新学期

苫夜 泉


私の通っていた高校には大きな池がある。

と言いつつも、そこまで大きくない池だ。

一度自分の目で見てみれば分かると思うのだが、限りなくどっちつかずだ。森の動物たちの憩いの場になるほどのスケールはないが、オタマジャクシが住み着いていそうなひっそりとしたものよりは間違いなく大きい。それに最後に見た時から時間がたっているから、私にも詳細な紹介はできそうもないのだ。

 

広大な自然を売りにした我が校だが、池は人工で、きちんと整備されている。用務員さんは仕事が増えて毎日嬉しそうだ。いつも笑顔で仕事をしてくれている。彼らを「こわもて」と称する生徒も中にはいるが、私だけはちゃんと理解しているつもりだ。その思いを胸に、ぜひ業務に励んでほしいと思っている。

陰ながら応援、というやつだ。

 

立地は分かりやすく、校門を抜ければすぐ右手に見えてくる。なぜあんな目立つ場所に作ったのかは今でも疑問でならないが、良くも悪くも、「がっこうのかお」という感じになってしまっている。ならせめて、「いけのぬし」のような存在が一匹くらいはいて欲しいものだが、水中を除いても、死んだふりをしがちな鯉が一匹いるだけだ。デンキナマズ級の大物を引っ張ってくれば、中学生にして生粋の釣りマニア系男子の出願率が上がることは間違いなしだろう。何故そうしないのかは今でも疑問である。


この池は少し前に当時の生物教師(絶賛継続中)が作ったらしく、今ではカモが三匹も生息している。三匹とは言っても、つがい+独身のような関係らしく、陰湿ないじめの被害にあっているという話だ。用務員さんも個別に餌を与えていると聞く。

その調子だ。


池の周りにはどの公園にもありそうなベンチが二、三個おいてあり、上部もちゃんと覆われているため、雨風もしのぐことができる。

 

その日私は何を思ったのか、昼休み、昼食もとらないままにその池へ向かった。

右手に缶コーヒー(事前に校内の自販機で購入)、左手に文庫本(事前に図書室で貸し出し)の装備で、人気ひとけのない異世界に足を踏み入れた。

森に住む妖精に誘い込まれるようにしてベンチに座り、心地よい風を浴びる。

ミシミシと年代を感じさせるような音が出て、それに目を覚ましたカモがそろりそろり寄ってきた。

そんなささやかな非日常に気分の乗っていた私は、奇声を上げながらそのカモにスマホのレンズで赤外線攻撃を食らわせてやる。どの行動が彼(彼女?)の気に障ったのかは見当もつかないが、うめき声のような高音を発しながら退散していく様子を見つめ、思わず


「……悪い人間じゃないよ」

 

とつぶやいてしまったのは、黒歴史すぎる黒歴史と言っていい。

ただ、もっと、さらに黒歴史な、いっそ黒歴史の枠に収めてもいいのかと思うくらいに「いたい」行動が待っているため、ひとまずは安心して欲しい。そんな某大人気ゲームを擦ったような言葉の後、すぐさま周りを見渡して、誰もいないことに胸をなでおろす。

ついでにコーヒーをすすってみたりなんかもして、私はひたすらにいい気分になっていたのだ。

 

たまにはこういうのもいいかな、しみじみとそう思っていた私。

入学した手で、花の高校生ライフを疑うことなんてなかった私は、自分がこれから毎日、、一度も欠かさずに、、、、、、、、池に通うことになるとは、ほんの微塵みじんも思っていなかったのである。

なんなら今でも疑っている。

 

当時の私の頭の中は、自分から逃げたカモの名前を何にしてやろうかという企みでいっぱいだったのだ。一日中考えてみても思い浮かばず、困ったときのTwitterで名前を募集し、最終的には『アシガモ』に決定した。

これは当時の私のTwitterIDを一文字変えただけのものである。遠い地域に住む中学生の友達(なんだか危険な匂いがする)が考えてくれて、非常に有能だと囃子はやし立てたのを覚えている。

その中学生も不思議でたまらなかったことだろう。何故この高校生は毎日池に行っているのか。


 


それからの私の侵略は早かった。


最初は昼休みだけだったものが、二時間目休みにもひょっこり顔を出すようになった。そろりそろりと近づいて、目にもとまらぬ速さでシャッターを切って、逃げる。何が起きたのか分からない様子のカモの表情は格別だった。フォアグラなんかよりよっぽど美味だった。私みたいな庶民には高級食材の繊細な味なんてものは理解できないのだ。

本当にそうだったらショックだから、未だに食べたことがないとのも事実だ。

 

まだまだ私の侵略はエスカレートしていく。なんと、弁当を持ち込んだのだ。母の作った、フォアグラの入っていない弁当を。本物を見たことがないから、気づかないうちに食べていたという可能性はあるものの、私はこの「フォアグラ童貞」になんとなく誇りを持っている。アシガモくんへの紳士的な態度にも磨きがかかるというものだ。

我が校では(我がクラスだけかもだが)、登校中、間違えて川越特急に乗った影響で遅刻したことがない人のことを「川越童貞」と言ったりもする。私は川越市民なので、これを体験できないのが悔しい。

 

話は戻るが、最終的には次の時間が移動教室でない限り、どの休み時間にも足を運ぶようになったのだ。侵略完了だ。

 


 


私は友達が少ない。驚くべきことに、当時の私にも、友達と呼べるようなクラスメイトはいたのだ。


驚きである。


数が少ないのは否定のしようもないが、一緒に学食に行くような友達もいたのだ。微妙に成績が良かったからか、そっち方面で頼られることもたまにあった、というのが主な理由だ。

 

ただ、当時の私はとことん愚かだった。友達よりもカモを選んだのだ。『アシガモ』君との時間をとったのだ。

 


これは実際にあった会話だ。


「最近休み時間いつもいなくね。外で食ってるとか?」


「ううん。池」


「……池?池って、鴨池(生徒間の愛称)のこと?」


「うむ」


「ふーん」


「…………………」


「……じゃあ、なんで池にいんの。誰かと待ち合わせてるとか?」


「……アシガモが俺を呼んでいるから」


「……アシガモ?」


「カモの名前」


「ふーん」


 

今思い返してみると、どの行動、どの発言をとってもイタい。

一人で静かに楽しんでいるのを見られても指をさされ馬鹿にされようとも自分を曲げない自分をかっこいいと思っていた私。

そのうちイヤホンも常備し足を組みながらサブスクでアニメを見始めそれが音漏れしているのを滅多にいない通行人に認識されてイタいと思われるのに気持ちよくなっていた私。

どれもまごうことなき私だ。まごうことあって欲しいものだ。思い出すだけでもイタすぎて、もうこれを書いていて吐きそうである。

 

先述の通り、こんな私にも変わらず話しかけてくれる友達がいたが、彼もまあ「ずれている側」の人間であることは疑いようもない。

というかそんな生徒ばっかだったのだ。うちの学校。

みんな好きなものがあって、譲れないものがあって、だからこそ、私もぎりぎり、、、、浮かずに入れたのだ。

実際のところはどうだったのかは、私の知る由もないのだが。

 

ただまあ、入学したのがあの男子校で本当に良かったと思う。塾のネームバリューのためとはいえ、私から見れば少しばかりレベルの高い学校を進めてくれた先生に感謝だ。そこらの共学なんかだったら、息も吸えないんじゃないか?


 

たとえ高校に池がなくとも、池のようなものを見出すことはたやすい。学食でアニメを見続けるでもいいし、教室からベランダのようなところに出て(黒板けしをはたくあの場所だ)、ゆったりと本を読むでもいい。

椅子ごと外に出して、日光浴でもすれば完璧だ。サングラスが欲しいくらいである。トロピカルジュースと、麦わら帽子。

 

探そうと思えば教室で浮く方法なんてものはいくらでもあったのだ。たまたま今回の被害者がカモだったというだけで、どの世界線であっても、私は好んで「アイツきもくねーww」と言われる立場に身を置いていたのだろう。それが私のアイデンティティであって、学校にいる理由になっていたのだ。

 

ただそんな私にも勝てないものがある。花粉だ。

これまでの議題である私の通う池、

そして初登場の花粉、

そこにここまで恥ずかしさで火を噴いてしまいそうな記憶をさらけ出してきた私を組み込んだ図形は、世界で最も悲惨な幾何学模様と賞賛されてもおかしくないほどに、最悪の調和を生み出していた。


私の通っていた学校、なんと、杉だらけなのである。だらけというか、森なのだ。敷地内に森が発生しているのだ。本当だ。かくいう私もびっくりである。

 


「がっこうのかお」が池というかなり変わっている我が校は、もともとは農業高校として建てられたもので、謎に包まれた森の存在理由は、その名残という感じらしい。文化祭の名前も農業に基づいたもので、わざわざ遊びに来てくれた友達との最初の会話は「収穫って何?」だ。恥ずかしいったらありゃしない。

私自身、入試の面接では「豊かな自然」を魅力だとかのたまっていたのだが、今では列記とした敵である。あんな森今すぐに伐採してやりたいところだが、死体なんかが埋まっている気もするため、ひとまずは延期だ。

「あれ?なんか固いぞ?」と言った三秒後に生首とご対面、なんてことになっては、メンタルつよつよの私をもってしても、楽々不登校行きだ(最近出てきた、不登校を「認めて」しまうような風潮は、あまり好きではなかったりする)。

 

それにいくら防護服が強固なものだったとしても、私の「スギ花粉アレルギー・強」の前ではただの薄っぺらい表皮でしかない。完全に、無力なのだ。

 

そのため、冬が開けるか開けないかの時期から始まる魔の一か月くらいは、池に顔を出しずらいのである。Twitterで言うところの、低浮上というやつだ(あの風潮も嫌いだ)。チャイムと同時に教室を出ようものなら、体が拒否反応で千切れてしまうに決まっている。

 

その時期はカモも現れたり現れなかったり、というのも一つの理由だ。冬を越せるかどうかは、彼らにはかなり重要だ。

いきなり教室で弁当を食べるようになった私に向けられるクラスメイトの視線は、なかなかに強烈なものだった。彼らだって、どうしていいか戸惑っていたことだろう。



「さ、最近は池行ってないね。もしかして花粉とか?」


「大丈夫だ。アシガモと俺は、今も繋がり続けている」


「……つ、繋がってる?」


 


確かにこの一年、私はおかしかった。高校の友達作りは最初が肝心というが、知り合いが一人もいない私にとっては尚更高い壁だったことだろう。それなのにカモ付き合いにばかりかまけて、学校の本分である生徒間の交流をおろそかにしていた。それでも以前友達でいてくれた彼には感謝してもしきれない。彼も思っていただろう。


なぜこいつは高校にまで来てカモと戯れているのだろう、と。

 

自慢気にカモの写真を見せてくる私に小言の一つも言わなかった彼は、尊敬に値する。来年も同じクラスであることを願うばかりだ。

 

この辛い花粉の時期を乗り越えれば、とうとう新年度。新たな教室。新たな仲間。そして、変わらずそこにある池、そして、アシガモだ。

 

どれだけ「いたく」とも、「いたく」思われようとも構わない。

 

なんと陰口を叩かれようと挫けない。

 

そんな思いを胸に、私はまた、カモ池へ向かう。

          


                            ───高校一年生現在

 

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