ずらされた焦点

ゴットー・ノベタン

ある殺人者の献身、或いは贖罪

 とある川の土手から伸びる、片側2車線の橋の下に、ブルーシートで囲われた一角があった。

 その前に佇む、コートを着た二人の男。彼らはそれぞれ、刑事と探偵である。


「ここが現場だ」

 刑事がシートを捲り上げると、中にあったのは小さな段ボール小屋。

 探偵が小屋の入り口を覗けば、そこには薄汚れた服に身を包んだ、一人の男の死体が横たわっていた。

「年齢はおよそ40歳。住所や身元は不明。捜索願の出ている人物を洗っているが、今の所該当者は無し」

「死んだのは……15時間前ってところか」

 手袋を嵌めた探偵が、死体の瞼を開きながら尋ねる。

「ああ、死亡推定時刻は昨夜20時前後だ。今朝方、通りがかった女子高生が見付けて通報した。死因は、石か何かによる撲殺と見られている」

 見れば遺体の後頭部には、乾いた血の跡が残っている。

「……それで? すぐに僕を呼んだのは、この遺体が『ホームレスらしくないから』かい?」

 遺体の目元や耳の辺りを確認しながら、探偵が訊ねる。

「そうだ。流石に今回は俺でも分かる」

「ほう?」

 その言葉に、彼は刑事の方へ向き直った。

「良いね。じゃあまずは、君の推理を聞いてみよう」

「遺体が

 刑事は、探偵の隣に屈み込んだ。

「毎日風呂に入っているであろう肌、定期的に切られている爪。整髪料を塗りたくった髪に、清潔な下着。薄汚れた服や年季の入った段ボールハウスと、余りにもちぐはぐだ」

「ふむ。ではこの事件のあらましは?」

 刑事は少し考え込んでから答える。


「この小屋の住民がこの男を殺し、身ぐるみを取り換えて逃走した」


「素晴らしい推理だ! よっ、名刑事!」

 拍手する探偵に対し、刑事は苦笑する。

「このくらいはお前だって、見た瞬間に分かっただろうに」

「まあそうだね。そして君は、今言った以上の何かがあると思っている」

「ああ」

「根拠は?」

「……刑事の勘」

「良いねえ!」

 愉快そうな探偵の声に、刑事はため息を吐いた。

「それで? お前はこの事件、どう見る」

「そうだねえ……」

 探偵は立ち上がり、ブルーシートを捲って外へ出る。

「犯人を見付けるのは警察に任せよう。助言は出来るが、この件では組織の力が必要だ。だが、見つけた後で確認したい事が一つある」

 彼は両目の間で、何かを摘まむような仕草をする。


「『犯人は、眼鏡を必要としていたのか?』」




 1週間後。探偵の助言に添って行われた捜査により、隣町でホームレスの男が逮捕された。

 被害者の財布を所持していた男は、初めは関与を否定していたものの、小屋に残された毛髪などが一致した事で罪を認める。

 そしてこの日。取調室には男と刑事、そして探偵の姿があった。


「どうもどうも、犯人さん。お会いできて光栄です」

「………」

 探偵の言葉に、沈黙を返す男。

「つれないですねえ、じゃあ事実確認から行きましょうか」

 探偵が刑事を見ると、彼は頷き、資料を読み上げ始める。

「8日前、被疑者は被害者を殺害した。供述によれば、被害者が被疑者の住む段ボール小屋の前の川で放尿していた所を、背後から石を使って撲殺し、衣服や金品を奪って逃走。奪った衣服はその後、隣町で焚火に放り込んで燃やしている」

「ふむふむ。その際、わざわざ自分の服を入れ替えに着せた理由は?」

 刑事に問い掛けた探偵の言葉に、男が口を開いた。

「……ホームレスの段ボール小屋なんて、誰も気にしやしないでしょう。腐るまで放置されれば、ただ浮浪者が一人殺されたものとして、大した捜査もされずに終わると思ったんですよ」

「なるほど。警察の捜査力に対する理解度はともかくとして、筋の通った理屈です」

 探偵はにこやかに頷き、男へと向き直った。

「わざわざご自分の口で説明される辺り、よほど重要な事なんでしょうねえ」

「……何が言いたいんです」

「いえ、言いたいというより聞きたい事があって来たんですよ」

 探偵は両目の間で、何かを摘まむような仕草をする。


「貴方、はどうされたんです?」




「……は? 眼鏡?」

 男は訝しげに聞き返した。

「……生憎、視力は良い方ですが」

「それはおかしい!」

 探偵は食い気味に立ち上がり、一枚の写真を取り出す。

 そこには、被害者の目元からこめかみ辺りが写されていた。

「被害者の鼻には鼻当ての跡が、耳の上の髪には蔓の跡があった。明らかに被害者は、殺害される直前まで眼鏡を掛けている」

 捲し立てる探偵。

「貴方は衣服や金品と共に、眼鏡も奪った。しかし、隣町で衣服を燃やす際、眼鏡も一緒に放り込んでいる。使う為でなければ、何故奪ったんです?」

「それは、その……指紋が残ってるかも知れないから……」

「後ろから殴ったなら眼鏡に指紋は付きません。大体そこを気にするなら、自身の痕跡だらけの小屋に残すはずがない。ではなぜ眼鏡を持ち去ったのか?」

 探偵は手を広げ、男の顔の前にかざす。


「答えは貴方が言った通り。です」




「……言ってる意味が分かりませんね。指紋を気にしていないのに、指紋を隠す?」

「ご自分でお判りでしょう。んです」

 探偵は手を戻す。

「あの晩に起こった事はこうです。夜の20時ごろ、貴方の住む段ボール小屋の前で、ある女性が痴漢に襲われた」

「!!」

 男の顔色が変わる。

「貴方は咄嗟に、手近にあった石で男を殴りつけ、殺害してしまった。女性はその場から逃げたが、貴方は見てしまっていたんです。彼女が抵抗する際、のを」

 探偵の推理は止まらない。

「男の遺体をそのままにしては、被害者であるはずの女性が警察の捜査を受ける事になる。彼女に精神的な苦痛を与えたくなかった貴方は、この事件を強盗犯の仕業に見せかけ、捜査の焦点をずらそうとした」

 俯き震え始めた男をよそに、探偵は続ける。 

「奪った衣服を燃やしたのは証拠隠滅が目的でしたが、貴方自身の為ではなかった」


「なぜなら、貴方にとって自分が逮捕される事は、だったからです」




「過去に対する、罰……?」

 ずっと聞いていた刑事が、探偵に問いかける。

「だがこの男に、犯罪歴は無かったぞ?」

「裁かれない事だからこそ、ずっと抱え込んでいたのさ。そうでしょう?」

 探偵の言葉に、男は深くため息を吐いた。

「……調べたんですね」

「ええ。僕の口から言いましょうか?」

「いえ……これも罰でしょう」

 そう言って男は、ぽつりぽつりと語り始めた。


「もう、十何年も前になりますか。私は当時、高校の教師をやっていました。

 それなりに生徒受けは良かったと思います。それがある時たまたま、女生徒が性被害に遭う現場に居合わせました。

 犯人は当時の校長でした。スポーツ推薦を狙っていたその子は、内申点を引き合いに何度も脅されていたそうです。

 私はすぐに警察へ通報しました。こういった事件を泣き寝入りで終わらせない事こそが、違う場所で同じ様な事件を起こさないための抑止力になると思ったからです。

 ところがその女生徒は、私を糾弾しました。『せっかくここまで我慢してきたのに』『こんな大ごとにされたらもう学校に通えない』、と。

 彼女はそれから不登校になり、やがて退学しました。

 しばらくして私も教師を辞め……気付けばこんな暮らしです」


「あの子は、その時の女生徒に似ていたんですよ。だから放っておけなかった……」

 瞼の裏に誰かの姿を見ていた男が、ゆっくりと目を開けた。

「これ以上、あの子を煩わせる必要はありません。私があの男を殺した。それだけ分かっていれば、経緯に多少の穴があっても良いじゃありませんか」

 憑き物が落ちた様な、或いは覚悟を決めたような顔で、彼は探偵と刑事を見る。

 苦虫を嚙み潰したような顔で沈黙する刑事。

 しかし探偵は男の横に歩み寄ると、堂々と告げた。


「残念ながら僕の仕事は、穴に合うピースを見つけ出す事でね」




 1週間前。眼鏡の事に言及した後、探偵は刑事にこう訊ねていた。

『そういえばこの死体、どうして見つかったんだい?』




 そして、現在。

「どうして見つかった……とは?」

 突然そんな話を聞かされた男は、探偵に怪訝な顔を向ける。

「死体の発見がね、早かったんですよ。殺害された翌朝、すぐに見つかったんです」

「……翌朝?」

「ええ、貴方も想定外だったでしょう?」

 探偵はゆっくりと、男の座る机の周りを歩き始める。

「あの小屋は土手を背にして、川に向かって立っていました。小屋の入り口から中を覗こうと思ったら、土手の川側で橋の下をくぐる必要がある。登校中の女子高生が、わざわざあんな所を通るでしょうか?」

 探偵が目を向けると、刑事が資料を読みあげる。

「第一発見者の供述では、『橋の上を通っていた際にスマホを落としてしまい、拾いに行ったらたまたま目に入った』とある」

「実際に尋ねて画面を見せて貰ったんですが、確かに画面がバッキバキでした。でもですね、そうするともう一つ疑問が残るんですよ」

 探偵は人差し指を掲げる。

「『この事件の犯人は、小屋の入り口を閉じない様な人物だろうか?』」

「………っ!?」

 ぐるぐると考え込むように動いていた男の目が、やがてピタリと動きを止める。

「遺体が腐敗するまで発見を遅らせたいのであれば、当然小屋の入り口は閉じておくはず。ならば発見者は、なぜ閉じた扉の向こう側、ホームレスの小屋の中を確認しようとしたのか?」

 歩き続けていた探偵が、取調室の入り口で立ち止まる。


にはどうしても、そこに住む人物に伝えたい事があったんです」


 探偵が開けた扉の向こうには、二人の女性が立っていた。




「この人です、刑事さん! この人が私を助けてくれたんです!」

「君は……」

 泣きながら飛び込んできた女子高生の姿に、狼狽える男。

「どうして来たんだ……学校で変な噂を立てられでもしたら……」

「そんなの、お礼を言いたかったからに決まってるじゃないですか!」

 当然だと言わんばかりの目と言葉に、男は何かをこらえる様な顔をする。

「あの夜は怖くて怖くて、ベッドに入っても全然眠れなくて……でもずっとその事を考えてる内に、何も言わずに逃げて来ちゃった事を思い出したんです。でも朝になって小屋に行ったら、中であの人が死んでて……」

 そこまで言うと、少女は泣き出してしまった。

「被害者がお前さんの服を着ていたから、てっきりお前が死んでるんだと思ってたそうだ」

「で、話を聞きに行った僕が誤解を解いたわけです」

「そうだったのか……私は君に、不要な罪悪感を与えてしまって……」

 男は呻き、首を振る。

「すまなかった……だが、もう私と関わるべきじゃない。私は人を殺してしまった。いやそれ以前に私は、君の人生に関わる資格なんて無かったんだ」

「そんな事ありません!」

「そうです、そんな事はありません」

 少女に重ねた言葉と共に、彼女の母親らしき女性が前に進み出る。

「貴女は、この子のお母さんですか。申し訳ありません、この度はとんだ事に巻き込んでしまって……」

 頭を下げる男に対し、女性が申し訳なさそうに声を掛ける。

「どうか顔をお上げになって下さい。私の方こそ、17年前のお礼と、謝罪をしなければいけないんですから」

「17年、前……き、君は!?」

 顔を上げ、まじまじと見つめて来た男に対し、


「お久しぶりです、先生。この度は娘を、そしてあの時は私を、助けて頂いてありがとうございました」


 少女とそっくりな顔の女性は、そう言って深々と頭を下げた。



 取調室の前に佇む二人の男。彼らはそれぞれ、刑事と探偵である。

 彼らの背後からは3人分の啜り泣きが、どこか救われたような声色で響いていた。

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