プロローグ



「私、あと一週間で死ぬ!?」

 その日、メルディ・フロトはとつじよとして前世のおくを取りもどした。

 きっかけは、一週間後に入学をひかえた学園の制服が届いたことだ。

 深緑を基調とした上品なデザイン。胸をかざる黄金のエンブレム。

 届くのをずっと楽しみにしていたメルディはいそいそと部屋に制服を飾り、うっとりと目を細めてそのかんぺきなシルエットをながめていた。

 ──物語の世界に出てくる制服みたい。

 そう思ったしゆんかん、とある記憶が頭をめぐった。

 日本という国で生きていた、一人の女の子の記憶。

 金銭的に苦労することはなかったが、いそがしい両親は放任気味。どくだった彼女は、本やゲームという仮想現実の世界にとうして育った。

 特に乙女おとめゲームと呼ばれる、男性とのれんあいを楽しむゲームが大好きだった。

 成長し社会人になってからは、大きな会社の事務員として働きながら休日はずっと家の中にもってゲームざんまいという人生だった。

 だからすぐに気が付いた。この世界がそのゲームの一つだということに。

「なんでよりにもよって『はとる。』の世界に転生するのよぉ!」

 ベッドをゴロゴロと転がりながら、メルディはさけび声を上げたのだった。

贄嫁おとめあくおどる。』

 略して『はとる。』と呼ばれるその作品は、西洋風の世界で貴族の子どもがつどうプリゾン学園をたいとしたオカルティックホラー乙女ゲームだ。

 全ねんれい向けでありながら、ちょっと大人な要素が盛りだくさんのウフフな内容だったりすることもあり、コアなファンがいっぱいいる人気作品だった。

 物語は主人公がプリゾン学園に入学した日、学生りようで同室になったれいじようせいさんな死体を見つけるところからスタートする。

 令嬢はなぜ殺されたのか? 犯人は? 学園内で起きるかい現象の原因は?

 主人公は学友たちとなぞを解きながら、おそいかかってくるきようを乗りえ、出会うこうりやくキャラクターとの愛をはぐくんでいくのだ。

 ただし、このゲームは油断するとキャラクターが簡単に死んでしまうので、プレイにははがねのメンタルが必要。

 前世のメルディはそのゲームの大ファンで、散々にやりこんでいた。

 だからこそプリゾン学園の制服を見た瞬間、『はとる。』の世界だとわかってしまった。

 そして『メルディ・フロト』というキャラクターが、ゲームぼうとうで無惨な死体として登場する令嬢だということも。

 ゲーム中のメルディは、どこにでもいるようなへいぼんな男爵令嬢だ。げ茶色のかみに、小さくも大きくもないひとみ。体型も平均的。

 つうのゲームならいわゆるモブと呼ばれるような彼女だが、『はとる。』ではさいを放つ存在だった。

 主人公のルームメイトとして登場するメルディは、入学したばかりで右も左もわからない主人公のきんちようを解く役どころだ。

 どこか天然っぽさのある、おっとりとした口調のメルディは主人公と他愛たわいのない会話を楽しんだ後、あくしゆわす。

『私たち、友だちになりましょうね』

 はなやかな学園生活のスタートを予感させるそんなやりとりの後、主人公は突如呼び出され部屋を出て行く。

 そして次に部屋に戻ったとき、メルディは無惨な死体として部屋に転がっているのだ。

 つい先ほどまで言葉を交わしていた少女の死にショックを受ける主人公の悲鳴と共に、ゲームは幕を開ける。

 なお前世のメルディも初見プレイでは主人公と共に悲鳴を上げた。

 乙女ゲームとは思えない凄惨な死体びようしやはトラウマ級だった。

 プレイヤーの記憶に焼き付くざんしんな幕開けシーンを思い出し、メルディはぶるりと身体からだふるわせる。

「い、いやだぁ!! せっかく転生したのに死ぬなんていや!!」

 前世の記憶を取り戻したしようげきと、自分が入学式の日に死ぬという運命。

 情報過多でメルディは半泣きだった。

 つい数分前までは一週間後から始まる学園生活に胸をときめかせていたのに、こんなざんこくなことがあるだろうか。いや、ない。

「うっうっ……無惨に死体として転がるスチルしかない死体役に転生するなんて……! せめてもっと安全けんのモブになりたかった……!」

 メルディは、冒頭の主人公との会話と、死体としての単独スチルでしか出てこない。

 ゲームの進行中もちらっと名前が出てくるだけ。

 どれだけ周回プレイをしても冒頭にしか登場しないことや、死体のスチルがスキップできないというおに仕様から「死体役令嬢」というめいな呼び名をつけられていたりする。

 しかもゲームの後半になってわかるのだが、メルディは学園で起きたとある事件に巻き込まれてぐうはつ的に殺されただけで、何の非もない完全ながいしやなのだ。

 びんきわみ。ホラーゲームでもメルディほどにあわれなキャラクターはいないにちがいない。

「いっそ入学を辞退しちゃう?」

 乱暴だが、一番手っ取り早い方法だ。

 メルディが死ぬのは、主人公と同室だったからという単純明快なもの。

 だから入学さえしなければ死ぬことはない。

 でも。

「あんなにがんったのに……」

 思い返されるのはプリゾン学園の入学までについやした努力の日々だ。

 プリゾン学園は、国内ずいいちの名門学園。王族やそのぼうけいはもちろん、他国の高位貴族などが留学してくるほど。

 入学したという実績だけでも社交界では最高のステイタスだし、無事に卒業したともなれば、その後の未来は約束されたも同然だ。

 国内の貴族子女は全員、この学園に入学することを夢見ていると言っても過言ではない。

 しかしさいこうほうであるがゆえに、入学するためにはいえがらや財産じようきようだけではなく、それに見合った努力と才能が必要。

 メルディの生家であるフロト家は特に有力な貴族ではないが、建国のころから存在するゆいしよあるだんしやく家だ。

 財産もじゆんたくではないが、領民や使用人たちに苦労をさせない程度にはたくわえている。おかげで入学に向けての第一関門である書類しんにギリギリで引っかかることができた。

 記憶を取り戻す前のメルディは読書好きということもあり勉強は得意だった。

 とはいえ、入学試験に合格するためにはそれ相応の努力をしなければならず、試験日までは毎日毎日机にかじり付いていた。

 入学許可証が届いた時は、家族全員でメルディのけんとうたたえてきしめ合って泣いたくらいだ。

「うう……」

 大喜びしていた両親や兄弟の顔を思い出すと、いまさら入学を辞退したいなどとうてい言い出せない。

 いっそ試験に落ちていれば。もっと早くに記憶を取り戻していれば。

 今更ながらのこうかいき上がってくるが、時すでにおそし。

 高額な入学金ははらい済みだし、メルディのサイズに仕立てられたオーダーメイドの制服だって届いている。

 かわいいデザインの制服にそでを通すのをどれほど心待ちにしていたことか。

 だがメルディは知っていた。一週間後、自分はこの制服を着たまま無惨に殺されると。

「何が悲しくて死にしようぞくを眺めて生活しなきゃいけないのよ」

 わざわざトルソーまで用意して飾られている制服を見つめながら、メルディは深いため息をき出した。

 悲しい。しかし現実は非情だ。泣こうがわめこうが時間はつし、おなかく。

 切なげに鳴いたお腹を押さえ、メルディは制服と共にメイドが運んできてくれていたおやつのクッキーを口に運ぶ。

 ふんわりとした甘さがこうこう内に広がり、ささくれ立っていた心が落ち着いていく。

「……さてと」

 お腹が満たされたことで少しだけ冷静になれた気がする。

 再び制服に目を向けてみれば、やはりとてもかわいい。

 メルディはこれを着てあこがれのプリゾン学園に入学する姿をずっと夢見てきたのだ。

 そう簡単にあきらめたくはない。

「そうよ。この世界が本当にあのゲーム通りかなんてわからないじゃない」

 もしかしたら名前が同じなだけで、自分はあの死体役令嬢のメルディではないかもしれない。髪の色とか目の色とかがちょっと似ているだけのぐうぜんいつという可能性もゼロではないのだ。

「でも、あれが現実になったら」

 メルディがおくのとおり死体になる運命だとしたら。

 ゲームでは何度も見た凄惨な死体スチルが頭をよぎる。

 二次元でもあれほどおそろしかったのだ、現実ともなればなおのことだろう。

 それに、きっとめちゃくちゃ痛いに違いない。

「うう……どうにかしてかいできれば……回避……そうよ、回避!」

 われながらかんぺきなひらめきにメルディは瞳をかがやかせながら立ち上がる。

「私が殺されないようにすればいいのよ!」

 入学式まで一週間ある。

 ゲームの知識をフル活用すれば自分の死を回避することは容易たやすいはずだ。

 善は急げとメルディは机に向かい、自分の記憶にあるかぎりのゲームの情報をメモに書き出した。

「ええと……メルディが殺されるのは主人公と同室だったからなのよね。主人公に会いに来たゲームの黒幕キャラクターが主人公がいないことに腹をたててひまつぶしで殺されるのがこの私」

 口にしてみるとあまりにもひどい。救いがないどころではない。

 思わず遠い目をしてしまう。

「何にも悪くないのに殺されてしまう私、憐れだわ」

 今でもはっきりと思い出せるスチルに心の中でもくとうしながらメルディは、再び長く深いため息を吐く。

「一番いいのは、主人公との同室回避なんだけど……これはもう難しいわよね」

 なぜなら二人が同室になったのは『誕生日が近い』という単純な理由だからだ。

 今更、誕生日が間違っていました! と届け出るのはあまりにも不自然だし、両親だってなつとくしないだろう。

「と、なると……もう一つの方法はゲーム自体をスタートさせない、ってことよね」

 メルディはうでを組むとうーんと考え込む。

 前世でファンだったこともあり『はとる。』のゲーム内容はしっかり頭に入っている。

 メルディを殺した人物の正体および、その目的もわかっている。

 わかっているからこそ、本当はかかわりたくない。

 でも。

「放置していたら世界がほろんじゃうんだよね……」

 なんと『はとる。』のバッドエンドは世界のほうかいなのだ。

 主人公たちがメルディの死をきっかけに学園で起きるしんな出来事に気が付くことで、黒幕の悪事をあばき、学園の平和及び世界すらも救ってしまう……というそうだいなストーリーだったりする。しかもなかなかに難易度が高く、前世のメルディは何度もそのバッドエンドに辿たどり着いてしまった。

 世界の崩壊を見つめ高笑いする黒幕のスチル。

 それを思い出すだけで、胸の奥がきゅっとめ付けられる。

「もし私が死を回避しても……主人公たちがなぞきをしなかったら最終的には……」

 メルディどころかメルディの家族や大切な人たちが全員死んでしまう。

 それだけは絶対にけたい。

「つまり、私の死亡フラグを完全回避するためには……ゲームをスタートさせないようにするしかないってことか」

 本当は考えなくてもわかっていた。

 たとえ自分が死ななくても、ほかだれかがせいになる。『はとる。』はそういうゲームだ。誰かが死ぬとわかっていて放置するのは大変めが悪い。

 へいぼんな感性を持っている自分がうらめしいようなほこらしいような気持ちになりながら、メルディはふうと息をいた。

「やるしかない、のかも」

 このタイミングでメルディが記憶を取りもどしたのは、何かのえんなのかもしれない。

 どうせ記憶が戻らなければ死んでいた命だ。

「よし! そうと決まれば善は急げよ! 絶対にゲームのスタートをしてみせるわ!!」

 そうさけんだメルディはにぎりしめたこぶしをふりあげたのだった。

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