第3話 10年前
兄の裕樹は10年前に死んでしまった。
病名は癌。
原発巣がハッキリせず癌が発見されてから半年あまりで死んでしまった。あっという間だった。奥さんの葉子さんは徐々に弱って行く夫のそばに付き添い懸命に治療法を探った。
少しでも助かる見込みのある治療法があるなら。
この思いにすがり、本、ネット、知人、あらゆる所から情報を集めた。
・・・。
ただ、残酷かもしれないが客観的に見ると治る見込みは薄いだろうと感じていた。主治医の先生からも「原発巣が分からなければ治療は難しい。」と言われていたのだ。
今思うと葉子さんもそれは分かっていて行動していたのだろう。それでも必死になる以外に自分ができる事はなかったのだと思う。もちろんそれは自分も親も同じだった。
そして兄は死んでしまった。30歳だった。
早すぎる死に私達家族は虚無感に包まれた。不運としか言いようがなかった。
なぜ兄が・・・。
こんな思いに駆られて兄の死を受け入れるまで半年はかかった。半年も、なのか、たった半年なのか、はよく分からないがとにかく半年かかった。
ただ・・・気持ちが晴れない事が一つあった。
それは兄の「心の病気」だった。
癌になる前に兄は会社の上司の「パワハラ」で「鬱病」になった。
そして会社を辞めて、違う所に再就職した。けれど結局そこも鬱が原因で辞めた。辞めざるおえなかったらしい。そしてその後に癌が発見された。
鬱が直接的な原因で癌になったとは思わない。でもパワハラを受けた事実が10年経った今でも私の中でささくれとして残り気持ちが晴れない原因になっている。兄を苦しめたのは癌だけではなく鬱も加わった。兄だけがなんでこんなに不幸に見舞われなくてはいけなかったのか?なにか悪い事でもしたのだろうか?
人当たりの良い心優しい兄だった。
元々出版社の総務部で働いていた所を突然の人事異動で営業企画に回された。それが不幸の始まりだった。不慣れな仕事内容に上司から罵倒され、聞こえるように陰口をたたかれ、最終的に仕事をさせて貰えなかった。
「会社に行きたくない。」
身も心もボロボロになった時、兄は葉子さんにこんな言葉を吐いた。家を出る時、会社に入る時、精神的に不安定になり葉子さんに電話した。
「行かなくていいよ。」
そう葉子さんが言った。けれど最終的には会社に出社した。兄は言動が一致していなかった。嫌だと言う気持ちと責任感がぐちゃぐちゃになっていたのだ。
そしてついに兄は出社の途中で倒れた。駅のホームで倒れ込みガタガタと震えていたという。
病院にかかり診断された病名は「鬱病」だった。
「もう行かなくていい。私が会社に電話する。」
そう言って葉子さんは兄の代わりに退職届を出した。会社は何事もなかったかのようにその届けを受け取ったらしい。
しかしこれで兄の苦しみが楽になることはなかった。
一度「鬱病」になってしまうと治るのには時間がかかるらしく長い期間の休息が必要と言われた。ただ子供がいる状態で長期間の休みを取ることは出来なかった。兄は一カ月ほど休んだのちに再び就活をはじめ、近くの大手食品メーカーの製造工場に勤めた。なぜ同じ職種を選ばなかったのかその当時は分からなかったが自分も働くようになってその意味が少し分かったような気がした。
しかし、その工場も三カ月ほどでやめてしまった。
一度なってしまった鬱病は厄介だった。体に気力がわかなくなり、すぐに思考がネガティブな方向にいってしまう。そして兄の場合は対人関係も構築するのが難しくなっていた。
私が働くから裕樹君は休んでて。
・・・。
兄は葉子さんの言葉にもほとんど反応しなくなっていた。
そして今度は「癌」が見つかった。
最悪の結末だった。
これが10年前の兄に起こった出来事だ。
私は葉子さんから直接ではないが親を通して話は聞いていた。 パワハラをしていた人間の名前も聞いた。
真野光成。
高校生だった私はこれを聞いて何か過激な行動をしたわけではないが、名前だけはしっかり記憶した。
そしてこの真野光成を兄の葬儀の時に見ることになる。
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