デイトナ・スキップ

伊佐良シヅキ

前編

左腕の時計の針は、淡い緑色に光りながら二時二十三分の位置を指している。

 逢坂絵里あいさかえりはもうすぐ七月という季節に見合わない厚手のジャケットの間から覗く腕時計の針を眺めて、ふう、と小さく緊張をほぐすように息をつく。

丑三つ時の谷間たにあいの田舎街は人の作る音も光もない、目に痛い白の街灯がぽちぽち灯るくらいで、家の明かりなんて点いてさえいない。だから頭上の黒紺色の空は高く、星も月も綺麗に見える。

風が葉を揺らす音に混じるよくわからない鳥達の声が、すっかり人が消えてしまった死んだ街を我が物顔で乗っ取っているようにさえ思えてくる。

絵里の肩までの茶色がかった黒髪を揺らす風も、何となく寒々しい。

「まあ、『死んだ街』だもんね」

 眼の前の巨大な骸骨がいこつを見上げながら、不織布ふしょくふマスクの中で吐き捨てるように絵里は呟いた。

限りなく黒に近い濃紺の空の下、満月にぼうっと浮かび上がる奇妙な骨格標本模型――頭と腕が欠けた替わりに、胸のところに四つの車輪を備えた巨大な立坑櫓たてこうやぐらは、昼間の赤錆びた姿より、ずっと『死』に近い場所に見えた。

『こういう夜にそのスキップに乗ったらさ、下じゃなくてずーっと上に登るかもね。そんであの世に行っちゃうの。カムパネルラみたいに』

少し前の晴れた夜の夕子の言葉を、思い出してしまった。

「……変なこと考えないで、支度しよ」

 天に向かってそびえる骸骨塔のたもとで、絵里は家から黙って拝借し、小脇に抱えてきたものを身につけ始める。

「うっわ、やっぱデカいなあ」

リビングの飾り棚からこっそり持ち出すのに苦労したそれらは、やはり成人男性向けに作られているためか、同年代女子の平均身長を少し下回る絵里の身体には合うはずがない。

ベルトの位置を自分の頭に合うくらいきつく締め終わった頃、何の鳥か獣かわからない鳴き声に混じって、ここ数週間、絵里の耳に聞き慣れた音がする。

夜中の谷間にこだまする、鳥の羽ばたきをさらに大げさにしたような、低い唸りを伴う金属質の鼓動音。それが鉄塔のたもとに近づいてくるにつれ、絵里の目に薄黄色い人工光が飛び込み、強烈な光の輪の中にその身体が照らされる。

遠い昔に消滅した会社の名前入りの、錆の浮いた青緑の鉄製ヘルメット。ごつい黒革のゴーグル。それに口元を隠す不織布のマスクに季節外れな厚手のベージュのジャケットという、滅茶苦茶な取り合わせの背の低い少女が光の輪の中に捉えられたところで、きっ、と小さな金属音を立てて、ようやく低い唸りが止んだ。

「なんだ、結構似合ってんじゃん」

 金属質の羽ばたき――大型バイクのアイドルに混じった冗談っぽい声に、絵里はゴーグル越しにその背に跨がる声の主を睨み、恨みがましく返した。

「似合ってるってどういう風によ」

「なんか鉱山の妖精みたいでかわいい。絵里丸顔だからさ、マスク外せばもっとかわいいと思う」

「うっさい。そういうかわいいは望んでない」

 バイクに跨がる長身の女――同じヘルメットとゴーグルと、マスクとジャケット姿なのに、こちらは絵里のドワーフ姿と違って、ライダーファッションとして決まっている。

 絵里の姿に緊張が解けたのだろう。彼女はおもむろに口元を隠すオリーブ色のウレタンマスクを外し、ゴーグルをヘルメットにかける。

ヘッドライトから漏れた光に照らし上げられる、大きいくせに涼し気な吊り目と、おでこの上で一直線に切られた艶のある漆黒の髪は、学校でいつも見ているセーラー服姿の愛想のない『かぐや姫』とはパーツは同じでも、見え方はまるで別物だ。

バイクに跨がった三谷夕子みたにゆうこは、格好良くて、どこか危うい。絵里は初めて夕子のこの姿を見た夜から、思っていた。


                   *


逢坂絵里の憧れの高校生活――生まれ育ったこの街と違い、まだ札幌からの活気を貰って栄えている隣市の高校に通うことで、ようやく鬱屈を吹き飛ばして素晴らしき青春の日々が訪れると思っていた――は、絵里が中学を卒業する冬、中国からあっという間に世界中に広まった肺炎ウィルスによって暗転させられた。

入学式は二ヶ月遅れ、部活動も宿泊遠足も文化祭も無し。買い食いも、友達との放課後のショッピングも何もない。あるのは授業を受けるだけ受けて、高校と家とをバスに揺られる日々の連続。休日も前は気軽に行けたイオンすら、行く度に母親に小言を言われるようになった。

 景色が雪に埋もれてバスがしょっちゅう遅れるようになる頃には、世間も絵里の周りも少し気が緩んで、クラスメイト達も取り留めもない話をしだすようにはなっていった。

だが、それでも絵里の鬱屈は消えなかった。

それが変わり始めたのは学年が二年生に上がり、外の空気から石油の燃える臭いが消え始めた頃。

三谷夕子という存在が、絵里の全てを激変させた。

 クラス替え直後の自己紹介で三谷夕子を見た時、絵里が抱いた感想は「美人だ」だ。簡単すぎるが、三谷夕子を言い表すには十分な感想だと、絵里は今も思っている。

おでこの上と肩の下で真っ直ぐ切った黒髪、切れ長の吊り目が特徴的な長身の少女。野暮ったい不織布のマスクが隠していても口元が整っているだろうことは簡単に想像出来た。

その上、彼女は纏っている空気や物腰も、ずっと地方都市で育った絵里には洗練されて見え、一年生の頃のクラスメイトの話で札幌育ちと聞いた時には、やっぱり、と納得した。

だけれど三谷夕子は、クラスの誰とも積極的に接点を持とうとしなかった。

無口で無愛想、事務的な言葉しか発しない様子と姫カットも相まって、五月の連休過ぎには三谷夕子はいつの間にか『かぐや姫』と呼ばれ、遠巻きにされ始めていた。

 絵里は遠巻きに洗練された『かぐや姫』を眺め、憧れながらも、声をかけるのは何となく躊躇われた。

そしてもう一つの変化が、絵里の家の周囲でも起こっていた。『仮面ライダー』の出現だ。

雪解けと共に突然現れた『仮面ライダー』は深夜の二時頃、西の隣市から幹線道を避けて、絵里の家のある山側の旧炭鉱街をバイクで突っ走り、東のダム湖の方に走り抜ける。

そして時計の短針が斜め下に移る頃、また旧炭鉱街を通り道に戻ってゆく。それを毎日のように繰り返す。

『仮面ライダー』という名前も、近所の新聞店の年配女性が夜明けに原付で配達中に自分を追い越した、ウレタンマスクとゴーグルで顔を覆いきった夜闇の謎のバイク乗りをこう呼び始めたのがきっかけで、以来近所でそいつは『仮面ライダー』と呼ばれるようになった。

 夜更かしの常習犯で眠りの深い絵里は、『仮面ライダー』の往路のエンジン音を聞くだけだったが、眠りが浅い母親の不機嫌ぶりは酷いものだ。

そして忘れもしない。五月下旬の満月の夜。

ここ数ヶ月いつものように、二階の自室でベッドに寝そべって充電ケーブルが差さったスマホを枕に置き、画面の中の天真爛漫な女の子を一流アスリートに育てていた絵里の耳に、聞き慣れた音が聞こえてきた。

自動車のよりも耳に残る、高音域の派手なバイク特有のエンジン音。多分『仮面ライダー』のだ。

近づいてきたエンジン音はいつもなら最高潮にうるさくなった後に余韻を残しつつ東に消える。

けれど、その日は甲高いエンジン音はうるささの最高潮が続いたまま、余韻も残さず急に沈黙したのだ。

何となく気になって窓のカーテンを開ける。覗いた窓外は緑の芽吹き始めた山と、広大な空き地に立つ巨大な鉄骨の塔が大きな満月に青白く照らされている。

そこに『仮面ライダー』と思しき影がヘルメットを取り、バイクのハンドルに突っ伏すように背を丸めているのが、絵里の目に入った。

気づけば絵里はパジャマの上からジャケットを羽織って、窓を開けてクロックスサンダルを突っかけ、ベランダ脇から伸びるハシゴで地面に下りる。

『仮面ライダー』の正体を知りたい。好奇心が衝動的に絵里を突き動かしたと、その時は思っていた。

しかし後から考えてみれば、きっと変わってしまった生活と、何も変わらない絵里の周りとの鬱屈した閉塞を、『仮面ライダー』が壊してくれる。そういう期待が衝動の原動力だったのだろう。

家の敷地を離れると、絵里は一目散に夜の道を駆ける。

鉄骨の塔の下に至った時、『仮面ライダー』はクロックスサンダルの立てる間抜けな足音に振り向く。月光に浮かぶその顔は、絵里にとって見覚えがあるものだった。

「三谷……夕子?」

 絵里が思わず呟くと同時に、月下の『仮面ライダー』――三谷夕子もまた「……逢坂」と絵里をファミリーネームで呼んでくる。



月下の廃墟に、エンジンを切ったバイクが一台。それを取り囲むように、レザーコートの『かぐや姫』と、春用ジャケットにパジャマ姿の女の子。

「……どうして逢坂はここ居るの」

「あたしんち、あの赤茶の屋根の家」

 絵里の言葉に、夕子はああ、とすぐ合点がいったようだ。

「ってかよく名前知ってるね」

「地学のクラスで机一緒でしょ。それで」夕子は少し間をおいて、付け加えるように言う。「後、よく私のこと見てる子だなって、覚えてた」

 うぁ、と絵里は妙な声を上げる。絵里が彼女を目で追いかけていた癖は、夕子に気づかれていたらしい。

「――三谷こそここで何やってんの」

 絵里は話題を逸らそうと、夕子がそうしたようにファミリーネームで彼女を呼ぶ。

「ツーリング」

「それは知ってる。あたしが聞きたいのは――」そこまで言って夕子の横顔に目をやって、絵里は口を開けたまま黙してしまう。

『かぐや姫』の仇名の通りに、満月の光に青く照らされた彼女の横顔は本当に恐ろしく綺麗で、恐ろしく危うい。無骨な革グローブを嵌めた手が、彼女の頬と同じくらい青く照らされた鉄骨の塔を指差す。

「走ってる時前からアレが気になってさ。今日は丁度月出てて、雲もなかったからアレ見ようって」

 夕子の横顔が、絵里の方を向く。

「あの骸骨みたいなのってさ、炭鉱の何か?」

「……当たり。よくわかったね」

 絵里の最後の言葉は皮肉と驚き、それと珍しげに廃墟を見上げる夕子へのかすかな妬心としんが混じっていた。

絵里は夕子の人差し指の先に重ねるように、自分の人差し指を鉄骨の塔に向ける。

「立坑櫓つってね、炭鉱の地下で掘った石炭とか掘る人を運ぶエレベーターのお化けみたいなモノ。大体の炭鉱のシンボルみたいなもんなんだ」

 絵里の指は隙間から星明かりを漏らす塔の上の方へ向かって滑ってゆく。

「上に車輪が四つあるでしょ。下の建物にでっかいモーターがあって、ここの立坑櫓はモーターから車輪に伸びたワイヤーで、人の乗ったケージって箱と、石炭や掘った時のズリの乗ったスキップって箱を地下から巻き上げるの。スキップの方は全部で四百トンの石炭とズリを秒速十二メートルで思いっきり引き上げる、すげーエレベーターだったんだって」

「逢坂、やたら詳しいんだね」

 夕子が可笑しそうに言うが、絵里は「好きで詳しくなったんじゃない」と返す。

「お祖母ばあちゃんの弟……大叔父おおおじさんが滅茶苦茶自慢してたの。日本でも一番だか二番だかに凄いスキップを三年、自分が動かしてたってのが大叔父さんの自慢みたいなもんだったから。日本一速いエレベーターってのがテレビで紹介されてたの見てさ、『なーにが日本一だ! はんかくせえ! 秒速六メートルなら奔別ぽんべつのスキップの半分しか出てねえべや!』ってキレてたくらいだもん」

「比べる相手違いすぎない?」

 くすっと口元を押さえる夕子。『かぐや姫』も一皮むくと、こんなくだらない話で笑ってしまうらしい。

「もちろんみんなして突っ込んだよ。石炭と人間一緒にするなって」

 そして絵里は人差し指を下――塔の根本、がらんどうになった、鉄の骨組みだけの構造物へと滑らせて、吐き捨てるように語気を荒らげた。

「でも、結局作って十年で要らなくなったんだよ。コイツ。すげー金かけてすげー立派に作ったのに、結局石炭はもう時代遅れってなってポイ。そんで坑道こうどう埋める時、中で爆発したから、あそこの壁も屋根も全部吹っ飛んでるんだ」

「炭鉱の腹いせ自殺?」

「かもね」絵里はシニカルな口調で返す。「でも働いてた人が離れても、自慢のスキップ操縦してた人が死んじゃっても、ずーっと自殺死体は残ったまま。死体になってる頃の方がずっと長いくらい」

 絵里はせせら笑いを込めながら、続けた。

三笠みかさはインター離れるとこういうのだらけでさ。立坑櫓とか、炭住たんじゅうとか、あっちこっち死体だらけ。観光のために飾ってる汽車や化石も結局全部動かない死体だし、『死んでる街』なんだよ」

 死んでいる街。

 それは絵里がこの街を離れたくてしょうがない理由だ。

 絵里が生まれた頃からこの街はもうずっと死んでいた。

 家の周りにあるのはモルタルで壁も窓も埋められた炭住だったもの。元々何だったのかもわからないコンクリの残骸。

 なのにまだ生きていた時代を誇るような大叔父の自慢話や、リビングのその証のヘルメットとゴーグル。それにこの立坑櫓。

 死んでいる癖に、死んでいないと言い張り、過去の栄光に縋ることを生きていると勘違いしているようで嫌だった。

 だから少しでも生きているものに近づきたいと、隣市の高校を選んで、札幌育ちの夕子を遠巻きに眺めた。

「でも」夕子が突然口を挟む。「死んでもそんなに存在感あるんなら、私は憧れるな」

 そんなの惨めだ、と絵里が言い出す前に、夕子は呟く。

「何も残らず全部消えちゃうより、全然良い」

 絵里は先ほどまで口にしようとした言葉を紡げなかった。

彼女の呟きは、絵里には否定しきれない程の重みを帯びていた。

 絵里は口を噤んだまま視線を地面へと落とす。

 月も、星も、立坑櫓も、夕子の横顔も直視出来なかった。

 木の葉の揺れる音が再び廃墟を包んだかと思うと、突如きゅるきゅると変わった鳥の鳴き声のような音に続き、耳の奥を直接刺激する高音域のエンジン音が響きわたる。

 月明かりより眩しい光量が、周囲を照らし上げた。

「帰るの?」

「まあね。今日は早めに切り上げる予定だったからさ」

 夕子はヘルメットを被り、ゴーグルを付ける。『仮面ライダー』に戻る直前、夕子は口元をいたずらっぽく笑ませて、かろうじて絵里に聞こえる声量で言った。

「私がこれ乗ってツーリングしてんの言わないでね。実は無免だからさ」

 超ド級の爆弾発言の後に、『仮面ライダー』はウレタンマスクを付けて、惚けたままの絵里を置いて、元来た道を颯爽とUターンしてゆく。

「……無免なのかよ、三谷のやつ」

 あんだけ格好良くバイクを乗りこなしている癖して、と、既に小路(こみち)を曲がって消えたテールランプに絵里は毒づいた。



 三谷夕子と逢坂絵里の、深夜の廃墟での密会は、それからも続いた。

 不織布マスクの『かぐや姫』は学校で必要以上に言葉を交わさないし、『仮面ライダー』も毎晩絵里の家の側を往復するが、金曜日の地学の授業の後、決まって夕子はスパイの合図の如く、「今日あそこで」と書いた付箋ふせんをこっそり絵里のノートに貼り付けていく。そしてその夜バイクは合図の通りに立坑櫓に寄るのだ。

 夕子は月下で『仮面ライダー』の仮面を外した瞬間だけ、とんでもなく饒舌になった。

 夕子のバイクがトライアンフ・ボンネビルという名前で、祖父から形見分けされた、前の東京オリンピックの年に作られたイギリス製のバイクだと知った。

 そしてこのボンネビルは夕子の持っている免許で乗るには排気量がでかくて、十八歳にならないと取れない大型二輪免許でないと本当は乗れないこと。だから乗る時は、顔が見えないようにしてぶん回していること。

 ついでに学校で素っ気ないのも、口を滑らせたり、交友関係を広げすぎたりして、無免ツーリングがバレないようにするためと、本人の口から悪びれずに語られた。

「四百cc規制なんてもんがある日本の免許制度が悪いんだ」とうそぶく夕子を、絵里は責める気にもなれなかった。

 別の夜、夕子が絵里の母含めてこの周囲の住民達に、自分が『仮面ライダー』と呼ばれていることを絵里の口から教えられると、今度は夕子が「だっせえ」と引きつった呆れ笑いを上げていた。

「こっちはボマージャケットとかゴーグルとかグローブとかマスクとか全部似合うように揃えて、デイトナのライダー気取ってたのに。仮面ライダー呼ばわりされてたとか、だっせえ。月曜に学校で仮面ライダー部作んなきゃいけなくなっちゃうじゃん」

「田舎のおばちゃんのボキャブラリーに期待すんなよ。ってかデイトナってなんだよ」

「フロリダのデイトナビーチってとこでやる、バイク乗りの祭典。祖父(じい)ちゃんは結局行ったことはなかったんだけどさ、私は行くって決めてる」

 息も絶え絶えで、引きつり笑いが堪えられないままな夕子が語る。ここ一ヶ月、こんな風に絵里は今まで興味もなかったバイクの知識を夕子からどんどん教え込まれていった。

『仮面ライダー』、もといデイトナ気取りの少女は端正な容貌(ようぼう)と真逆に口も素行も最悪で、密会を重ねるごとに絵里の中の夕子像をぶっ壊していった。

 ついでに絵里の抱いていた幻想すら、夕子はぶっ壊していった。

 ある夜、熱っぽく札幌への憧れを語る絵里を、夕子は、以前絵里がこの街を『死んだ街』と呼んだ時のようなシニカルな口調で遮った。

「札幌なんてそんないい街じゃないよ。駅からすすきのまでの街中と、地下鉄やJRのちょい大きい駅の周り以外はぜーんぶ岩見沢いわみざわと大差ないし、それがダラダラ広がってるだけ」

「でも元気に生きてる街じゃん」

「単に致命傷食らってないってだけ。本当に『生きてる』って認められてる街なら、再開発の口実作りでオリンピック開くとか言わないって」

 絵里はこの夕子の言葉に反発したかったが、夕子はそれを察してか、絵里が何か言おうとするのを遮ってきゅるきゅるとバイクのセルモーターを作動させる。

 これも毎夜の夕子の常套手段だ。

 ただ、この夜だけは去り際に、絵里に向かって不思議な注文を付けてきた。

「来週ここ来る時さ、前言ってた大叔父さんのヘルメットとゴーグルと、あとマスク付けてきてよ。あと長ズボンと厚めのジャケット着て、あったらブーツ履いてさ」

 これがきっかり先週の夜の話だ。



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