第10話 オリオン



華と出逢って5日目の昼頃のこと


「雪女は風呂には入らないのか?」


「当たり前です、入ったら消えてなくなっちゃいます」


「なんというか不便なものだな」


「まぁわたしの場合はあの海へ戻らされるだけですが…」


「俺は風呂に入るのが余生を過ごす時間の中で1番好きなんだ、自分の中にある悪いものが全部流れ落ちていく気がしてな」


「わたしは良いものも悪いものも全て流れます」


「じゃあ俺は風呂に入るよ」


「いってらっしゃいです」


風呂に浸かって何も考えずに天井を見上げている時間は

なによりも幸福を味わえる。

至福の時を堪能していると脱衣所のほうからゴソゴソと物音が聞こえた。

そして風呂の扉が開く。


「お背中お流ししまーす!」

服の袖と裾を捲った雪女が突撃してきた。


「遠慮しておく」


「一度やってみたかったんですよこういうの!」


「知らない、俺には関係ない」


「照れなくていいですって、ほら遠慮なさらずに」


湯船に入っている俺の腕を掴み、引っ張り出そうとしてきたため抵抗していると、雪女が足を滑らせ湯船にダイブしてしまった。


シューという音を立てながらみるみる縮んで、しまいには一本の氷柱になってしまった。


その氷柱を救出し、さっきのセリフを思い出し、

また1時間かけて海へと向かった。


いつもの場所で顔を合わせると


「えへへ、すみませんでした…」


「往復2時間かかるんだ」


「でもおそらくナナさんは日本人で初めて、

雪女と一緒にお風呂に入った人間になれたと思いますよ?」


「その称号は今後何かの役にたつのか?」


「こんな美女との混浴ですから、きっと末代まで自慢できることでしょう」


「それは大変光栄なことだな」


「ちょっと怒ってます?」


「心配しただけだ、怒ってはいない」


「でもちゃんと迎えにきてくれてありがとうございます」


「君が消えた後この氷柱が残っていた、

触っても冷たくなくてあれから時間が経っているが全然溶けないんだ」


「へぇー、そんなのが残るんですね…

じゃあそれをわたしだと思ってずっと持っていてください」


「あぁ、何かの手がかりになるかもしれないからな」


「わたしがここにいたっていう証拠が、ちゃんと残っていることが知れてよかったです」


家まで帰っている途中で、車の窓の外を指差しながら華が尋ねてきた。


「前から気になっていたんですが、あの建物はなんなのですか?」


「あれはパチンコ店だよ」


「あんなに綺麗で優雅な建物なのに、中には人の欲でまみれたドロドロの世界が広がっているんですね」


「君は嫌な言い方をするのだな」


「ナナさんはパチンコはやられるんですか?」


「暇な時など気分転換に行くこともあるな」


「そうですか、ではわたしも一度いってみたいです」


「少しだけだぞ」


俺たちはほんの少し遊ぶつもりでパチンコ屋に入っていった。


「わたしこのアニメ知ってます!」


そういって華は、アニメとのタイアップ機に座り、ものの数分で台をフリーズさせた。


パチンコスロットを知らない人のために言うと、台のフリーズというのは壊れたということではなく、とんでもなく薄い確率で起こる爆発契機のことなのだ。

これも雪女の能力なのだとしたら少し羨ましかった。


彼女は本来なら小一時間では働いても稼ぐことはできない金額を手に入れていた。


店を出ると華は俺に

「これお返ししますね」

と言ってあの時の1万円を返してきた。


「わたし、ご馳走するので今日は贅沢なディナーでもいかがですか?」


「金遣いが荒いやつはどこかで痛い目をみるぞ」


「わたしは宵越しのお金は持てないから今使うしかないんですっ!」


「生粋の江戸っ子みたいな事を言うやつだ」


「物理的に持てませんからね」


「じゃあその金でキャンプ用品でも買わないか?」


「キャンプしたいんですか?」


「今日の昼間気付いたのだが、0時になる度あの海に行くのは時間がかかりすぎるから、どうせならもう数日のことだし、ずっと海にいればいいんじゃないかと思ってな」


「なるほど!それは楽しそうですね!そうと決まればさっそく買いに行きましょう!」


俺たちはテントやコンロ、ランタンなどのキャンプ用品を買ってから、飯を食いにいくことにした。


「今日はわたしがおごりますからなんでも好きなもの頼んでください」ドヤり顔で食べたいものを聞いてきた。


「親子丼が食べたい」


「もっと高級なものでもいいんですよ?」


「親子丼が好きなんだ」


「では私も同じものをいただきましょう」


夕飯を食べ終わり、一旦家に戻って必要なものを全て車に詰め込んだ。


もう帰ってくることはないかもしれないと思い、少しの思い出に浸りながら鍵をかけずに家を後にした。


海へと向かう道中で、華といられる残り2日ほどの時間を少しも無駄にしないようにしなければと考えていた。



「ナナさん、わたしキャンプって初めてです」


「俺もあまり経験はないな」


「星や海を眺めながら外でまったりするなんてとってもロマンチックですよね」


キャンプ用品を組み立てながらこんな話をした。


「星が好きなのか?」


「綺麗なものが好きなんです」


「俺も星は好きだ、眺めていると時間を忘れる」


ひと通り組み立てが終わり、火を起こした。


「あんまり火をこっちに向けないでください」


「すまない、だがこれがないと俺は凍えてしまう」


「まぁ…もし消えちゃってもすぐ近くに移動するだけですから安心ですけど…」


「ではこれなんてどうだ?」

俺は串に刺したマシュマロを手渡した。


「なんですかこれ?」


「火に近づけてみるといい」


すぐにぷっくらと膨らむマシュマロを見て満面の笑みで


「すごーい!雪だるまみたい!」


と感想を述べた。


よく冷ましてから頬張ると、今度は両手を頬にあて細目になって「おいひぃ」と呟いた。


俺たちはその後しばらく仰向けになりながら星を眺めた。


「今日はそこそこ星が見えますね」


「あぁ」


「冬の星座って何があるんですか?」


「1番有名なのはオリオン座だろうな」


「どれですか?」


「あの鼓のようになっているやつだ」


「オリオンは月の女神と恋をしていたらしい」


「2人はどうなったんです?」


「月の女神の兄である太陽の神がそれを許さなかった、

兄は妹を騙して、月の女神にオリオンを殺させるんだ」


「なんでそんな酷いこと…」


「月の女神はそれがとても悲しくて神様に、

オリオンを星座にしてくれと頼んだ」

「そのおかげで冬の夜には、オリオンに会うために月がオリオン座を通っていくのだそうだ」


「悲しいですけど、いいお話ですね…」


「あぁ、オリオンは幸せものだよ

死んでなお、ずっと自分を思ってくれる人がいて、会いにきてくれるなんて」


「会いに行けるかは分かりませんが、わたしもナナさんのことをずっと覚えている自信がありますよ」


「それは嬉しい事を聞いた、

それが是非とも良い思い出であることを祈っておくよ」



「デリカシー0で、妙にお堅い髭のおじさんについての記憶がバッチリとわたしの脳内にインプットされています」


「ハハハ、それは結構」


こうして夜は老けていった。


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