第3話 入鹿の瞳術、そして馬鹿の兄弟子

 暫しの時間が経った。


 その暫しの時間。倉峰源太郎は意気消沈のまま、冷たい道場の中で蹲っていた。


 砕かれた人形を眼前に、水子となった我が子を抱くような力ない手つきで、その欠片を握りしめていた。


 


「.....何をしているのですか、源太郎」


「.....失意に震えているのだ。八柳様」


 


 そうしていると──祭で執り行う舞踊の練習を終えた巫女服姿の八柳が、そう源太郎に声をかけていた。


 夜となり、道場の明かりがまだ消えていないのを目の当たりにした彼女が、その様相を覗いてみた所。何かしらの残骸を前に泣き崩れていた倉峰源太郎の姿があった。


 ただ、それだけの話である。


 


「心血というものは、目に見えませぬ。故に人はそれを形にする事で証を立てる。心血を注ぎ鍛錬を繰り返して作り上げる技や魔道は、至極美しい...」


「はい」


「されど。その証をたった今、我が師により破壊されてしまった。まさに師が心血を注ぎ完成させた絶技によって」


「そうですか。──ところで。そろそろ鍵を閉めたいのですが。出てもらってもよろしいですか源太郎?」


「惨い.....あまりにも...」


 


 ──倉峰源太郎。


 玲瓏を治めし倉峰家領主・倉峰政信が次男である。


 家督が継げぬ次男の身であることを自覚し、ならばと兵法を修め自らの腕で生きるべく入鹿家の門戸を叩き。その後、半ば押し付けられる形で師範である入鹿来禅の直弟子となった。


 彼は、魔道具作りの天才であった。


 身体能力が凄まじく、徒手格闘の才にも恵まれ、魔道に対する理解力は桁違いにあったが、術の構築能力が低い。真っ当なやり方では強くなれぬと、彼は術の構築をせずとも魔道が行使できる魔道具作りに傾倒していった。


 彼が開発した魔道具の幾つかは入鹿家でも正式採用されている程に汎用性に優れ、量産化されているものもある。玲瓏が魔王との戦いで生き残れた要因の一つは、間違いなく倉峰源太郎が作り上げた優秀な魔道具であろう。


 しかし、


 


「八柳様。私は──漸く。漸く、戦以外の用途で、自由に、己が才覚を注ぐ機会を得た」


「早く出て下さい」


「その帰結がこれとは.....あまりにも、惨くはないか!?」


「聞いてますか?」


 


 この男は実に難物である。戦以外の目的で何かを作らせてまともな代物が出来上がったためしがない。恐らく。この残骸もそういった事物の一つであろう。


 


「それで。何を作ろうとしたのですか?」


「”ダッチワイフ”だ」


「何ですかそれは」


「哀れな男共の為に作る、疑似的な恋人用の人形だ」


「はぁ。──恋人がいないことがそれ程哀れなのですか? だとしたら、八柳も哀れという事になりますが」


「違うのだ八柳様。恋人がいないことが哀れなのではない。恋人がほしくとも手に出来ぬものこそが哀れなのだ。己が欲求と現実の差異がありながらも、それを埋める手段すらもない事が悲劇なのだ」


 


 源太郎は、大仰に手を仰ぎまだ語り続ける。


 


「贅沢をしたければ、欲しいものがあれば、銭を稼げばいい。しかし恋人はそういう訳にもいかぬでしょう。かつて貴族が支配していた時代。銭を持つ商人が貴人を娶れたのか? 無理でしたでしょう。容姿が醜くければどれだけ努力しようともどうにもならぬ。恋とは、愛とは、美しけれども残酷であります」


 


「.....そうですね」


 


「恋だけは、手段がなければ叶うことなどないのです。身分違いの恋などその最たるものでしょう。欲しくとも、手中に出来ぬ苦しみは煉獄に等しい。そういう連中を、疑似的にでも私は救ってやりたいと思ってしまったのです」


「.....」


 


 ──身分違いの恋など、その最たるものでしょう。


 その言葉に。入鹿八柳に、一瞬硬直するような時間があった。


 


「....八柳様? どうかいたしたか」


「いえ」


 


 突如、相槌を忘れ沈黙をしてしまった八柳にそう源太郎が声をかけると。反射的に八柳は首を振った。


 


「それで。源太郎は義兄様の何の逆鱗に触れこのように」


「この人形の声を吹き込まんと村娘たちの声を募っていたら、父上がいたく怒ってしまいまして。師もまた説教を受けたとの事で」


「成程」


「貴方を愛しています、という声を募っていた。ただそれだけで....」


「....」


 


 その言い訳がましい言葉に言葉を返そうと思ったが。八柳はまた意味不明な思考と原因不明の記憶が脳内に立ち上がり、喉奥を黙に沈めた。


 ──ただそれだけと言うには、その台詞は重くないですか。そう返そうとしていたのだが。


 ただ。自分もその言葉の重みのようなものを、理解しているとはいいがたい。


 口にした事もない。しようとしたこともないのだ。


 何となく。何となくだ。


 その台詞を聞いた瞬間に立ち上がったものがあった。


 一つ立ちあがった記憶の中。映し出された何者か。


 それに向けて──。


 


「.....貴方を、あ」


 


 喉奥を絞り、自分だけが聞こえるほどの微かな声で。沈黙の中呟こうとしたその瞬間。


 


「──おいおい。まだ道場の中に誰かいるのか」


 


 そう言って開かれた扉の向こうから現れた何者かの姿が。立ち上がった記憶と重なって。


 


「──!」


 


 表情は変わらない。顔色も変わらない。


 ただ息を呑む一瞬と共に、八柳は目を大きく見開いた。


 瞬間。


 


「いぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ何故ぇぇぇぇぇええええええ!」


「あ....」


 


 動揺は気の緩みとなり、己に内在する力が漏れ出す結果となった。


 倉峰源太郎は──八柳の瞳術に当たり、腹の底から体温が奪われる感覚に身悶え、悲鳴を上げながら倒れ込んでいた。


 


「.....?」


 


 その様を──たった今現れた白鷹は、首を傾げながら見ていた。


 


 〇


 


 その冷たい姿は、玲瓏の象徴であった。


 敵対する者共の肉体の芯から。その身に流る血潮すらも凍り付かせる女。表情一つ変えず、睥睨一つで流血も許さぬ凍死体を作り出す悪魔。 


 それが入鹿八柳という女であった。


 玲瓏の兵は氷雪の魔道を尊ぶ。故郷を包む雪も冷気も、それを制御する方法さえ覚えれば。外敵を拒絶し、そして死に至らしめる大いなる武器となる。


 そして。玲瓏の兵への魔道指南役を司る入鹿家もまた氷雪魔道への探求を怠ることなく、その研鑽に務めてきた。


 入鹿八柳は入鹿家息女であると共に。玲瓏において最高峰の氷雪魔道の使い手として知られていた。


 彼女のそれは瞳術にまで昇華されていた。ただ相手を見つめるだけで体温を奪い、玲瓏の地に足を踏み入れた幾多の敵兵を、凍り付いた屍に変えていった。


 表情の一切を変える事無く。ただ生者が死者へと冷気の中変わっていく様を見つめ続ける。無慈悲で無情な冷酷の女王。


 幼子の頃より戦場に立ち、眼前に立つすべてを凍り付かせた入鹿八柳は──敵だけでなく、味方である玲瓏の兵にも恐れられた。


 あの者は。かつて玲瓏を襲った大妖怪・雪女郎の生まれ変わりであろうと。


 ──入鹿八柳は表情を変えられない。


 それが、彼女についての大前提。


 その力を得る為の過程の中。彼女は表情を変える機能を失ってしまった。


 彼女の身体は死者のように体温が低く。その周囲は僅かながら温度が下がる。その上、表情という人間性の出力装置の一つすらも失われているともあり。


 入鹿の人間は一部を除き、皆彼女を畏敬の念を払い、遠巻きに見ている。


 彼女の力に敬意を払っている。頼りにもしている。──だが、畏れている。その畏れは、恐れとして彼女に伝わっているのだ。


 


「.....申し訳ありません、源太郎」


「な....なん、なんの....これしき....」


 


 そして。時折気が緩んでしまうと──己の力の”暴発”が起こる。


 視界に入った生命の体温を下げる瞳術は、基本的に任意で発動しているのではなく。むしろ任意で”蓋をしている”のが正しい。


 八柳自身が動揺してしまうと、こうして蓋が緩んで暴発してしまう。


 表情は一切変わらないものの──言葉尻の弱さから、明らかにしょんぼりしているのが見て取れる。


 


「.....だ、暖炉....暖炉が、欲しい....」


「はいはい。運んでやるからおとなしくしておけ兄弟子」


「さ、さすがだ....弟弟子よ....」


「はいはい」


 


 倒れ込む源太郎を俵を持つ要領で白鷹が肩に担ぐと、三人は道場を出る。


 玲瓏は雪深い土地であるが──入鹿にて兵法を学ぶものは、暖炉を使わない。


 雪深い土地で戦うが故、寒さへの耐性をつけねばならない。生活の中ですらも、彼等は寒さと向き合う必要がある。


 とはいえ修行の中、凍え死んでは本末転倒。なので入鹿で唯一、暖房器具が存在する部屋がある。


 そういう訳で。その部屋に源太郎を叩き込む。


 


「暖炉に火がつくまで、ちっと我慢しておけ。ほら、毛布もあるぞ~兄弟子~。よかったなァ~」


「うむ....。待て待て白鷹。何故暖炉の真ん前に私を置かないのだ。寒いのだよ私は。すぐにでも火を当ててくれ」


「万が一火の粉に当たったら怪我するだろが」


 


 白鷹は担いだ源太郎をべし、と地面に雑に叩きつけると。薪を暖炉に入れる。


 その後。懐より符を取り出し暖炉に投げ込むと──薪に鮮やかな紅がパッと咲き、炎が煌々と燃え上がっていく。


 


「そんなに寒いなら熱燗でも持ってこようか?」


「流石、気が利くではないか弟弟子──いや、弟よ!」


「俺は弟弟子ではあるがお前の弟になった覚えはない。くだらない事言う前にさっさと身体を温めておけこの馬鹿」


「あ、八柳も手伝いますよ白鷹」


「熱燗注いでくるだけだけだから大丈夫だ。八柳は源太郎の話相手にでもなっていてくれ」


 


 そう言って白鷹は源太郎に毛布を掛け、火の勢いが一定となった暖炉の前に蹴飛ばす。


 


「ぐえ!」


「じゃあ行ってくるな」


 


 ひらひら、と手を振り。白鷹は暖炉の部屋から出ていく。


 蹴飛ばされながらも「あったけぇ~」とぬくぬく暖炉の前でごろごろ転がる倉峰源太郎と、入鹿八柳だけが残された。


 存外、というか。その見目からそう判断されにくいのであろうが、白鷹は世話焼きであり。同時に──恐らく彼は決して認めないであろうが──世話好きでもある。


 散々迷惑を掛けられ、師匠共々源太郎には散々手を焼かされてきた白鷹であるが。その扱いはぞんざいながらも、何処か楽しげにも見える。


 


「重ねて。申し訳ありませんでした源太郎」


「いやいや。──いいものが見れた代償には優しいくらいだ、八柳様」


「いいもの?」


 


 無意識の内に何かやったのかしらん、と八柳が思案すると同時。


 源太郎はその胡散臭い美形の顔面に似つかわしくない、穏やかな笑みを浮かべていた。


 


「いやはや。──恋の話をした途端黙りこくり。白鷹の姿を見た途端動揺と共に力を暴発させる。ああ....八柳様にもこの世の春が...」


「....」


「八柳様」


 


 源太郎は──穏やかな笑みを堅持したまま。八柳に、優し気に語り掛ける。


 


「先程の言葉。──身分差のある恋は叶う事がない、という言葉だが」


「.....はい」


「昔ならば困難だったであろうと思う。領地があり、領主があり、その後に”人”が来る世の中であったならば。八柳様も、一人の人間である前に一個の部品。領地を司る歯車が一つ。これまでの叡の歴史であらば、たかが一人の忍に恋するなど許されざること。ましてや、白鷹は元々魔王軍の寵童。兵士ではないが、敵軍の出身者。やはり至極難しい」


「.....そうですね」


「だが。──もう一年も経たぬうちに領地も領主も消える。血でもって支配の糸を紡いできた歴史は終わる。新たな時代が来るのだ、八柳様」


「....!」


 


 だから、と。源太郎は呟く。


 


「必ず叶う恋などありませぬが──。それでも、欲する事を否定する必要はない。そして諦める必要もない。どうせ貴女で無理ならあ奴は恋は出来ませぬ。難解ではありますが、幾らでも挑む機会はありましょう」


「.....そうでしょうか?」


「あ奴も難物ですから」


 


 目を細め、源太郎は暖炉の炎をジッと見つめる。


 ──普段の奇行で忘れがちだが、源太郎は領主の息子で。その身分でありながら自ら入鹿の門戸を叩いた人間なのだ。


 ふと。長い付き合いなのに今まで聞いていなかったな、と思い立ち。八柳は源太郎に問うた。


 


「どうして源太郎は、入鹿に来たのですか?」


「新しい時代をさっさと見たかったからですな。領主の息子でも、次男坊では何も出来る事はない。だからここに来たのだ。──入鹿で学んだ後、魔王を討伐する為に叡を出る事も考えていたが。その必要もなくあっさり魔王が倒されましたからなぁ」


「そうだったのですね」


「だからこそ.....ようやく、ようやく。戦とは関わりのない所で我が才を活かせるのだと.....。そう思っていたのに....うう...」


「泣かないでください」


 


 また彼が作った人形が破壊された悲劇がぶり返したのか。また涙を流し始めた。


 ──立派な志も情熱も本物であろうに。何故にそれを向ける方角がとち狂っているのだろうか。


 だが。どれだけおかしな方向へ向かおうともそれを遮られぬ事もまた、自由であり。新しい時代なのだろうか。そんな事も、ふと八柳は思った。

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