22

 その夜、なかなか寝付けなかったラランは、風を浴びようと宿舎の屋上へと上がった。


 教官室で無断借用したスペアキーでドアを開けようとしたら、なぜか鍵が外されていた。


 ……珍しいこと。あのカチコチ大尉が掛け忘れるなんて……。


 不思議に思いながらもドアを開くと、どこかで見たようなデッキチェアとテーブルが視界に飛び込んできた。


「……中佐、ですか……?」


 そうだよとばかりにデッキチェアから手が出てきた。


 首を傾げながら近寄ると、いつも自分たちの訓練を見ているときのようにリラックスし、右手には円筒形のものが握られていた。


「こんなところロール大尉に見られたら"無限小言"ですよ」


「そこを上手くやるのが星見の楽しいところさ。そういうお前はどうしたんだ、こんな時間に?」


「いや、まあ、あたしも同じ、かな~なんて……」


 そうかと頷き、ラランのためにデッキチェアを出してやった。


「……いつも思うんですけど、いったいどこから出してるんですか……?」


「倉庫からだよ」


 素直に聞いた自分が悪いと反省し、出されたデッキチェアに遠慮なく使わせてもらった。


「テーブルの下に飲み物があるから好きなのを飲んで良いぞ」


 見ると携帯用の冷蔵庫が置いてあった。


「いただきます」


 ドアを開けると、缶ジュースの中にビールを発見した。


「へへ。これもぉ~らいっと」


 とっても嬉しそうに取り出し、これまた旨そうに飲み出した。


「ふっはぁ~~! しみるねぇ~!」


「おやじくさいヤツだ」


「ここにきてから禁酒生活ですからね」


 普通なら戒めるところだが、命令違反の常習犯にしたら気にもならない違反であった。


「それはお気の毒さま。んじゃ、これもやるよ」


 飲み掛のビールをラランに差し出した。


「良いんですか?」


「ああ。おれ、酒飲めないし」


「……飲めないのに開けたんですか……?」


 疑問に思いながらもビールを受け取るラランにネアトは苦笑した。


「久し振りの平和に乾杯したくなってな、つい開けてしまった」


 持った感じ一口か二口は飲んだ重さだった。


「風流なのかバカなのかわかりませんね、中佐って」


 ラランの言葉に軽く笑い、冷蔵庫から炭酸ジュースを取り出した。


 子供のように旨そうに飲むネアトを見たラランは、可笑しそうに口許を緩めた。


「なんだよ?」


「ふふ。なんでもないです」


 ネアトの追求の眼差しを軽く受け流し、ラランは残りを飲み干した。


 しばらく無言で星を見ていると、ネアトが静かに口を開いた。


「……ロロはどうしてる?」


 突然の問いを一瞬で理解したラランは、「心配ですか?」と問い返した。


「ちょっとな。まさか、あそこまで落ち込むとは思わなかったからさ」


 両腕をもがれ、左脚が明後日の方向に曲がり、胸甲や頭はボッコボコ。もはや廃棄した方が良いんじゃないかというくらいの機体から出てきたロロは、そのままどこかに走り去り、夕食になっても帰ってこなかった。


「まあ、ショックはショックだったみたいですけど、走ったら気分が良くなったみたいでAランチ五人前を平らげて今は大いびきをかいて寝てますよ」


「なるほど。だからシャルロやつスカブ・ラクターのコクピットで寝てるのか」


 そのセリフを聞いたラランは、パイロットスーツを作ったときのことを思い出した。


「……もしかして、コクピットの中を見ることができるんですか……?」


「ああ、見えるよ。同調率を高めると機体の隅々まで見渡せるようになるからな」


 と、あっさりバラしてしまった。


「だからといってお前らの着替えは見てないぞ。そのときは遮断してたからな」


「お気遣いなく。あたしやロロ、ポロンもだけど、見られて恥ずかしいなんていう乙女心なんてありませんからね。でも、シャルロのを見たいなら黙っていた方が良いですよ。あの娘、恥ずかしいくらい乙女ですからね」


 あの高飛車な態度の裏にある無敵の乙女心は、鋼の心を持つラランですら溶けてしまうくらい凄まじいものであった。


「なんだ、お前でも手に余るのか?」


 ラランが同性愛者なこともネアトには調べがついていた。


「うしろから胸を触ったくらいで小鹿のように怯えるんだもん、罪悪感の薄いあたしでも引きますよ」


「フフ。優しい王子さまだ」


「無理やりが好きじゃないだけですよ」


 口を尖らせてそっぽを向いてからそんな自分に驚いた。


 ……一メートル以内に男がいるだけで蕁麻疹が出るあたしがこんな間近で、素で話してるなんて……!?


「……ねえ、中佐」


 訳のわからない感情から逃れるようにネアトに話を振った。


「うん?」


「どうしてあたしたちにあんな重要なことを教えてくれるんですか?」


「お前もこだわるね。そんなに不思議なことか?」


「あたし、人の好意を素直に信じる程、真っ直ぐじゃないんで」


 そんなラランにネアトは苦笑した。


「……ほんと、お前が一番おれに似てるよ……」


 これまで見たこともない、とても優しい笑みだった。


「お前たちのことだからおれのことは調べているだろう」


 当然とばかりの表情に、ネアトはくつくつと笑った。


 ラランもラランで自分たちの経歴(犯罪歴)を調べられていることを理解した。


「おれもな、あの人と初めて会ったとき笑われたんだよ」


「なんの笑いだったんです?」


 自分たちに向けられた笑いじゃないのはなんとなく理解できた。


「昔の青臭い自分がそこにいる。そんな恥ずかしい自分に向けて偉そうなことをいわなくちゃならないんだぞ? 笑い飛ばさなければやってられんだろうが」


 まさか自分がやったことをそのまま見せられるとは夢にも思わなかったし、これ程恥ずかしいものだとも思わなかった。もし、昔に戻れるなら真っ先に消失させたい青春の一ページである。


「ロロの鷹揚なところ。ポロンの好き嫌いなところ。シャルロの純真なところ。まったく、なんでこうも似てるのが揃うかね~」


「あたしが抜けてますけど?」


 なにやら困った顔をしながらラランから目を反らした。


「ん、んう、なんだ、その冷めたところが一番似てるな……」


「……あたし、そんなに冷めたてましたか……?」


 冷静でいることは心掛けてはいたが、冷めているとは思わなかった。


「ああ。恥ずかしいくらい冷めていたな。自己紹介のとき、お前はおれを試すために答えを変えただろう。説明のとき、訓練のとき、お前は必ずその裏を考える。シミュレーションのときもそうだった。先にやらせておれの反応を見たり、気絶したフリしておれたちの会話を聞いていただろう」


「……良く見てますね……」


 まったく気がつかなかった。


「それだけじゃない。お前は妙に冷めているクセに不思議と人を引き付ける。シャルロは否定するかもしれんが、お前だけには甘えるし、ロロは必ずお前に相談する。あのポロンですらお前を自分の世界に入れている」


 ネアトの言葉を聞いたラランは、しばらくその意味を考え、そして、1つの、なんとも不愉快な答えが出てきた。


「……あたし、信じられないくらいの"お人好し"ですか……?」


 自分としては一歩下がって旨いところを狙っているだけなのだが、良く良く考えてみるとそれって、三人のお守りをしているのと同じではないかと思うラランであった。


「それに気がつかないところが"お人好し"の悲しいところだな」


 とっても嫌な顔をするラランをネアトは懐かしいそうに笑った。


「……お前には、守るものか目指すものはあるか?」


 その突然の問いに、ラランの手が自然と眼帯へと触れた。


「ありませんよ。そんな穏やかな人生じゃありませんでしたからね」


「今の人類皆そうさ。《セーサラン》に侵略されるし、兵力が足りないからと徴兵されるし、街は人手不足で寂れ……って、まあ、生きているだけマシってもんさ」


「…………」


「お前は、父親を殺したことを後悔しているのか?」


「しないっ! 死んだってするものかっ!」


 拳を握り締めて叫んだ。


「だったらもっと楽になれ。おれもあんな父親殺されて当然だと思うし、お前を責める気にもなれん。どちらかというと、良くやったと褒めたいくらいだ」


「親を殺すことが?」


「娘を道具としか見ず、うさを晴らすために目を奪うような父親などゴミ以下だ。排除しなければお前の人生は終わっていた。いや、他人から見れば終わっていただろう。だが、お前は負けなかった。他人の力を借りなかった。自分の手で、自分の未来を切り開いたんだ。それを罪というならそんな腐れた世界など守る価値もない」


 その言葉で心が軽くなったということはなかった。だが、自分のしたことに自信が持てたことが不思議だった。


「……中佐にはあるんですか、守るものって?」


 その問いにしばしの間が空き、とても悲しそうに笑った。


「そうだな。おれもお前に劣らずお人好しだからな、いろいろ守るものができてなにが大事なのかわからなくなったよ……」


 その悲しいまでの笑顔の先に一人の女性が立っているかのような口調だった。


 本当に守りたかった人はもうこの世にはいない。一緒に戦うことも、一緒に勝利を喜ぶこともできない。ただ、思い出の中でしかその空しさを慰めることしかできないのだ。


「そんなに好きだったんですか、その野良猫と呼ばれた人のことが?」


 ラランのらしくない問いに、ネアトは当時の自分を思い出して情けなく笑った。


「……まったく、あんな最低な女のどこにホレて、どうして忘れられないんだろうな……」


 悲しそうに遠くを見るネアトに、ラランはなにもいえなかった。


 自分に男の心などわからない。恋や愛などという見えないものは信じない。なの、目の前にある"思い"というもの存在を見た。人を愛する者の意志を知った。


 ……たぶん、この人も野良猫って人の思いに触れたから好きになったんでしょうね……。


 そう思うだけでラランは気がつかなかった。ネアトも敢えていわなかった。


 その心がどれだけ相手の思いを踏みにじっているかを……。

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