3-3、

 都内であれば、既に肌寒く感じ始める季節だが、幸いにしてここは南国。暑くもなく寒くもない、丁度よい気温である。


 とはいえ、遠くの山々に見える広葉樹は、もう随分と秋らしい色合いになっている。


 笙歌は薄いノースリーブハイネックの上に、もう一枚薄手のアウターを羽織り、愛車のMINI・3ドアに乗り込んだ。


 エンジンを回すと、低音ながら軽やかな、程よいエキゾーストサウンドが響き渡る。


 田舎の街なかを軽快に走り抜け、農村部へと突き進む。目指すは一〇分ばかし先の、タマキンこと玉澄金作の居宅である。


 途中、住民らしき腰の曲がったお婆さんとすれ違った。


 バックミラー越しにチラリとお婆さんを見ると、路肩に立ち止まってしかめっ面でこちらを見ている。三人プラス笙歌は、いまだ村民達に歓迎されていない。笙歌、倫輔、彰善と、村の生活に相応ふさわしからぬ高級外車を好き勝手走らせるさまに、反感を覚えるらしい。


 程なく、金作宅に到着した。隣の草藪――所有者不明の空き地――に愛車を停める。


 門の方へと回ると、早速、暖色のもふもふが尻尾をブンブン振りながら飛びついてきた。


「おはよう、まんぷく丸。お出迎えご苦労♪」


 しゃがんでまんぷく丸の頭や首筋を撫で回す。そして、バックからお土産の“ちゅるりん”を取り出すと、封を切りまんぷく丸に食べさせる。


 わふっ、とひと鳴きし、“ちゅるりん”に食らいつく、まんぷく丸。


「あはははっ。ういヤツじゃ、ういヤツじゃ♪」


 金作のみならず倫輔も、犬を飼っている。笙歌も犬かネコを飼いたいが、あいにく笙歌の住まいはペット不可物件だ。


(もっと良い条件の場所探して、移り住みたいな……)


 まんぷく丸を撫で回す度にそう思うのだが、なかなか踏ん切りがつかない。そもそも田舎の小さな町には賃貸物件自体が少なく、そうそう都合の良い物件など無い。


 あっという間にちゅるりんを食べ終わったまんぷく丸の頭をひと撫でし、それから母屋の玄関へと移動する。


 勝手知ったる何とやらで、インターホンのボタンを押し、


「タマキンっ、居る? 居るよね。お邪魔しま~す」


 と声をかけるが早いか、さっさと扉を開けて中へ入る。


 玄関先から廊下へと、ずらりと並べられた土簡はにふだ……は、既に片付けられたようで見当たらない。


 上がりがまちに腰掛けてストラップサンダルを脱ぎ、振り返ると、廊下の奥からラフな格好の金作が顔を出し、


「おう。上がれ」


 と、笙歌に声をかけてきた。笙歌は頷き、目についたスリッパを履いて立ち上がると、奥へと向かう。


 と同時に、外の方で車のエンジン音が聞こえ、隣の空き地に停車する気配がした。まんぷく丸がいそいそと立ち上がり、外へ駆け出して行ったから、倫輔か彰善がやって来たのだろう。


 それぞれクーペとRVの違いはあるものの、どちらもポルシェエンジンなので、意識して聞き分けないとどっちがどっちか判らない。


 が、程なく別のエンジン音も聞こえた。二人共、金作宅に揃ったのだろう。


 笙歌は、これまた勝手知ったる何とやらでキッチンに入り込み、一足早くコーヒーを用意する。四人全員揃う頃には用意も整い、ジャストタイミングでリビングへ。


 座敷三つを潰して改装した広いリビング。――


 七、八人は座れそうな大きなソファが並んでいる。四人それぞれ適当に腰掛け、笙歌の淹れたコーヒーを口にする。


「ウドさあ。ひとまず神代文字について、ざっと解説してくれるか?」

「おう。……まあ、簡単に言えば、漢字伝来以前の古代文字じゃな」


 現代の歴史学者は、古代日本には独自の文字など存在しなかった、と主張しているらしい。それが学会のコンセンサスなのだとか。


 しかし現実には、日本中至るところで各種の神代文字が見つかっている。山中の岩に刻まれていたり、神社の御神体たる岩に刻まれていたり……。


「面白いところでは、伊勢神宮には有名人の書が奉納されちょる。そン幾つかは、神代文字で書かれちょっとよ」


 稗田阿礼や源頼朝、義経兄弟といった誰でも知っている著名人の直筆書が、伊勢神宮にあるらしい。


「ほう。で、なんで学者連中は、神代文字をフェイク扱いしちょるのか? 神代文字が存在した、っちゅう立派な証拠があるわけじゃろ」

「原本が残っちょらんから、フェイクじゃち言いよる。後世の人間が偽造したんじゃろ、と」

「はあ……」


 何しろ我が国の歴史は古い。例えば頼朝、義経の時代から数えても、既に八〇〇年以上経過している。


 当然、原本などとっくにボロボロになり、残っていない。


 なのでそれこそ伊勢神宮では、これまで何度かトレース作業を行い、いわゆるコピーを作ってそれらの保存に努めてきた。


 それを戦後の歴史学者達が、


 ――原本じゃないからフェイクだ。


 とうそぶいているらしい。


「ちなみに戦前は……」


 かなり不幸な事情が横行していた、と倫輔は言う。


 軍部においては、記紀神話に基づく“皇国史観”とやらに凝り固まった連中が多かった。


 かつて我が国では、幾つかの古代文書が見つかっていた。有名なところではウエツフミ。これは鎌倉時代に、古い伝承を集めて編纂されたと言われている。その出典は豊国トヨクニ文字で書かれている。


 それから先代旧事本紀くじほんぎ大成経たいせいきょう。“経”とつくが、仏教経典ではない。百科事典というべき、七二巻もある文書である。


 聖徳太子の命で編纂された、漢文の文書だ。当然、古事記や日本書紀より古いとされるが、これが世に出たのは江戸時代初期だった。他にもホツマツタエという文書が、江戸時代中期に世に出ている。これも原文は、ヲシテ文字という古い文字で書かれている。


 加えて明治以降、竹内文書や富士宮下文書など、幾つもの古代文書が世に登場した。


 それらに共通して言えることは、記紀神話と微妙に異なっていたり、あるいは完全に異なっていたりするらしい。同一の歴史的事実を扱っているにせよ、皇室とは異なる立場、視点から描写されているケースも見られる。


「そイが、皇国史観を信奉する軍部の連中からすれば、気に食わんかったらしい」


 そこで、それらの文書が大々的に抹殺されたり、果ては神代文字の刻まれた、神社の御神体が次々と爆破されたり……といった事件が横行したという。


「なるほどね。うん、お父さんからそういう話を聞いたことがあるよ」


 神社の娘である笙歌も、頷く。


 日本に多数存在する神社には、記紀神話と微妙に異なる、独自の歴史が伝わっているのである。これは歴史の長い日本ならではの事情と言える。


「じゃっど。神代文字なんちゅうもンが存在したら、皇国史観が揺らぐ」


 黙って話に耳を傾けていた彰善が、ここで口を挟んだ。


「そうか。大体の経緯は解った。……だけど現代の歴史学者って、皇国史観を否定してるんだら? なのに何で、未だに神代文字を否定する? 証拠は多数あるわけだし、むしろ皇国史観を否定する根拠として、神代文字を肯定して良さそうなもんだが」

「ガトリングは相変わらず、鋭いな」


 論理的におかしいと、すぐ気付く……と倫輔は驚嘆の声を上げつつ、カップに半分程残ったコーヒーを一気にあおる。


「ガトリングの言うごつ、皇国史観を否定したけりゃ、神代文字を肯定するっちゅうのもアリじゃ。じゃっどん、歴史学者共は神代文字そのものを認めたくねえ。認めたら、どうなる?」

「日本には、物凄くブチ長い、栄えある歴史がある……と認めることになるっちゃ」


 金作が、まさに本質を突くような発言をした。


「おう、そうじゃ」


 倫輔は強く頷き、


「我が国の、長く、栄えある歴史っちゅうもんを主張したら、お隣のあの国とか、はたまたあの国の連中がガタガタ騒ぐんじゃ。だからじゃかい、敢えて『文字すらねえ、未開の土人国ゝゝゝじゃった』っちゅう歴史観を主張した方が、学者共のポッケにゼニが入って来る。……講演依頼やら執筆収入やら、な」


 倫輔は右手で丸を作り、胸元に突っ込む仕草をする。


「おいおい、何じゃそりゃ……。一種の売国行為じゃねーか」

「そン通りじゃ」

「うわっ。なるほどなあ」

「それなら今回の発見って、すんなり学者に渡したら隠蔽されるおそれがあるんじゃないの?」


 笙歌がそう言うと、倫輔と金作が頷く。


「じゃっど。そげな例が沢山ある」

「うん。オレも直感的にそう思ったけえ、ウドさあとガトリングに声かけたんじゃ」


 先に我々で調査して、それを世間に公表する。そうすれば隠蔽を防げるだろう、と金作は言う。


 笙歌は、ほうっ、とひとつ大きな溜め息をつきつつ、どうしてタマキンの周囲では、毎度毎度面白おかしい事件が発生するのかと思案した。


 四秒半の後、こいつのカオがオモロいから……という結論に至ったが、さすがにこの場でそれを口に出すのは憚られた。代わりに無言で、冷めかけたコーヒーを一口、啜った。

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