ひねくれものとおくびょうもの
「終わせて、もらうため……?」
玖澄が何を言ったのかが理解できなくて、呆然としたまま初穂は鸚鵡返しに呟いていた。
言葉の意味を、少しずつ沁み込むように理解していく。
玖澄は終わる為に――死ぬために、花嫁を受け入れたのだ。
「私は、自分可愛さに友を殺した咎人です」
蒼褪め、呆然とした表情の初穂が向ける震える眼差しを受けながら。
応ええる玖澄の声音は不思議な程落ち着いていた。
「居場所を失いたくないが為に……期待を裏切って悪く思われたくない為だけに、本当の玖澄を殺したのです」
返しきれない程の恩義と温かな思いをくれた友を、自分可愛さに殺した。
玖澄は自分の事を許されざる咎人だという。
罪人のまま生きる友のなき世は味気なく、何時か自分の死なせてくれる存在を求めていた。
自分を正しく裁いてくれる人を求めていたとも。
だが、自分では死にきれなかった。
自分で命を断とうとしても、何故か必ず命を取り留めてしまったらしい。
ならば、誰かに殺してもらうしかない。
白妙達では無理だった。彼らは、それだけはけして叶えてくれない。
だから、瀬皓村からの申し出を受け入れた。
何のしがらみもない相手であれば。ましてや自分を化け物と忌み嫌っている人であれば、願いは叶うのではないかと考えて。
「花嫁が生贄の意味である事は気付いていました。だから、本人に会って決めようと」
願いを叶えてくれる対価として、玖澄は花嫁の望みを叶えようと考えていた。
もし、花嫁が死にたくないと……生きる事を望んでいたなら、生きていけるように。
彼女が望む場所で暮らしていけるように。戻りたいと願うならそうするし、どこか違う場所をと願うならそれも叶えるつもりだった。
大概の場合、贄として差し出された者が村に戻って受け入れられるかと言えば、難しい話である。
だから、心づくしの支度は、自分を殺してくれる相手への謝礼のつもりだった。
村に戻る事が出来なくとも、花嫁として捧げられた女性が、この屋敷にて不自由なく暮らしていけるようにと考えて。
だが、あの日祠にて出会った花嫁が望んでいたのは、予想していなかった、だが彼の願いを叶えるものだった。
花嫁は、彼を殺す為にその身を賭す覚悟をしていたのだ。
「貴方が自分の命を賭けた哀しい決意をしているから。ああ、この人にしようと」
初穂は唇を噛みしめたまま俯きかけたが、玖澄を見つめ続けていた。
最初から玖澄は気付いていた。
初穂があやかしを討つ為の何か……短刀を懐に隠し、命と引き換えてでも彼を殺そうとしていたことを。
気付かれていたこともだが、彼がそれを知った上で受け入れたという事実が初穂を愕然とさせる。
大蛇は、懐に不可思議な短刀を抱いた花嫁が、彼を殺そうとしているのだと気付いていた。
けれど何も言わず花嫁として歓迎し、連れ帰った。気付かぬ振りをして温かく受け入れた。
自分の命と引き換えてもと思うのを留まってくれるように心を砕いて、気負わぬようにと気を配って。
何時か、やはり生きたいと心決めた初穂に目的を遂げさせようと――死を望む己の目的を遂げようとしていたのだと。
「貴方の覚悟を、自分が楽になる為に利用しようとしました」
謝る玖澄に向かって、初穂は首を左右に降り続けた。
違うのだ。謝ってほしくなんかない。
哀しみに、切なさに。胸を焼くような罪の意識と、怒りと。
裡にある様々な感情が綯交ぜとなり、初穂を揺らして、言葉を紡がせてくれない。
玖澄の声は静かだからこそ悲しい。
穏やかだからこそ、玖澄が己の死を既に受け入れてしまっていることが。
本当に死ぬつもりであった事がわかってしまう。
それが、初穂には言葉にならないぐらい悲しい。
謝ってほしいのではない。
初穂は、玖澄に……。
「最初は、終わらせてくれる人を、ただ求めていました」
少しばかり玖澄の声に苦いものが混じる。
自ら死ねない大蛇。傍に仕える者が彼の願いを叶えるはずもなく、過ぎた歳月。
齎された人の世からの申し出に、もう誰でもいいから、と彼は縋りついた。
「でも、何時の間にか初穂さんと過ごす日々がしあわせで」
初穂の手に添えられた玖澄の大きな手。
温かさに涙しそうになりながら聞いていた初穂の瞳が揺れる。
初穂と玖澄が共に過ごした、長いとは言えない時間。
あまりに穏やかで心安らぐ時間だった。初穂の心の中に、一つ一つがきらきらと輝きながら積み重なっている。
重ねた思い出を何故こんなに大切に感じるのか。光と思うのか。
「澄まして見せようとするくせに、時折無防備な顔を見せてくれるのが嬉しくて。笑顔を見せてくれるのが、嬉しくて」
初穂は思わず照れたような、でもやや不貞腐れたような表情をしてしまう。
そんな初穂を見て、玖澄のさびしそうだった笑みが、少しばかり明るく輝く。
「一生懸命な初穂さんが、ひとつずつ出来る事が増えていくのが嬉しくて。初穂さんと居られる時間が、あまりに愛しくて」
まるで一つずつ思い出を振り返り辿るように、目を細めながら玖澄はゆっくりと言葉を紡ぐ。
添えられていた玖澄の手が、初穂の手を静かに握る。
そっと初穂の手を取ると、玖澄は祈るように目を伏せながら、頬を寄せた。
何よりも愛しく大切な宝に触れるように、優しく。
「今は、貴方の手以外では終わりたくないと思っている」
胸を突き上げる何かに、私だって、と初穂は心にて叫んでいた。
けれど、それを口に出すには、初穂は今まであまりに『初穂』であり過ぎた。
作り続け、積み重ね続けてきたものが破れない、打ち壊せない。
壁の向こう側に届けたい言葉があるのに、このままでは伝えられないままで終わってしまうのに。
葛藤し続ける初穂の耳に、更に紡がれる玖澄の言葉が聞こえる。
「初穂さんと過ごした時間は、私の宝物です。この思い出があれば、私は笑って逝けます」
宝物、と玖澄は言った。
初穂が玖澄と過ごした時間を光と感じたように、玖澄もまた初穂との時間を大切に想ってくれている。
それがとても嬉しくて。だからこそ、玖澄の願いが悲しいのだ。
自分では、玖澄の心を生に引き留めるには至らなかったのかと、切ないのだ。
言いたい事の欠片も言葉に出来ない事をもどかしく思いながらも、初穂は訴えるように玖澄の紅い瞳を見つめ続けた。
伝わって欲しい。伝えたい。
今に至ってようやく気付いた初穂の心を。初穂が、ようやく抱いていることに気付けた願いを。
「村の為に我が身を犠牲にしようとした貴方に、私などの為に死なないでほしい。生きて、幸せに……」
唇が赤くなるほどに噛みしめてしまっていた初穂は、その言葉を耳にした瞬間目を見開く。
気付いた時には、弾かれたように顔をあげると、玖澄が驚く程に頭を左右に振っていた。
「違う……」
ようやく呻くように絞り出した声は、酷く掠れてしまっていた。
だが、驚いた様子で目を瞬き初穂を見つめる玖澄に向かって、初穂は首を振りながら叫んだ。
「村の……皆の為なんかじゃない……!」
そう、違う。
玖澄は、初穂が村の皆の為に、自ら贄になる事を志願したと思っている。
初穂を、人の為に我が身を犠牲にできる人間だと思っている。
それは見ただけならば正しい。贄として山へ行きますと、申し出たのは確かに初穂だから。
でも、それは。
「私は、そう言わなければいけなかった……。それ以外、選べなかっただけなの……!」
初穂の脳裏に蘇るのは、過去の光景。
災いに苦しむ人々が更に増え、村人の間にも生贄という言葉が聞かれるようになった頃だった。
『初穂様が行けばいいのよ』
『そうそう。地主様の長女なのに、お嫁に行く事も出来ないのだから』
『妹様方は皆嫁いでもうお子様までいらっしゃるのに』
台所に用事があり顔を出そうとした時のことだった。
野菜を届けにきた村の女と、屋敷に仕える女中達が世間話に興じているの見かけた。
自分の名前が出た事で思わず壁に隠れてしまい、初穂が出る機会を逸している間にも女達のお喋りは続いている。
『生きていてもどうせそう長くないなら、少しは人の役に立って欲しいものだわ』
『このままじゃ、他の誰かが犠牲になるじゃない』
『そうよ。働けもしないのに生かされてきたのだから。こういう時に役に立ってもらわないと』
女達は面白くなさそうに溜息を吐く。
日頃から、働きもしないで自分達より着物も食事も恵まれている。綺麗なお屋敷で優雅にのんびり暮らしている。
女達はそう言って、何かにつけては初穂が病がちで、嫁げないことをあげつらっては世間話の種にしていた。
そしてこの話題が、女達だけの意見ではない事を初穂は知っていた。
今や村の殆どの人間が、表だって口に出さぬまでも、同じ様に思っていることに気付いていた。
役に立たない身を生かしてやってきたのだから恩を返せ、と吐き捨てるように言っている父と同じ様に……。
後ろからきた別の女中に呼びかけられて、初穂は振り返った。
それと同時に、陰口に興じていた女達がぎくりと身を強ばらせた。
初穂がそこに居る事に気づいたのだ。
『は、初穂様……!』
『どうかしたの? 何かあった?』
怯えた様子の女達に首を軽く傾げて、さも今来たばかりのように振舞う。
何事もなかったように、初穂は穏やかな笑みで問いかけた。
例え貶める言葉を聞いても、聞かぬ振りをして微笑むことできること。それが、皆の考える『初穂』の振舞いだから。
楚々とした振舞いと控えめな笑顔にて、常に他者への感謝と気遣いを忘れることなく。病弱な我が身を恥て、我が身を足りぬものと弁えて。親を敬い、人を立て、常に一歩退いて。
皆の理想とする立ち居振る舞いに、必要とあらば我が身をなげうつ事すら厭わない健気で素直な娘。
それが、皆の正しいとする『初穂』だった。
このようなところで言い返すのは存在していていい『初穂』ではないのだ。
そして、皆の『初穂』でなければ、生きていてはいけなかった。
感謝と気遣いを忘れないなんて当然よ、という声が響く。
弁えるのも当然よ、だって本当に恥ずかしい存在だから、という声が響く。
役に立たないのに、面倒を見てあげているのだから。
役に立たないのに、生かしてあげているのだから。
皆の為に犠牲になるのは当たり前だ、お前の義務だと、村人全てが叫ぶ声が聞こえる――。
「みんな、みんな、大嫌いだった!」
脳裏に響く声を打ち払うように、初穂は叫んでいた。
溢れだした思いが止まらない。
頬を伝い溢れる雫が、次から次へと落ちていくのが止まらない。
見ない振りをしていた自分の本当の心が、次から次に口から零れるのを、最早止める事が出来ない。
玖澄が戸惑った様子で初穂を見つめているのを感じながら、初穂は尚も叫ぶ。
「好きで、こんな身体に生まれたわけじゃないのに! 私だって、妹達のように生きたかったのに!」
皆のように働くどころか、少しの手伝いをするだけでも調子を崩す我が身をどれだけ情けないと泣いた事だろう。
その度に、気遣う様子を見せながら裏で溜息をつく者達を、どれだけ恨めしいと思っただろう。
叶うならば初穂だって、妹達のように年頃に嫁ぎ、妻となり母となり、生きていきたかった。
姉を嘲笑う妹達を、憎いとすら思ってしまった。そしてそんな思いにとらわれる自分が何よりも嫌いだった。
「好きで、迷惑をかけていたわけじゃない……! 人の手を煩わせていたわけじゃなかったのに……!」
毎度倒れた始末をさせる度、申し訳ないと頭を下げて詫び続けた。申し訳ないと思っていた。叶うならばこのような面倒などかけたくないと思っていた。
皆が当たり前に出来ることが努力しても叶わない事が、ただただ悲しく情けなく。
泣き出したい程の情けなさを堪えて、ただ謝り続けてきた。
子供のように泣きわめくのは皆の望む姿ではないから、あくまで淑やかな物腰を崩さぬように気を使って。
「私は素直でも健気でもない! 本当は皆の事が嫌いで、自分の事が大嫌いだった!」
どれ程相手に対して嫌悪を抱いていても、感謝を口にできる自分を。
相手に対してどれ程心が荒れ狂っていようとも、微笑むことができる自分のことをひねくれものだと思っていた。
でも初穂が、人の手を煩わせなければ生きていられないという事は事実だったから。
皆に迷惑をかける以上、初穂に出来る事は皆の望む通りに振舞うことだけだったから。自分の心を捻じ曲げてでも、生かしてもらうためには皆の望む『初穂』で在らねばいかなかった。
「生贄だって、本当は嫌だった! でも、私が、自分からそう言わなきゃいけなかったから!」
自ら生贄に志願するなど、恐ろしくない訳がない。嫌に決まっている。
けれど、皆が皆、初穂が贄になればいいと思っていた。
皆がそう思っているならば、正しい『初穂』のとるべき行動は一つだった。
皆に言わせてはならない。言わせてしまえば、強いたと気負わせてしまうから。
だから、初穂は自分から贄になると言わなければならなかったのだ。
皆の言葉によらぬ圧力は、それを正しいと初穂の背を押し続けていた。
抗うことなどできず、押し出されるようにして、あの日初穂は申し出た……。
「私は、私のままでは必要とされなかった。皆の望む『初穂』で居なければ、何処にも居場所はなかった。私で居ていい場所なんて、何処にもなかった……!」
人の手を借りなければ生きていけないと言う事を、常に言い聞かされ続けてきた。
人に迷惑をかけなければ生きてこられなかった事への引け目を、常に思い知らされてきた。
だから初穂は、自分の願いではなく、人の願いを読み取って、それを『自分の願い』として言わなければいけなかった。
そうでなければ、生かしてもらっている者として正しくないから。
皆の望む通りに振舞い、皆の理想の通りにあるのが『初穂』だった。
どれだけ激しい感情が渦巻いても、暗い感情が湧き上がっていても微笑みに封じて。皆の望むものでなければ、そこに居てはいけなかった。生きていてはいけなかった。
そして、何時しか自分の本当の願いを抱く事を忘れてしまった。
だって、それは有ってはならないものだったから……。
「でも、私はここにきて。玖澄にあって、一緒に過ごして。……初めて、私はここに居るのだ、と思えたの」
優しい大蛇がそのままの初穂を受け入れてくれたから。
初穂が何かを望む事、願う事を否定することなく認めて、穏やかに温かに共に居てくれたから。
ようやく、自分の足で地を踏みしめている心地がする。
自分が、確かにここに居るのだと感じることが出来ている。
初穂は、自分を覆っていた壁とも殻ともつかない固い隔てが音を立てて壊れていくのを感じていた。
今、玖澄と向き合っているのは、ひねくれもので激しい、けして素直でもいい子でもない本当の初穂だった。
「短いというなら、尚更愛しいって。大切だって言った貴方が、投げ出そうとしないで!」
――『先に限りがあるというならば。もし、それが短いと言うならば。ならば尚の事、共に在る事のできる時間は愛しく、大切なものです』
かつて生きることを諦めようとしていた初穂に、玖澄がかつて言った言葉が蘇る。
そう長く生きられないから先を望むことを無駄と思い、捨て鉢になっていた自分。
そんな自分を支え、繋げてくれた言葉だった。
言葉は初穂の心に灯った明りとなり、初穂が歩こうとする先を照らしてくれている。
そして思うのだ、叶うならば隣にこのひとがあればいいと。
「私に願うことを教えてくれた貴方が……温かい場所を教えてくれた貴方が、私を冷たい場所に追いやろうとしないで……」
言って、初穂は自ら玖澄の胸に飛び込むように縋りつく。
子供が駄々をこねるように首を左右にふりながら、偽る事のない願いを祈るように呟きながら。
玖澄が戸惑っている気配が伝わってくる。
回そうと背に伸びた手が、躊躇うように止まり、震えているのがわかる。
一度黙した初穂は、玖澄の胸に顏を埋めながら静かに再び口を開いた。
「玖澄は私が望むように、喜ぶようにと振舞ってくれていたけれど。あなたの、願いは、何……?」
終わらせるために、死ぬために、花嫁という名の贄を受け入れた玖澄。
彼の願いは本当に死ぬことなのだろうか、と初穂は思う。
死した大蛇の願いは、彼が罪咎に苦しみ続け、死を望むことだったのだろうか。
初穂と過ごした時間を宝物と愛しんでくれた、あの言葉に宿る温かさに嘘がないというならば。
本当の願いはきっと違う、と初穂は思う。
違って欲しい、と初穂は願っている。
だが、初穂はそれを口にしなかった。
玖澄の願いは、玖澄が口にしなければならない。
初穂が、かつての村人たちのように『言わせて』はいけないから。
彼が本当に死を望むというならば、初穂はそれを否定してはならない。それがどんなに、初穂にとって辛くても。
初穂が黙ると、それきり二人とも口を開くことなく、部屋には静寂が満ちた。
玖澄が用意してくれた舶来の長時計の針が、時を刻む音だけが響く中。
不意に響いた声が、沈黙を破った。
「いきたい、です」
小さく呟いた声は、玖澄のものだった。
どこか叱られることを恐れる子供のような弱弱しい声音であったけれど、確かに玖澄は口にした。
友を殺した咎人と自らを戒めていた彼が。
何処か自分の望みを言う事を恐れていた彼が。
初穂を強く抱き締めながら、震えながら心からの願いを重ねるように紡いだ。
「私は、生きたいです……」
あなたと、と小さく掠れるような声が聞こえたような気がする。
玖澄の顔を見る事は出来ないけれど、初穂は彼が泣いているように感じた。
いつも誰かの為に流していた優しい涙を、ようやく今時分の為に流しているのだと。
それが何故か嬉しくて、嬉しくて堪らなくて。
初穂は玖澄の背に戸惑う事無く腕を回すと、応えるように告げた。
「わたしも、生きたい……!」
ああ、温かい。
胸を満たす温かな心に、初穂は静かに目を細めた。
ようやく目を背けることなく向き合えた、自分の気持ち。
命じられた使命を、何時しか辛いと思うようになった理由。
玖澄を殺したくないと思った理由。玖澄と生きたいと思う理由。
ようやく、初穂は自分の中にある温かな心の正体を認めた。
初穂は、玖澄を一人の男性として好いている……。
「私たちは、似た者同士、でしたね」
初穂が目を伏せながら、願いを抱いた『理由』について思いを巡らせていると玖澄が呟いた。
優しく苦笑いしている玖澄の様子を感じながら、初穂は一つ頷いた。
抱き締めた腕に力をこめながら、玖澄は続けた。
「今ならわかります。かつての私と同じな貴方が笑ってくれたなら。きっと、救われるような気がしたのです」
初穂も、玖澄も。
そのままの自分では生きていてはいけなかった。皆に望まれず、受け入れられなかった。
同じ何かを、近しい何かを、お互いに感じていた。
そして、お互いの願いに触れて、今ようやく自ら願うことを思い出した。
「ありがとうございます」
突然礼を言われて、初穂がきょとんと目を瞬いた。
少しだけ身体を離して見上げると、溢れるような優しさと喜びに輝く玖澄の笑顔があった。
「生きていてくれて。私の元に辿り着いてくれて、ありがとう」
一言一言を噛みしめるようにして玖澄は言う。
照れてしまってなかなか言葉を帰せずに居た初穂だったが。
「……それは私の言うことよ」
恥じらい顔を隠すように玖澄の顔に胸を埋めながら。
初穂が呟き返すと、玖澄は嬉しそうに笑って、もう一度初穂を抱き締めた……。
私は、本当に此処に居ていいのだと。
誰かの為にではなく、私の為にこれからを生きていていいのだと。
自分の為に、この優しい大蛇と生きたいと願っていいのだということが、堪らなく嬉しいと。
そして愛しいと、初穂は感じていた――。
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