ホントにあった怖い話:『メリーさん』はユニット名

「あの、たぶんそれ前の住所です」

「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの……」


 土御門新谷つちみかどあらやはそれをイタズラ電話だと断じて笑い飛ばせる肝は持っていなかった。

 ホラーでまず死ぬのはそういった輩である。

 新谷の貧相なホラー作品の引き出しでは最終的に全員死んでるので、これは早いか遅いかの違いでしかなかったが。


 おっかなびっくり着信履歴を開いた新谷の目が見開かれる。

 本来は電話番号が記されて然るべきそこに並んでいるのは十一個のバツマーク。

 明らかに正常な挙動ではない。

 が幻聴でも気のせいでもないことを裏付ける、目に見える証拠がそこにあった。


(あえてかけ直してみるか?)


 思ってはみたもののできるはずがなかった。

 スマートフォンをじっとりと濡らす重く冷たい手汗は何よりも雄弁である。


 メリーさん 生存ルート、とマルチエンディングでないゲームでヒロインが死んだという事実が受け止めきれないゲーマーのような書き方で検索したところで再度着信。

 ビクリと肩が上がった勢いでいよいよスマホが手から滑り落ち、フローリングの床を鈍く叩く。


(電話に出なかったらどうなるんだろうか)


 沸いた疑問の検証は、かけ直しよりも遥かにリスクが小さそうであった。

 手元から離れたのを良いことに、まるで熊から逃げる時のようにスマホから目を離さずゆっくりと後退。手探りでトイレのドアを開けて駆け込んだ。

 後ろ手で子気味良い音を立てて鍵を閉めたところで、新谷は己の愚かさに頭を抱える。


 遠くで鳴る自分あての着信音。

 何処からか聞こえるカラスの鳴き声。

 夕日が微かに差し込む薄暗い廊下。

 その先にある施錠した狭い個室で一人。


 何だこれは。ただ怖さが四倍増ししただけではないか。

 逃げたつもりが袋小路に迷い込んでしまっている。

 だからといって電話に出ることも恐ろしいことに違いはない。

 鍵を開けるか嵐が過ぎるのを必死に待つか。

 耳を塞いでも着信音が残響する。

 そうして天秤は左に傾いた。


 新谷にとって、部屋とトイレの間の廊下を移動するのにこれほど冷や汗をかいたのは小学四年生以来である。


 確か自分はあの頃もメリーさんに怯えていた気がする──感じたくもない数奇な運命に震えながら、勢いのまま電話に出る。


「あたしメリーさん。今コンビニにいるの」


 新谷は初めて『心臓が縮んだ』という感覚を心得た。

 紙やフィルムを通して届くホラーとは訳が違う。

 そんな彼の所感とは裏腹に、少女の声自体はいたって無邪気なトーンであるのが恐怖心に拍車をかける。


 電話が切れると即座に新谷は勘定を始めた。

 自分の感覚頼りだが、このアパートから最寄りのコンビニまで徒歩十分弱。

 怪異ならそれ以上の速さで詰めてくるかもしれないが、ひとまずそれがタイムリミット。


 台所、包丁に目をやる──武力行使? 本気か? と一瞬で理性が歯止めをかける。

 電話に出ただけでこの様だ。向かい合ったらほぼ動けないと考えていい。

 トイレに籠る──結果は既に検証済み。

 今から外出する──鉢合わせして死期を早めるだけになるだろう。


 例の検索結果も確認した。

 生存ルートは特になかったが、メリーさんの怪談が「あなたの後ろにいるの」で終わることをここに来て知る。

 安易に「背中を刺されて死んだ」で終わらないところに作者の創意工夫を感じる。

 この怪談は実体験だったのだろうか。

 作者は今も生きているのだろうか。


 生死を分かつ数分後に活かせるとも思えない思考に逸れ出したのを自覚し、新谷は悟る。


(あーもうダメだ。俺はここで死ぬんだ。人形捨ててもないし他の持ち物を粗末に扱った覚えもないけど意味不明に死んじまうんだ……)


 ふらふらとおぼつかない足取りが向かう先はリビングの壁。

 後ろに出てこれるもんなら出てきてみろ、というなけなしの意地がそこにはあった。

 体育座りで小さく丸まった新谷は、着信音が鳴ったのを聞いて顔を上げる。

 五分程度しか経過していない。


「あークソ! どっからでもかかってこい!」


 開口一番にそう叫んだ新谷を他所に、少女はぞっとするほど無垢な声色で告げる。


「あたしメリーさん。今ベランダにいるの」


 新谷が背につけた壁のすぐ隣には、ベランダへと続くガラス戸がある。


「ヒッ」


 子供に標的にされた虫のようなか細い悲鳴をあげてごろんごろんと前に転がる。咄嗟に振り向いた先にはカーテン越しに人影が!


「でも──もうあなたの後ろにいるの」


 呼吸が止まる。

 それがただ息を吸い込むことを忘れていただけだと気付くのに五秒を要した。

 身構えども震えども誰も彼もやってこない。

 呼吸を覚えたばかりの赤子のように時間をかけて浅く息を吸っては吐く。

 動転した気が落ち着いても何かが来る気配はない。


 しかし安堵するにはまだ早い。

 けたたましく鼓動する心臓は新谷に油断を許さない。

 警戒心むき出しの彼の耳は、やがて純粋で、それでいて少し困惑の色が混じった少女の声を捉えた。


「あたしメリーさん。あなたって確か鹿児島在住よね?」


「いや、京都ですけど。鹿児島は実家です」


 土御門新谷はこの春から大学生デビューを果たしており、今は京都のアパートでひとり暮らしをしていた。

 答えは沈黙。

 重く息を吐いたのが電話越しでも伝わった。


「あなた、役場に異動届提出したのいつ?」


「引っ越しの前日です」


「もっと! 計画的に! 生きなさいよ!」


 メリーさんは相手の住所を役場を通して把握していたのか、と、新谷はひとつ知見を得た。

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