第2話 砕骨師範と馬鹿弟子

「師よ」


「何じゃあ馬鹿弟子」


「漸く。漸く.....魔王が滅びて。新しい時代になりました。善きことです」


「そうだの」


「故に──これまでのように、魔道を戦いの為に作り上げていく事は、愚かである。そう私は思う」


「....ほぅ」


 


 顎砲山の麓にある入鹿家の敷地内。屋敷に併設された道場がある。


 その道場は、壁から床面、天上に至るまで、全てが古代文字で形成された紋章が刻まれた鉄で出来ていた。日の光すらまともに入らぬ暗闇の空間を薄暗い色合いの鉄板で囲んだこの場は凍り付いていた。


 一つ歩けば霜が砕かれる音が響き、天上には夥しい程の氷柱が出来上がっている。冷気が籠りやすい鉄で空間を仕切り、紋章をもって空気を閉じ込めたこの場は、恐ろしい程の極寒の環境が出来上がっていた。


 しかし、その中において。灯篭の明かりを囲み、身を切るほどの冷気が籠る鉄板に腰を落としてなお身震い一つせず談笑する男が二人。


 一方は野武士の如き風貌であった。背丈は高くも低くもないが、よれた羽織の下には、がっしりとした体つきがある。髭は伸び放題。髪も恐らく乱雑に肩口で切り捨てているだけの様。精悍な面構えが余計に野生人の如き印象を与える。男は傍らに己の得物である鉄杖を置き、胡坐をかき懐からぼりぼりと砂糖菓子を齧っていた。


 


 その男を”お師匠”と呼ぶもう一方は実に軽薄な印象の色男であった。端正な顔立ちに狐の流し目をつけ、その下に泣きぼくろを入れ、高めの鼻を生やし、最後にニヤついた表情を付帯させて顔面が完成される。高い背丈の上に、大量の水仙が描かれた派手な羽織を着崩し胸元を開けたこの男は、恐らく街を歩かせれば詐欺師か情夫かと見紛われるであろう。顔の良さが美点として映るよりも前に、胡散臭さが前に立つ男であった。


 二人は確かに互いを向かい合い談笑していた。互いに言葉を交わし合い、互いに楽しげであった。少なくとも、表向きには。しかし、異様な点があるとするならば。一つに、色男の両手が荒縄にて縛り付けられている事であり。そして、色男の背後に佇む、彼等を見据える物言わぬ存在であろう──。


 


「誤解を解きたいのだ。我が師、来禅よ」


「誤解とは?」


「我が心に一点の曇りもない。何一つやましいことなどないのだ」


 


 色男の背後。そこにはまるで背後霊の如くそびえ立つ人形があった。いや、人形というよりは女体の人体模型に近いであろうか。精巧に、豊満な体つきをした女の模型。


 模型故髪もなく、目鼻もない。しかし模型としての完成度は高く、関節の接合部含めてしっかり人型として成立している。


 


「師よ。叡より遠く離れた異国である”連合国”という場所では、”ダッチワイフ”なる文化があるのをご存知か?」


「散々お前に聞かされたから知っておるよ。で?」


「世の中というものはやはり理不尽で、そして残酷。身分に貧富。才覚や体の強さ。あらゆるものに生まれながらにして差が存在している。そればかりはどうしようもない現実としてここにある。それは色事であれど変わりはしない」


「──で?」


「この私のような恵まれた面構えや身分、話術がある訳でもない男連中がこの世に何人いるのか。私は全てを救いたい。師よ。貴公とて武術の腕前や玲瓏の英雄であるという栄誉がなければ、男としての貴公はただ女心一つ解せない筋肉達磨でしかない。婦女子に相手にされない苦しみも、貴公にも理解できるものかと思うのだが──ぐはっ!」


 


 長々と語る色男の脇腹に鉄拳が叩き込まれる。暴力を行使した髭面の目には、笑みの形を象りながらも、ただひたすらな侮蔑の色のみが滲んでいた──。


 


「勘違いしているようだから訂正しておくぞ馬鹿弟子。俺はお前の下らない信念なんざ心底どうでもいいんだよクソボケ。俺が聞きたいのはなぁ。──何故俺はお前がやらかしたことのケツを拭かなきゃならなかったのかって事なんだよ。ええ? お前の父君に呼び出され渋い顔で長々と説教を受ける役が、お前でなく俺になるのか。論理的な説明を求めているんだがの。おーい。その達者な口で聞かせてくれよぉ~」


「私は私の信念ならば幾らでも語る事は出来る! されど私とて他者の心を読むことはできない。親父殿の岩石の如く凝り固まった頭の中身までは存じてはいない! 故に不可能だ!」


「お前がその人形を手に村々を練り歩き、手当たり次第村娘に声をかけていた醜態が俺達に届き、挙句の果てに倉峰様まで届いちまってよぉ。──いっぺんテメェの脳味噌磨り潰してまともな人格が宿るか試してもいいかね?」


「そればかりは勘弁願いたい師よ! ”砕骨”の異名を持つ貴公が言うと洒落にならん! 弁解の機会を望む! これには理由がある!」


「ほう。聞かせてみろ」


「まずは──この声を聞いてみよ」


 


 色男がそう言うと。縛り付けられた手を器用に動かし、模型に当てる。


 瞬間──何もなかった模型の顔面に亀裂が走る。亀裂は顔面部分を横断し、その顔面の表層はひび割れた瓦礫が砕ける風情で崩れ落ちる。


 そこから見えるは、顔面の構成部品であった。両目に、鼻、そして口。顔面を構成する最低限の要素がそこから生まれ出たが──。


 


「....」


 


 その両目には目蓋がないせいか、ギョロついた眼球が飛び出ており、人というよりは物の怪の類に見える。口元は笑みを象っているが、その異様な両目が故にあまりにも不気味だ。人としての笑みではなく、どちらかといえば捕食者のそれである。


 口が開かれる。


 


「〇ゲェアアアアア×▽▼ヴェアアアガハビヴビビビイッブ〇〇●×◆~★※※‼‼‼‼」


 


 人ならざる発声が、凍えた空気に更なる怖気を誘発する。


 あらゆる生命体の断末魔をかき集め煮詰め焼き焦がし固めた様な。死に際の老婆の喉を斬り裂き空気を吐き出した様な。根腐れた大地が血肉を受けた様な。地獄を内包した音声が響き渡った。


 


「これ、ちなみになんて言ってんの?」


「”貴方を愛しています”だ」


「おぞましい愛だな」


「これは私の肉声を女声にして魔道で再現しようとしたのだがな。やはり人間の声帯を模倣するには私の声ではどうにもうまくいかない。そこで、村の娘の声を蓄音しようとしたのだが──」


「なあおい」


「はい」


「お前の名を言ってみろ」


「倉峰源太郎である」


「そうだな。玲瓏を治める倉峰政信が次男。──要は、お前は領主の息子な訳だが」


「あと一年で領主権は無くなってしまうが。今のところは、そういうことになる」


「そんなお前が、魔道を学びたい。戦う術を身に付けたいと──玲瓏の魔道指南を仰せつかう入鹿の家にわざわざ来てだ。そして俺は親父殿に領主の息子という最悪の厄介者の馬鹿を押し付けられた挙句」


「うむ」


「その果てに──テメェはこんなもん作って村々を練り歩く阿呆になっちまい。そしてお前という馬鹿の恥辱は何故か俺にもへばり付けられる訳だ」


「中々に善い帰結であると思いませぬか? 苦楽全て共に味わいし我々の絆だ。酸いも甘いも共に啜る美しき関係性。貴方には感謝しております、師よ」


「お前は俺によって苦しんだ事はあるか?」


「ふむぅ.....。修行で死にかけた事くらいですかな」


「なら。俺がお前に──紛う事なき苦しみを与えてやろう」


 


 す、と。傍らの鉄杖を手に髭面の男は立ち上がる。


 そして──未だ獄炎の如き声を上げ続ける人形の、そのギョロついた両目と向き合う。


 この瞬間。何をしようとしているのか、色男には瞬時に理解できてしまった。


 


「師よ。ご勘弁いただきたい。これは私が心血を注いで作った代物なのだ」


「心血を流し苦悶の声を上げてこそ俺の心が晴れるってもんだ。悶え苦しみ泣き喚けこの馬鹿弟子がよぉ」


 


 髭面の男は流れるように左足と腰を背後へ半回転させ、肘と手首の捻りと共に鉄杖が突き出される。


 空気を切り裂く様な突きこみの音と共に、鉄杖の先が人形へ向かう。


 突きを行使した右手が伸びきった先。過不足なく、鉄杖の先が人形の額にピタ、と触れていた。


 瞬間。めきゃり、とか。ごきり、とか。木材やら金属やらがひしゃげ、折れる音が間断なく響き渡ると共に、人形の頭部は床に叩きつけられた木綿豆腐よろしく粉々に砕け散った──。


 


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁああああああ!」


 


 砕け散った破片の欠片を吹き抜ける風のように、色男の叫び声が響き渡っていた──。


 


 〇


 


「あらら。道場で咽び泣く声が聞こえたかと思うたら。なーにやってるの、来禅~?」


 


 人形を破砕した後。咽び泣く倉峰の頭を来禅が踏みつけていた所。女性が一人、道場の中に入ってくる。


 その光景を一瞥すれども。「いつもの事か」と肩を竦める女は、穏やかな雰囲気を纏っていた。女性にしては高い背丈。線のように真っすぐに伸びた背筋。腰までかかる長髪を後ろ手に一つ縛った髪型。まさしく武家の女といった風体の女性であるが。くりくりとした子犬のような大きな目に、常に困ったような笑みを浮かべた表情がその風体と差異がある。


「おお玄賽。何をしているかと言えば、馬鹿弟子への制裁をしていたところだ。実に簡単だろう」


「いつまで経っても治らない脳味噌の面倒を見るのは楽しいかね~?」


「もう脳味噌を治す事に関しては諦めている。今はただこ奴のせいで溜まった鬱憤をこ奴で晴らしているだけだ」


 


 女が現れた瞬間。来禅は少し機嫌をよくしたのか、目元を笑みの形に象りながら。足蹴にしている倉峰の頭部をぐりぐりと捩じっていた。


「そっちが領主様にお小言貰ってる間にね、こっちは祭の準備に勤しんでいたのよ~」


「そいつは重畳。説教を受けるよりかは楽しそうだ」


「まあ、八柳ちゃんのはじめての晴れ舞台だからね。それなりに頑張ってはいるのさね。と、いう訳でどう来禅? 一献引っ掛けないかね~?」


 


 その誘いに、「了解」と頷くと。来禅はようやく──倉峰源太郎の頭から足をのけた。


「じゃあな源太郎。その残骸の掃除はお前がしておけ」


 


 そう言うと、来禅と玄賽は二人して道場を出ていく。


 残ったのは。滂沱の涙を流す倉峰源太郎と破砕された人形の残骸のみであった.....。

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