メガネウラ

理猿

メガネウラ

「あれ? 宇良、眼鏡男子辞めたの? いつまで?」

 教室に入ってきた小林さんがこちらに近寄り、上目遣いで覗き込んでくる。短めに結われたポニーテールが揺れた。

 思わず半歩身を引く。

 日も赤みを帯び、放課後の教室には小林さんと僕の二人だけだ。

「冷やし中華じゃないんだ。今日からずーっとだよ」

「へー、カッコイイじゃん。

 ……でも“メガネウラ”じゃなくなっちゃうね」

 そう言って、小林さんは実に愉快そうにけらけら笑う。

 メガネウラは不格好な眼鏡を掛けた僕のあだ名だ。

「だから大昔のでかい蜻蛉と一緒にするな!

 だいたいメガネウラは“メガネ・ウラ”じゃなくて“メガ・ネウラ”だ。メガだメガ。眼鏡は関係ない。

 メガネカイマンとかメガネザルとかとは違う」

「そうなの? じゃあネウラってなに? モスラの仲間?」

「知らないけど絶対仲間じゃない」

「ふーん」

 他愛のない会話が二、三往復すると、教室はしんと静かになった。

 ふと、こちらの心臓の音が聞こえないか心配になる。制服の胸元を静かにギュッと握った。

「……で、用ってなに? 私、今日塾に行かないといけないんだけど」

 小林さんは四つ折りにされた手紙を広げてこちらに見せる。

「え?」

「え? ってなによ」

「……いや、これ……」

 ポケットから同じく四つ折りにされた手紙を取り出し小林さんに見せる。

 彼女はそれを見て怪訝に眉を顰めた。

「どういうこと?」

「いや、その……僕は小林さんに呼ばれたと思って残ってたんだけど」

「……私は宇良に呼ばれたと思ってた」

 辺りを見回す。誰がこんなことを。

 小林さんがひとつ溜息を吐く。

「……誰かの悪戯みたいね。お互い用はないみたいだし早く帰りましょ」

 そう言って小林さんは踵を返す。教室の扉に手を掛けた。

 このままでは彼女が帰ってしまう。

「ま、待って!」

 思わず声が出た。

 驚いた様子で小林さんが振り返る。

「なに?」

「あ、あの、その手紙は僕が書いた手紙じゃないけど、小林さんには用がある!」

 小林さんはなにも言わずこちらをじっと見つめる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け……。

 冷静にいけばいい、そうだ、なにも難しいことなどない。こういった事態に備えて何百回とシミュレーションを重ねたではないか。

 いける。

「ず、ずっと好きだった! 付き合って欲しい!! ……です……」

 ……やってしまった。なんとも不格好な告白だ。

 小林さんは丸い目をさらに丸くして固まっていた。

 永遠にも感じる沈黙が流れる。

 ああ、今すぐ教室の床に伸びる影と代わってしまいたい。 

「……はい」

「え?」

 視線を上げると、小林さんが少し高い頬を紅潮させて立っていた。

「よろしくお願いします……」

「そ、それって」

「ま、まあ、アンタが必死だからしょうがなくね! しょうが――」 

「やったー!!」

 廊下からいくつか声が聞こえたかと思うと、教室に女子たちが雪崩込んできた。

 見たことがある。たしか小林さんとよく一緒にいる女子たちだ。

「やったねリカ!」

「ちょ、ちょっと待って! どういうことなの?」

 取り巻きに囲まれ小林さんも動揺している。どうやら彼女も知らなかったらしい。そのなかの一人、長髪の女生徒が代表して応えた。

「実はね、私たちで今回の計画を立てたのよ。

 リカったら、宇良くんのことあんなに好きなのに全然アタックしないから焦れったくて」

「え?」

「ちょ、ちょっと! 何言ってんのよ!」

 小林さんが慌ててその女生徒の口を抑える。そこで彼女と目が合った。

「……え、えーっと、……よろしく小林さん」

 小林さんへ笑いかける。人生で一番だらしない顔だったのは言うまでもない。

「……! うるさい!! 今のことは忘れろメガネウラ!!」

 小林さんは真っ赤な顔で叫んだ。

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メガネウラ 理猿 @lethal_xxx

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