眼鏡のお散歩

北路 さうす

眼鏡のお散歩

 私の眼鏡には足が生えているようだ。いや、私が悪いのはわかっているのだが、毎日眼鏡探しから始まる日常にうんざりしすぎて誰かのせいにしたいサイクルなのである。

 今日の眼鏡は洗面所に置かれていた。昨日の私は顔を洗って、オールインワンを塗って、眼鏡を持たずに寝室へ行きそのまま寝てしまったのだろう。割と早く発見できた方なので、今日は余裕がある。テーブルに出しっぱなしの食パンを袋から取り出し、裏表をみてカビが生えていないことを確認してそのままかじる。歯を磨いて大学へ出発だ。

「で、今日の眼鏡さんはどこにいたの?」

「もう、楽しみにしないでよ。今日は洗面所」

 友達の晴香は私の眼鏡のことを眼鏡さんと呼び、毎日その散歩を面白がっている。

「この前はベッドとマットレスの隙間、その前が玄関、その前がトイレ、その前がベッドの下だっけ?最近レパートリーが増えてきたね」

 ここ数日の眼鏡は、ワンルームしかない間取りすべての部屋を制覇するかのように様々な場所に出没する。ベッドの周囲で見つかればいいのだが、そこにないとなると少し面倒だ。目が悪すぎて灰色の空間にいくつかの色の塊しか認識できない視界の中、床に転がるゴミや物を避けながら眼鏡を踏みつけないようすり足手探りで探し回るのだ。置き場所を決めてみても、そこが服で埋もれ機能しなくなってしまう。自分が悪いのだけれど、腹が立ってしまう。晴香がそれを笑ってくれるのがせめてもの救いだ。

「そうだ、コンタクトにしてみたらどう?入学式の時つけていたでしょう?」

「いやぁ、眼鏡の管理すらできない人間がコンタクトなんて……」

「ワンデーにしたらいいじゃない。ほら、寺岡くんびっくりさせちゃおうよ」

 寺岡くんは最近付き合い始めた私の彼氏だ。同じサークルの先輩で、穏やかに付き合いをさせてもらっている。彼の驚く顔が見たいし、毎日の眼鏡探しから解放されるかもしれない。入学式以来、久しぶりにコンタクトを買いに行くことにした。


 コンタクトの購入は大変だった。眼科での検査はつらいし待つ時間は長いし、コンタクト販売店も繁盛していてこれまた時間がかかってしまった。家に帰って早々、私は眼科で試したコンタクトをつけたまま寝てしまったのである。

 目が覚めると、時計は夜の9時。電気つけっぱなしで寝てしまっていた。乾いて目玉に張り付いたコンタクトに水分を与えるべく思いっきり目を閉じて開いた時、部屋の隅におかしなものを見つけた。何か、うごめく塊がある。ピンクの毛が生えた何かが、呼吸をしている。洗濯待ちの服に隠れているが、かなり大きい。もちろん動物なんて飼っていない。人だ、絶対に不審者だ。動悸が止まらなくなり、スマホを探す。枕の下にあった。110を押し、すぐ通報できるようにしてしっかりつかむ。あぁ、今日はコンタクトしていてよかった。床に落ちている障害物を避けながらゆっくり玄関の方へ移動する。

「え、見えてる?」

 もう少しで玄関のドアノブに手が届くところだった。ピンクの塊が声を出し急に立ち上がった。見開いた目でこちらを凝視しているのは、黒髪で細身の見知らぬ女だ。

「いやああああ!」

 私は手に持っていたスマホと、そこらへんに転がっていたペットボトルや空き缶、靴下と手あたり次第に投げ、玄関から飛び出した。

「不審者!殺される!」

 隣の部屋のチャイムを鳴らし、私は叫ぶ。隣人はすぐに出てきてくれて、警察に通報してくれた。私は通報してくれる隣人を横目に、女が出てきてはいけないと自分の部屋のドアを必死に背中で押さえていた。


 警察はすぐにきてくれて、女はすぐに捕まった。部屋で気絶していたらしい。ずっとしゃがんで無理な姿勢をしていたのに、急に立ち上がって立ち眩みを起こし、私の放ったスマホが当たった衝撃で簡単に転んでしまって頭をぶつけて床で伸びていたところを確保された。女は病院に運ばれて行き、私は現場検証で遅くまで起きる羽目になってしまった。

 後日、警察からの事情聴取で恐ろしいことを聞かされた。女は数日前から私の部屋に侵入し続けていたらしい。そしてその動機は、「寺岡くんの彼女がどんな奴か見たかった」と話しているそうだ。女はバイト先が同じ寺岡くんに恋心を抱いていたが、彼女ができたと聞いて対抗心を燃やし、私のことを突き止めて観察していたという。捕まった時の持ち物に小さなナイフが入っていたと聞き、私は鳥肌が立った。

「戸締りをされていなかったタイミングで侵入して、置いてあった鍵で合いかぎを作って侵入していたみたいです。侵入されていることは気が付かなかったですか?物の配置が換わっているとか」

「いえ……あの……あまり整理整頓が得意ではなくて」

 彼はあの日駆けつけてくれた警察官の一人だった。納得したように話を進める。顔から火が出るかと思った。

「ところで、目はかなり悪いんですか?」

「はい。外すとほとんど見えません」

「彼女、あなたの眼鏡をいろんなところに置いて、あなたが探し回るのを見るのが楽しくなったって供述していまして」

 女は、私の目が悪いのをいいことに、パステルカラーの服で部屋の一部に擬態して眼鏡を探し回る私の困っているさまを見ていたらしい。私の眼鏡は散歩していたのではなく、連れまわされていたのだ。


 晴香に眼鏡の散歩の顛末を話すと、彼女は震え上がって戸締りの管理を厳命された。話す人話す人に同じことを言われてしまい苦笑いだ。そして寺岡くんには事件をきっかけに私のズボラさが露呈し、いつの間にか疎遠になってしまった。

 事件の報をうけた親にズボラを叱られながら引越しをして、心機一転。整理整頓された部屋を綺麗に保つことを誓いながら、私は飲み終わったペットボトルを床に置くのであった。

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