午前中は、野菜をあげて好みを探ったり(どうやら人参より柔らかい葉物野菜の方が好きなようだった)、ブラッシングをしたりして馬と親交を深め、午後は予定通り読書をする。


 そうしてもうすぐ三時になろうかという頃に、マーサが少し急いだ様子で部屋へとやって来た。


「旦那様がお帰りになりました」

「えっ」


 まだ日が高いこんな時間にローガンが帰ってくるなんて、一体どうしたのだろうか。


(まさか、怪我か体調不良で仕事どころではなくなって……?)


 不安になり立ち上がったフレイヤが部屋から出よう立ち上がったところで、扉がノックされる。


 今度は家令だろうかと思ったフレイヤだったが、侍女が扉を開けると、そこにはローガンが立っていた。


「ローガン様……!」


 フレイヤは、素早くローガンの姿に視線を走らせる。特に怪我をしている様子もなく、ほっと安堵の息をついた。


「少し、話せるか」

「……はい」


 ローガンに目配せされたマーサ、マーサに目配せされたベラが次々と退室し、室内は二人だけとなる。


 ローガンとは、昨夜怒りをぶちまけて寝室を出ていって以来なので、どうにも顔を合わせづらい。


 彼の方をあまり見ないようにして、フレイヤは手のひらでソファを示した。


「どうぞ、お掛けください」

「……ああ」


 二人分の紅茶を淹れてテーブルに並べ、向かい合ってソファに座る。


 居心地悪い沈黙から逃れるようにそれぞれ紅茶を飲んでいたが、一向に話が始まりそうにないためフレイヤから切り出した。


「あの……馬について伺っても……?」

「あれは、ララだ」

「いえ、名前ではなくてですね……。何を思って突然贈られたのかと」


 フレイヤの問いかけを受けて、ローガンはティーカップをソーサに戻し、居住まいを正した。


 婚約以降、ローガンがフレイヤを見る時はたいてい睨むような鋭い視線と険しい表情だったが、今回は真剣さと少しの気落ちが滲むような表情だ。


 そのことにまた少し安堵して、フレイヤもようやく、まっすぐに彼の方を見つめることができた。


「……昨日は、本当にすまなかった。俺は──……」


 何事かを言いかけたローガンだったが、口を閉ざし、ゆっくりと首を横に振る。


「……いや、言い訳はしない。俺が君を傷つけたという事実だけがある。あの馬は、せめてものお詫びだ」

「…………」


 予想に反し、彼が昨日のことを本当に悔いているような様子であることに驚き、フレイヤは何も言えずに沈黙した。


 それを怒りがおさまらないためと勘違いしたのか、ローガンはわずかに動揺を見せる。


「フレイヤは今も乗馬が好きだと聞いていたが、違ったか……?」


「い、いえ! 領地に戻った時は、愛馬でよく遠乗りをしています。ララのこともとても気に入りました」


「そうか」


 ほっとしたように、ローガンの肩から少し力が抜けた。


 昨夜最低な提案をしてきた彼との隔たりがあまりに大きくて、一日足らずの間に一体どういう心境の変化があったのかと、フレイヤは目を瞬いた。


「王都でも、少し郊外に出れば、静かな林道や見晴らしのいい丘がある。よければ今度、一緒に行かないか?」


「……! いいのですか!?」


 驚きは一旦脇に置いておいて、現金なフレイヤはぱぁっと満開の笑顔になった。

 しかし──。


「ああ、もちろんだ」

「…………」


 頷くローガンの顔はいつも通りの渋面になっていて、「そのお顔でどこが“もちろん”なのです?」と嫌味を言いたくなってしまう。


(社交辞令的に言ってみただけで、私が即座に「行く!」と答えるとは思っていなかったの……?)


 胸の奥がじくりと鈍く痛む感覚は、ローガンに恋をしてからもう何度目だろう。


 気分が舞い上がったのはほんの一瞬で、フレイヤは溜息を押し殺し、小さく首を横に振った。


「……やっぱりやめておきます。ローガン様はお忙しいでしょうし、ララをいただけただけで十分ですわ。遠乗りには私一人で行けますから、お気になさらないでください」

「…………」


 ローガンは、さらに渋い顔になって沈黙した。


(断ったら断ったで不満だというの? もう、一体どう答えるのが正解だったのよ……)


 彼はまるで、攻略不可能な城塞のようだ。

 彼の癪に障らない応対とは一体どんなものなのだろうかと頭を抱えたくなりつつ、フレイヤは昨夜出した結論に戻る。


(やっぱり彼は、私といるとソフィアお姉様のことを思い出して辛くなるのかもしれないわ。きっと、私が何をしようと気に入らないのよ)


 数年単位で根気よく向き合っていけば、あるいは二人の関係は変わっていくのかもしれない。


 しかし、フレイヤは自覚してからでも約四年、出会いから考えると約八年もローガンしか見ていないのだ。


 彼の方も同じように、ソフィアを五年、十年と思い続ける可能性を考えると、とてもではないが耐えられる気がしなかった。


 ソフィアとは全く無関係の、女性として好みの別の人と結婚した方が、ローガンにとってもいいのではないだろうか。


 そしてフレイヤも、独り立ちにしろ再婚にしろ、新たな人生を歩んでいくことによって、少しずつローガンを思い出として消化していきたい。


 それがお互いのためというものだ。


(離縁のための計画を、なるべく早く進めないと……)


 密かに決意を強くするフレイヤ。

 一方、沈黙したままフレイヤの方をじっと見つめていたローガンは、やがて冷めきった紅茶を飲み干して立ち上がる。


「一人で行くにしても、護衛は必ず連れて行ってくれ。では……私は、城に戻る」

「わかりました。無事のお帰りを……」


 お待ちしております、と言いかけて、自分に待たれても気に障るだろうかと、フレイヤは口をつぐむ。


「……ああ、必ず」


 短く頷いたローガンは、くるりと踵を返して部屋を出て行った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る