第19話 現れぬ表情、その奥底には

「――と、いう訳で。どうするかね、親父殿?」


「どうする、とは?」


「玄賽の書簡の通りなら――最悪の一歩手前から半歩手前くらいにはなった感じだが。どうするんだ?」


「ほう。――倅よ。是非、お前の思う”最悪の事態”を教えてくれ」


「祭で人死にが起こる事じゃねぇかね。ようやく戦争が終わってさあ祭りだ、って時に冷や水ぶっかけられるのは最悪も最悪だ」


「出来るだろうな」


 


 賊の撃滅の為に泉生の跡地へ出兵した吉賀玄賽。


 彼女が『転移』の魔道を用いて玲瓏に送り込んだ書状には、簡潔に現況が記されていた。


 入鹿銘文、及び来禅。


 討伐した賊は『蛇』の紋章による加護を受け。召喚により呼び出された首無し騎兵により襲撃を受け。泉生の城跡には、顎砲山で見つかったものと同じ転移用の『竜』の紋章が刻まれていた。


 つまりは。――やはり顎砲山から侵入してきた何者かが、黒幕であろうと。


 その黒幕は召喚魔道と転移魔道の双方を用いてこちらの追跡を躱し続け、未だその身柄を抑える事は出来ていない。


 未だ領民の死者は出ていないが――今まで得てきた情報を照らし合わせれば、死者を出す事は十二分に可能であろう。玲瓏外周の村一つ滅ぼす程度、造作もない。その程度の腕は持っている。


 例えば――祭で人が集まっている所を襲撃する事も、身柄を抑えられていない今ならば出来るであろう。


 まさしく、最悪。で、あるが――。


「で。何故”半歩前”なのかの?」


「やろうと思えばできるだろうが。多分、連中はやろうとしていない。――祭に合わせて領民を殺したいだけなら、もっと手の内を隠した方が効果的だろ?」


「うむ」


 


 以前、銘文が言ったように。敵は明らかに、こちらに情報を渡している。


 顎砲山にわざわざ残した『竜』の紋章と藍坂牛太郎の『書』。そして”玉石”。


 それに加え――次は賊を餌に吉賀玄賽を釣り出し、そこで召喚魔道を見せつけた。


 これらの情報は、やろうと思えば隠す事は出来たはずで。ただ祭に合わせて襲撃したいだけならば、明かす必要がない。


「敵はこちらの動向を見ると同時に、明らかに動きを誘導している意図が見える。祭の中領民が殺される、という最悪の事態をこちらに推測させられるよう情報を明かしているのだろう。あの玉石とやらも、”領民が攫われて材料にされる”という恐怖をこっちに突き付ける為に敢えて情報流したんじゃねぇの?」


「要は、遠回しに領民を人質に取っている訳だ。”やろうと思えば最悪の事態を引き起こせる”ってな」


「で。そいつを人質にして、敵は何を求めているのだろうな?」


「最悪を引き起こさねぇように頑張らせる事じゃねえかな。この情報を知ってしまったからには。祭にはより多くの兵を出さなきゃならねぇし。賊を餌に玄賽も出してしまった。”とにかく兵を出せ。対応しろ”と敵さんは言っているんだろうな」


「だのぅ。――で、その意図を見抜いたところで。吾輩等はその意図に乗っかってやる必要がある。なぜなら、最悪を人質に取られているからの」


 ならば、やる事は一つよ――と。そう入鹿銘文は呟く。


 


「連中の意図に乗っかりつつも。こちらもこちらで致命の一撃をくれてやることだわな。――さて、倅よ。白鷹はどうだ?」


「上々ですな。――あいつの扱い方は心得ているよ、親父殿」


「心得ておるか」


「うむ。殺す気で鍛えれば、死ぬ気で覚えてくれる。解りやすい弟子だ」


 白鷹の名前が出た瞬間。――入鹿来禅は、笑みを浮かべた。


「精々、死ぬ思いをしてもらおう」


 



 


「――で。またこうして病室に逆戻りという訳か弟弟子」


「うるせぇ....」


 


 白鷹はその後――。


 全身を見事なまでに血濡れの包帯にぐるぐる巻きになった姿にて横になっていた。


 顎砲山の任務にて暫しの間意識を失い。意識が戻った直後、新たに召喚魔道の体得の為修業を始めたが――この様である。


 召喚魔道の修練、ではあるが。――師である来禅の『殺す気で覚え込ませる』方針により、最低限の座学を終えるや否や即座に実戦に放り込まれた。


 結果。この通り。


 ボロ衣の風情で叩きのめされた白鷹は再び意識を失い。またもや暖炉室に逆戻りとなり――その様子を見に来た源太郎に起こされ、今に至る。


「実戦の相手は誰だったのだ?」


「ローウェン殿とケイオゥス殿。あの”霊媒機構”の戦闘員二人だ」


「ほほう。――強かったか?」


「強かった。少なく見積もって、二人合わせれば師範と同格の力はあったと思う」


「成程なぁ。それを二人同時に相手したわけだ」


「召喚魔道以外の攻撃を禁じられた上でな。おかげでこのザマだ」


 


 白鷹が召喚魔道の修練を行うと決めたその時。師匠である来禅が、実戦相手としてあてがったのは――連合国よりやって来た”霊媒機構”の戦闘員二人。ローウェンとケイオゥスの二人であった。


 召喚魔道以外での攻撃は禁止。得物も取り上げられ、白鷹は二対一にて戦う事となった。


 招かれた客人から、正式に依頼された側となった両者の気合の入り方は凄まじかった。――というより、久々の戦いが楽しくて仕方がなかったのだろう。情け容赦なく白鷹をズタボロにしていた。


「師も、随分と事を急ぐな」


「急ぐ意図は解る。今、玄賽様が出兵されている。魔王の残党が流れ込んでいる可能性があるのならば、修練も悠長には行えぬだろう。――期限は豊戦祭だな」


 


 もしも敵が襲撃してくるとするならば、祭の時であろう。その時までに仕込まねばならない、と来禅は考えている。


「――祭の中止の可能性は無いのかね?」


「無いだろうな。あの石頭の親父殿が、一度決めた事は易々とは翻さぬよ。――多分まだ親父殿の中ではこの程度の状況”易々”の範疇内であろう」


「ま、そうだろうな」


「一年すれば、親父殿の領主権もなくなる。――最後の大仕事なんだよ。戦で長らく出来ていなかった祭を開いて、新たな時代の幕開けの象徴とさせたいのだろうな」


「....」


「成功、してくれりゃあいいんだがなぁ。親父殿の為政者としての人生は、ず――っと戦だったからな。最後くらい、こういうめでたい行事をつつがなくやらせて終わらせてやりたいのよ」


 


 その時。源太郎が微かに浮かべた笑みに――少しだけ白鷹は面食らってしまう。穏やかで、少し寂し気な表情。こいつは、そんな顔で笑える男であったのかと。


「....この俺にも、親を想う心はあるのだ白鷹」


「そうか....」


「意外そうな顔をするんじゃない....」


 さて、と。そう呟くと共に、源太郎は腰を上げる。


「お互い、精々頑張ろうかね。俺にとっちゃ、こいつが最後の親孝行だ」


 



 


「――お話は伺っておりましたけれども。本当に素晴らしい才の持ち主ですわ。貴女も、そしてあのハクヨウ様も」


 


 所変わって。入鹿の屋敷にて、ケイオゥスにあてがわれた客室の中。


 肩口より血を流したケイオゥスと――その肩に手を当てる、八柳の姿があった。


 玲瓏においても、八柳にしか出来ぬ絶技。氷雪魔道を用いての治癒を行っていた。


「ふぅ....う。いいですわね。この、痛みが消えていく感覚。甘味が喉奥を通って、すぅと無くなっていくよう。――わたくし、痛みが好きなのです」


「....痛みが、好きなのですか」


「そう。わたくし、他者に傷みを与えるのも。自分が痛みを感じるのも。双方とも好きなのです。――好きが高じて、わたくしは痛みを共有し、また共有させる魔道を扱えるようになるほど」


「.....」


「痛みは、消えるが故に尊いのです。――消えた痛みの余韻を味わうもまた、至極の悦というもの。....ハクヨウ様から与えられたこの痛みは素晴らしいものでしたわ」


 


 ふふ、と浮かべるその笑みは。好みの馳走を食い尽くした子どものような純粋さに溢れていた。


 


「――ヤナギ様は、”瞳術”を扱われていると。ハクヨウ様からお聞きしました」


「はい。その通りです」


「その瞳術により。ヤナギ様は、紋章や詠唱なしでの魔道の行使を可能としていると。――ところで、白鷹様も同じような氷雪魔道が使えるようでしたけれども。それはあの方も、同じような力を持っているからなのでしょうか?」


「いえ。違います」


 


 ――ケイオゥス・ドゥンは、己に根差す才能をそのまま転嫁した魔道を扱う魔道士である。


 彼女の才覚は、”共感”機能。


 他者の様態――その振舞いや、表情。微かな仕草から他者の感情を読み取る。


 特に。他者が痛みを感じる様を見ただけで。如何なる痛みがそこに内在するのかを、理解する能力に長けていた。


 そんな彼女であっても、入鹿八柳の表情から何かしらを共感する事は中々に難しかった、が。それでもかの少年――白鷹の話題を出した時には、比較的解りやすい様態の変化が垣間見える。


 今この時も。


 かつての記憶を思い起こしたのか。――苦々しく、忸怩たる感情が。ケイオゥスは、その様態から己に流れ込むのを感じる。


「――魔道とは。紋章や詠唱により外部より因子を組み立て、現象を引き起こす技術ですが。八柳は、己の中に根差している因子を、己の中で組み立て、それをこの肉体を通して放出します。瞳術は、その技術の一つです。八柳の目を見た者を凍り付かせ、生者より死者とする」


「....ふむん」


「この力は、元は雪女郎と呼ばれる妖から会得し――入鹿の一族は、代々この力を継承してきました」


「.....継承?」


「はい。八柳は、死に行く母よりこの力を継承しました。――ただ、継承したとはいえ。はじめは身に宿した因子の制御すらままならない。”慣らし”が必要となります」


「慣らし?」


「はい。要は、この瞳術を使うにあたっても修練が必要なのです。ですが、玲瓏は当時所領の喉元まで攻め込まれていて。悠長に修練を行う余裕もなく――」


「....」


 ケイオゥスは――ジッと、八柳の様を見ていた。その一挙手一投足を見逃さぬように。


「ようやく軍勢を追い払い、ある程度の余裕が出来て。――その時、戦場で拾われた白鷹が義兄の来禅より修練相手として八柳にあてがわれました」


 


 その口調も表情も変わらない。だが、そこから流れ出るものは、確かな変化があるように感じる。


 恐らく。感情を荒立てず、表に出さぬことも――瞳術の”慣らし”の一つだったのだろう。


「ある時。八柳は梅木という名の傅役を失いました。戦にて、瞳術を見せた私を暗殺するべく仕向けられた刺客に殺されたのです」


 平静。凪の如き平静の様。――ただそれは、彼女が己が感情に完全なる防波堤を立てているが故であろう。


 今。彼女が作り出した防波堤の裏には、荒れ狂う波がある。そんな気が、している。


「....その時。眼前で息絶えた梅木を前に――感情の制御に失敗し、瞳術を暴走させてしまいました。そうして氷雪が暴れ狂う最中にあった八柳を.....その身を挺して、白鷹が救い出してくれました」


「ハクヨウ様が....」


「はい。白鷹の顔の焼け痕は、その時に出来たものです。そして....その結果として、白鷹は私の中にある因子の一部を受け入れました」


「ああ、成程....。それで、ハクヨウ様も同じように、紋章も詠唱もなしの氷雪魔道を行えるのですね」


「あの時の事は、今でも戒めとしています。――結局刺客も取り逃がし、そして白鷹までも死なせかけてしまった。己が力を制御できない未熟さが、取り返しのつかない事態を引き起こす所でした」


 ――相反する感情が見える。


 未熟さゆえに己が力の制御を手放してしまった事。その果てに、白鷹を傷つけた事。それらの過去を、忸怩たる思いで受け止めているのであろう。


 ただ。それらの感情の中。ほんの、一握。――漏れ出るような、喜色があるような。これら二つの感情が真っ向からぶつかり合い――打ち付ける波の如く、荒れている。


 ああ、と。ケイオゥスは納得する。


 


「....ハクヨウ様は、かつて己の仇であった者を召喚魔道として扱おうとしております」


「....」


「ハクヨウ様は――かつて己が味わわされた苦痛や、屈辱を思い起こし。その記憶をもって魔道を行使しております。強い感情と、それを根幹とする強固なイメージにより召喚魔道は行使されますが。あの方のそれは、至極苦しい。己が人生で一番辛苦を味わわされた記憶を思い起こす必要が生じております故に。ただその分、上達の程もまた凄まじい。――なにせ、本格的に使い始めたった幾日にて。こうしてわたくしは不覚を取ってしまいましたもの」


「....そう、ですか」


「苦痛をも己の糧にせんとする、ハクヨウ様の情念の根幹――それが、ヤナギ様を通して少しだけ解ったような気がしますわ」


 


 さて、と。ケイオゥスはぐるり肩を回す。


 傷痕一つ残らぬ己が肩。その動作にすら何ら痛みも違和感もない。


「....治癒、まことに感謝いたします。その分しっかり働かせてもらいますわ」


「はい。――ところで、今如何なる仕事を銘文より受けておられるのですか?」


「....仕込みを行っております。わたくしから言えるのはこれまでです。これ以上は、漏らしてはならぬと厳命を受けております故」


「....」


 


 ケイオゥスは笑みを浮かべて立ち上がった。


 入鹿八柳。その無表情の奥側にある確かな情念を感じ取った彼女は。この短い時間で大いに満たされていた。


 ――こういう瞬間の為に、わたくしは生きていると言っても過言ではないのです。


「ではでは、ヤナギ様。――貴女と、ハクヨウ様のこの先に幸あらんことを、ささやかながら祈らせて頂きますわ」

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