ウルトラ・ハッピー・バレンタイン

 ほんとうに、ほんとうにわけがわからないんだけど、もう我慢ができないから、ぼくは走っていた。ランドセルがゴトゴト鳴る。学校からの帰り道。遠くにパステルピンクのランドセルが見える。追いつきたい。追いつかなきゃ。


 もよちゃん。


 給食当番になって、カレーをよそうたびに、もよちゃんの時だけ大盛りにしてあげていたの、気づいてくれていたかな。授業中、分数の計算そっちのけでもよちゃんのショートヘアにテレパシーを送り続けていたの、気づいてくれていたかな。体育の時、引っ込み思案のもよちゃんがあぶれないように、いつもさりげなく近くにいて、二人一組を組んであげていたの、気づいてくれていたかな。


 きっと気づいていなかったよな。


 だってもよちゃんが昨日持ってきていたバレンタインチョコレートは、ぼくじゃなく、他の誰かに渡されたのだろうから。


 もよちゃんが昨日のバレンタインデーにチョコを持ってきていることに気づいたのは、たまたま、もよちゃんのランドセルのなかをチラリと見てしまったからで、ぼくはその時、ええー!と思った。ひょっとして!とも思った。でもひょっとしなかった。ぼくは昨日、誰からもチョコをもらえなかった。もよちゃんが誰かにチョコを渡したところを見たわけじゃないけど、たぶん、そういうことなのだ。もよちゃんには、ぼく以外に、好きな、人が。


 ぼくは走る。運動神経はからっきしで、鬼ごっこでも弱いし、そもそも、もよちゃんに追いついて何を言うかも考えてない。

 でも走る。

 わけわからない。

 パステルピンクのランドセルが目の前に。

 追いついてしまった。

 もよちゃんが振り返る。目元の、長い前髪が風にゆれて、大きな瞳が見え隠れする。

 なぜか、もよちゃんは、涙目。

 どっどっどっどうしよう?


「も、もよちゃん」


 ぼくは全然わけわからないまま、目を回しながら口を回した。


「そ、そっそ、その」

「ど、どうしたの、たかみや君……?」


 もよちゃんが、ガラス細工みたいに儚い声でぼくの名を呼ぶ。それだけでぼくの心のなかに大海原が広がった。ぜんぶ押し流した。大波がざっぱんざっぱんした。イルカがジャンプして、クジラの噴水が虹を描いた。


 ぼくは叫んだ。


「もよちゃんからのチョコが欲しかったよお!!」


 ぼくは叫んだ。


「もよちゃん、好きだ!!」


 ぼくは叫んだ。


「けっ結婚して、結婚したりしたいよ!!」


 ぼくは叫んだ。


「そしたらさ、そしたら! そしたらさあ!!」


 ぼくは尻すぼみになった。


「デッ、デート、とか、とか……」


 ぼくはうつむいた。


「とか……とか言っちゃってね~」


 ぼくは泣きそうになった。


「そ……そういうわけで……」


 踵を返した。


「あっ学校に忘れ物した!! 戻んなきゃバイバイ!!」

「ま、まって!!」


 もよちゃんの手が、ぼくの手首をつかんだ。はっとしてぼくは振り向く。目と鼻の先に、勢い余って身を乗り出したもよちゃんの顔。

 もよちゃんの目。

 もよちゃんの鼻。

 もよちゃんの頬。

 もよちゃんの唇。

 もよちゃんの、言葉。


「わ、わたわたし、ほほんとうは……!」


 もよちゃんは泣いた。


「たかみや君のことが好ぎでぇぇぇ……」


 もよちゃんは泣いた。


「でぼ、勇気が出なくでぇぇぇ……」


 もよちゃんは泣いた。


「ずっと待ってだよぉぉぉぉ…………」


 もよちゃんは泣いて泣いた。


「ずっとたがみや君がそう言ってぐれるの待ってだぼぉぉぉぉ…………」


 もよちゃんは泣いて泣いて泣きながらチョコを取り出した。


「渡せなくでごべんべぇぇぇ…………」


 ぼくの胸に、昨日見たチョコが、ぽむっと渡される。

 ラッピングされたガトーショコラが、

 ちょっと不格好なハート形のガトーショコラが、

 メッセージカードと一緒になった、

 もよちゃんの、ガトーショコラが、


 ぼくは、


 ぼくは、


 ぼくは!!


 イルカたちが、合図とともに飛び跳ねて、エンジェルリングをくぐる!! キラキラきらめくオーシャンの水しぶき!!

 ぼくは、うれしい!!

 見て、虹がかかるよ!!

 こんなにうれしいことってあるかな?!

 もよちゃん、大好きだ!!

 くじらの潮吹きに乗って、虹の階段を駆けあがる!!

 雲の上から見下ろした、トロピカル・アイランド!!


「もよちゃん!! ぼっぼく、もよちゃんのこと、一生だいじにする!!」

「ぶぇぇぇぇ…………たがみや君、だいすきだよぉぉぉ…………」

「ぼく、これからも、いっぱいもよちゃんにカレーよそうね!!」

「わたし……たがみや君が体育でいっしょにいてぐれるから……いやなはずの体育も、たのじかったのぉぉぉ…………」

「あと、あと、カレーとかよそうし、ごはんもぜんぶよそうよ!! すごいよそうよ!!」

「あう、うぐぅぅ…………たがみや君んん…………」

「もよちゃん……もよちゃんもよちゃんもよちゃん!!」

「たがみや君たかみや君たかみや君んんん……!!」

「もよちゃんもよちゃんもよちゃんもよちゃんもよちゃん!!

「たかみや君たかみや君たかみや君たかみや君たかみや君……!!」


「うあああああああああ!!」

「ふえええええええええ!!」


 ――――ふたりで一緒に叫んで、ぼくたちは、絶対に、絶対の絶対に、この瞬間世界でいちばん、幸せなんだ!!




【おわり🍫】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る