第5話 残骸となった想い
魔王を信奉する人間は、その存命中も非常に多かった。
特に。現在大陸を支配する三大国家の従属下にある国々の人々にとって。魔王は──これまで何百年も己が頭上に君臨していた憎き国に確かな爪痕を残した存在なのだ。
彼等は小国を滅ぼし、大国と対峙したものの敗れ去った。その滅びの軌跡は、確かに魔王を神格化するに相応しい背景がある。
だが、教団を形成するにあたって、最も強大な力となったのは──。
「──恐らくだが。残党の連中が最もアテにした力は、”蛇”の紋章だろう」
「はい。その通りですわ」
やはりな、と銘文は呟く。
「そもそも魔王の下に、最初あれだけの郎党が集まったのも。奴が作った紋章目当ての者共がほとんどだった。──死を超克する奇跡の紋章。我等もあの紋章には非常に苦しめられたものよ」
「限定的ですが不死を体現する紋章。古来より、不死に魅了される人間は後を絶ちません。魔王が残した功績と、蛇の紋章。この両輪を以て、彼等は勢力を拡大していっています。──その名は、蛇神教団」
”蛇”の紋章。
それは、魔王・安雲華継が作り上げた紋章であり、彼が率いる軍勢の象徴でもあった。
鱗を生やし肉体を防護させる。握力や身体機能の上昇など多岐にわたる効果を術者に寄与させる上──上位の使い手ともなれば、己が死を回避する魔道の行使すらも可能となる。
己の肉体の状態を、紋章により戻す。その結果──致命に至った状態から、過去の状態へ”生まれ直し”を行う。
この魔道は術者に多大な負担を強いる事となり。短時間での再利用は不可能とされていた、が。──この紋章に不死の神性を感じ取る者は少なくないであろう。
「現在。魔王と敵対していた三大国家の中にも教団の手先が入り込んでおります。恐らく──不死の力欲しさに権力の中枢にまでその影響を拡げているかと思われます。というより、もう影響されていますね。その結果として──ここに入り込んでいる事実が判明したわけでありまして」
「どういう事だ?」
「玲瓏の裏手にある顎砲山。その反対側には、北方連邦諸国がありますが。──玲瓏では、百年前までは顎砲山で北方民族との抗争が絶えなかったとか」
「うむ。だが互いに氷晶結界の技術が出来上がった事でもうほとんど侵攻するもされるもなくなった。──ただでさえ極寒の顎砲山を更に氷雪魔道で温度を下げたのだ。互いにわざわざ侵攻する利点はなくなった」
顎砲山は叡の国の領地である玲瓏と、北方連邦諸国とを分ける国境線上にある山岳である。
三つの背高い山が連なり出来上がったこの山岳は、高低差のある険しい山道と、雪上に住まう獣と妖怪、そして何よりあまりにも厳しい極寒の環境があった。攻め入る側はこれらの難関を超えていなければならないという事もあり、実際の戦の頻度や規模そのものは多くは無かった。
その上互いの魔道の研究が進めていくうち。山岳の極寒の環境を更に強める氷晶結界の技術が出来上がると、両方が侵攻ルート上に更に低温の区画を作り上げられた事で互いの進行が事実上不可能となってしまった。
「そこなんです。北方側も。そして玲瓏側も。双方ともに、結界を張ってから侵攻が無くなった。──ですが」
「.....結界に何かあったのか?」
「.....北方側の氷晶結界が、何者かに突破された痕跡がありました」
その言葉が届いた瞬間。──銘文は目尻を寄せ、その表情をより真剣なものに変えていた。
「元魔王軍の将。そして現在は、魔王を信奉する教団の神官長。”不変”の名を冠した魔道士、アラン・クスフント。──彼女が顎砲山に面した北方の民族を虐殺し、少数の精鋭を率いてそのまま山に入っていったようです」
そして、と続ける。
「すぐさま北方の軍が結界を解き周囲を捜索したようですが──もう北方連邦領にはその姿はなく。玲瓏側に潜伏している可能性が高いと判断したわけです。ちなみにその後の調査で、虐殺の手引きをしたとして複数の現地の有力者が機構により捕縛されています」
つまり、
「北方側の氷晶結界が抜けられるのならば、玲瓏側の結界が抜けられない道理はないでしょう。──元魔王軍の将軍が、顎砲山から玲瓏へと侵入している可能性が高い訳です」
〇
「報告感謝する。──吾輩から質問してもよいかね?」
「はい。喜んで」
「北方連邦側で、その諸々の事件が起きたのはいつ頃だね?」
「おおよそ三月前になりますね」
「三月もの間、特段玲瓏に対して何もしていないとなると。既に玲瓏の領を通り抜け別な所に行ったか。流石に結界の通り抜けに力を使い尽くし、潜伏し力を蓄えているか。このどちらかであろう。──では、白鷹」
「──は」
今まで、黙って話を聞いていた白鷹に、突如として銘文に声がかかる。
「お主は顎砲山の調査に当たってもらう。山に残党が潜伏しているかどうか。もしくはその痕跡が残っているのかどうか。──ここでの経緯を赤猿に伝え、明日より共に任に当たれ」
「──承知致しました」
白鷹は銘文の命令を聞いた瞬間、一礼し銘文の塔より出ていく。扉を開くその姿を見送ると、再び一人と二人が向かい合う。
「では。これで第一の要件は以上という事で。もう一つの要件というのは?」
「それは──」
その言葉の先を白鷹は気にかかったが。扉が締め切ると共に音が途切れた為そのまま塔から立ち去った。
〇
「とはいえ」
塔を出た後。白鷹はどうしたものかね、とひとりごちていた。
「赤猿はどこだ.....?」
銘文より「赤猿と共に任に当たれ」という命を受けたはいいが。肝心のその姿が見当たらない。
赤猿とは、白鷹と同じく入鹿の忍である。
赤猿は普段から特定の住居を持たず、入鹿の外でも別な仕事を受けている時もあり。その居所は判然としない。時に雪降り積もる木々の上。時に町人の住処の梁の上。時に屋敷の中庭。時に眠りこけ。時に他者の四方山話にそば耳をたて。時に悪戯を仕込んでいる。
凄まじく派手な見目をしているが、人目を避ける技術が忍衆の中にあっても異様に高い。そのくせ猫の如く一つ所に留まらぬ。こちらから接触しようとするにあまりにも困難な性質である。
「──呼んだ?」
「うお!」
塔から出て、入鹿の敷地内を暫しあてどなく歩き、屋敷の軒先へ辿り着いた瞬間。突如、蜘蛛の如く眼前に──猿の仮面が現れた。
そこには小柄な赤の何者かがいた。肩までかかる癖毛も、身に纏う装束も、顔を覆う猿の面も、全て紅に染まっている。
その何者かは屋敷の天井柱から糸を垂らし、そこに己が左足を括りつけ白鷹の眼前に突如として現れた。
「赤猿.....随分探していたんだぞこっちは」
「知っている。白鷹、ワタシを探して随分と歩き回っていた。実に愉快な心持ちだった」
「おいこらてめぇ。さっさと出てこいこの馬鹿!」
「人間観察楽しい。ワタシは普段真面目に励んでいる。許してほしい。ところで要件は何?」
糸に括りつけた己の身体をぷらぷらと揺らし、両手を左右に掲げそんな事をのたまった。
──赤猿。
赤の髪。赤の忍装束。赤の猿の面。そして彼女が言うには、その面の奥にある目の色も赤いらしい。爪先までてっぺんまで赤に染まった忍である。
その性質は、本当に捉えどころがない。
これだけ派手な見目をしているが、一度としてその姿を見た事がないという者もいれば。日常的に絡まれている者もいる。興味がない人間にはその姿は見えず、一度好かれてしまえば神出鬼没の妖怪と化す。口数が然程多くない割に人好きで派手好きで悪戯好き。それが赤猿という忍であった。
「銘文様から任務を受け取った。アンタと組んでやれってさ」
「了解。ワタシは何をすればいい?」
「その前に降りてくれねぇかな。話しにくい」
「下に他人がいると落ち着くし、見下ろされると何となく気に食わないからこのままで。ワタシ、高い所が好き」
「こいつ……」
左右に揺れるだけではもう飽きたのか。括られた左足を起点に己の肉体を捩じってぐるぐると回転し始めた。本当に何なのだろう、コイツ。
〇
「.....成程」
これまでの事情と、任務の内容を簡潔に説明すると。逆さ釣りの状態でうんうん、と赤猿は頷く。
「顎砲山に潜伏している可能性がある魔王軍の残党。仮にまだ敵の頭領が潜伏しているとするなら、相手は元魔王軍の重鎮。相対すれば──ワタシと白鷹二人でも倒しきれる保証はない。頭領の他に複数相手せねばならない状態ならば間違いなく敵わない」
「.....ああ」
「この任務、見つけられるかよりも先に見つからない事の方が重要。調査は慎重に行う。いい?」
「了解」
「よろしい。師範と倉峰様への報告はワタシから行う。白鷹は、今日一日しっかり休み英気を養い明日へ備えて」
そう言って。糸が巻かれ上方へ己の肉体を運ぶと──すぐさまその姿を消していた。
「....部屋に戻るか」
仮にまだ潜伏している者がいるならば、明日に戦闘する可能性もある。
万全の備えをしなければならない。
──何故だ。
万全の備えをしなければならない、という思考そのものがもう理解できない。
以前ならば一瞬で切り替えが出来ていたはずだ。相手は魔王の残党。己が仇敵。奴等を殺せるならば命すら惜しくもないと──以前ならばそう心の底から思えたはずだったのに。
明らかに、以前より身が入っていない。
自分の中にあるものは、本当に消えてしまったのだろうか──。
「....」
己の中にある変化に、戸惑ってしまう。
せめて明日になり任務に入れば切り替わってくれると、そう信じるほかない。
「.....あ」
鼓と鈴の音が、少し遠くから聞こえてくる。その音を無意識の内に白鷹は辿る。
入鹿の屋敷の外。玲瓏の城下を南へ歩いた先に、社がある。
じきに行われる祭の為、幾つもの祭壇と櫓が組まれ。その周囲では巫女達が鼓の稽古を行っている。
そして。櫓の上で舞を行う入鹿八柳の姿を見た。
淀みのない足取り。変わらない表情の上に白粉と紅を塗って。ふわりと舞う大きな袖口と巫女袴の軌道に乗るように、氷雪の風が八柳の周囲に吹く。
その姿に、白鷹は無意識の内に魅入った。無意識のまま鼓の音を追い、無意識の内に八柳の舞姿を見る。
彼の心の深層は、八柳を求めていた。彼女の姿を何となく見たいと思ってしまった。
「....」
無意識の行動。そこに付随する代物を白鷹は何となく、自覚していた。
自覚はするが。やはりぼんやりしていて不明瞭だ。
──まだ、返事が出来ていない。
雲仙の女学院に向かうという彼女についていくかどうか。
──今まで。抱え込んだことも、抱え込もうともしていなかったこと。
──いや。そもそも今でも抱え込もうとしたわけではない。
──いつの間にか心中にあって、植え付けられてしまったもの。
──自分でも無自覚のままそこにあってしまったもの。だから不明瞭。だから解らない。
自分が考えてこなかったもの。それは”この先”をどうしていくのか。己が生きる指針や方針。
魔王が滅びた後。いきなり自分の行く道が真っ白になった。
恨み辛みのみで構成されていた己が行く道が崩れ去って。でもその先の指針は見つからなくて。
でも。真っ白でまっさらだと思っていた視線の先に。不明瞭だけど何かがある。
魔王の残党がいると知って。以前の自分に戻れるのかと思えた。正直な事を言えば、期待していた。例え恨み辛みが根源となっている代物であろうとも、今の何も指針がない状態よりも随分とましではないだろうかと。
──でも。戻れなかった。
明日、魔王の残党と対峙できるかどうかよりも。八柳の姿を一目見たいという欲求の方に思考が向かっている。
その事実を前に。白鷹は──また一つ、自分の中で不明瞭な代物が生まれくるのを感じ取った。
「....」
舞が終わると共に、白鷹は踵を返して入鹿の屋敷へと戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます