お姉様とは何もなく……?」
「当然だ。彼女の方も、俺のことはただの幼馴染みだと思っているだろう。殿下と相性もいい様子で、王城でも親しくされている」
「よかった……」
姉が意に沿わぬ結婚と王太子妃の重責、望まぬ二つを同時に背負うことになったのだとしたら、自分だけ浮かれることなんてできないと思っていた。
だが、そうではなかったとわかり、一気に気が楽になってくる。
「フレイヤの方こそ……昔からずっとと言っていたが、その、いつから俺のことを……?」
「自覚したのは……ローガン様と同じ頃でしょうか。木から落ちたところを助けていただいた時から特別でしたが、再会したあの時、はっきりと自分の想いに気づきました」
当時のことを振り返りながら言うと、ローガンは怪訝そうな顔になる。
「では、結婚が決まったあと会いに行った時、ほとんど目も合わせずにいたのは──」
言いかけて、ハッとした様子で言葉が止まった。
「そうか、あれは俺のせいだな。あの時も、険しい顔になっていたのか」
「ええ……なので、ローガン様の意に沿わぬ結婚なのかと思って……」
ローガンはため息とともに額を押さえた。
「では、その……初夜となるはずだったあの日のあれは……」
「お姉様のことを想っておられるローガン様にはお辛い結婚だろうと思って……心が伴わないまま義務として無理に契る必要はないと考えたのです」
「……あれは、そういう意味だったのか……」
再び深々と溜息をついたローガンは、ついに両手で顔を覆ってしまった。
そのまま少しもごもごと、手のひらの下で言葉を続ける。
「俺は……俺との結婚など嫌で、義務として受け入れることも辛いので無体を働かないでほしいと言っていたのかと……」
「そ、そんな……」
かなり言いづらい話だったので、言葉を慎重に選びつつ、勇気を振り絞って少しずつ話していたのが災いした。
そもそもお互いがお互いに、相手の意に沿わぬ結婚だと思っていたために、話がさらにややこしいことになったようだ。
「だから俺は、せめてフレイヤが俺に対して多少の情を持てるようになるまで、手を出さずに我慢するつもりでいたんだ。そうしたら君が、“図々しい願い”があると言うから、てっきり白い結婚を貫いていずれ離縁したいのかと……」
「ち、違います……! 私はあの時、たとえ愛を向けられなくとも、いずれは寄り添い支え合う伴侶としての夫婦になりたいと伝えたかったのです……」
あまりにもすれ違っていた思いに居た堪れなくなり、フレイヤも顔を手で覆ってしまう。うだうだせずにもっと腹をくくって、サクッとスパッと歯切れよく伝えていたなら、ここまで酷い行き違いは生まれなかったはずだ。
(ええ……? それじゃあ、庭園で言われたあの言葉は……)
結婚翌日、庭を散歩しないかと誘われた先で、ローガンは真剣な表情をしてこう言った。
『この結婚が本意でないにしても……俺は、君を傷つける気はない』と。
あの言葉の頭には、“君にとって”が入っていたというわけだ。
彼の真剣な覚悟を誤解して落ち込んでいた自分が、今となっては少し可笑しい。
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