8年間で知ったこと

ritsuca

第1話

 この部屋に越してきてからの8年で知ったこと。

 荻野の部屋はカーテンから朝日が射してきて自然と目が覚めること。これはつい最近知った。もっとも、陽射しで阿賀野が起きる頃には大抵荻野は既にキッチンにいて、朝食の支度をしている。

 荻野の愛猫であるおーじが実は、阿賀野の撫で方を気に入っているらしいこと。顔を洗うまではぼんやりしていることが多い阿賀野の足音を聞きつけるなり、おーじが阿賀野の行く手を阻むようになったのは、越してきて間もない頃だった。荻野の撫で方を見て学んだ阿賀野の撫で方の方が好ましいらしい。撫でてくれないと一日が始まらないの、とでも言いそうだな、とは荻野の言だ。

 定番の朝食には、それなりの手間がかかっていること。四人掛けのテーブルに、ここ数年来の定番となった麦飯とみそ汁、ぬか漬け、目玉焼きの朝食を並べられるよう、器を出す。当日に0から調理するのは目玉焼きだけだ、と言っていたが、荻野が出張でしばらく家を空ける間、同じようにやってみようと試した阿賀野には0からも7からも、さして変わりないように感じられた。それ以来、少しでも支度を手伝うために起きる時間を早め、調理と盛り付けは荻野、それ以外は阿賀野、に落ち着いている。

 そして、荻野の視力が下がりつつあること。普段運転をしない生活をしていると、眼鏡をかけていなくてもどうにかなる場面が多い。かく言う阿賀野も、健康診断では両眼とも0.8と1.0の間を推移している。一方荻野はと言えば、徐々に下がってきていたらしく、度なしで買ったと言っていたブルーライトカットの眼鏡にいつの間にか度が入り、レンズも色つきに変わっていた。レンズを変えて社内でもメガネをかけている時間が長くなってきて、ときどき、阿賀野に声がかかるのだ。荻野に彼女はいるのか、意中の人はいるのか。以前はそのたびに「よく知らない」と心から答えていたが、最近,少し変わった。


「できた。配膳頼めるか?」

「はいはいおまかせ、っと……あ、またメガネに味噌汁飛ばしたな」

「あぁ、どうりで見えにくいと思った」

「拭こう、拭いて」


 ほら、とキッチンのカウンターに常備するようになった使い捨てメガネ拭きを渡して、お盆に出来上がった品を載せていく。

 今日のお味噌汁は、目に鮮やかな緑のキャベツと、ふわふわになった油揚げらしい。阿賀野のお椀の方が好物の油揚げが少し多いように見えるのに、口角が上がる。荻野の心の一角に、自分がいる。少しこそばゆく感じるそれは、この部屋に越してきてやっと、知ったのだった。


「荻野ー」

「ん?」

「いつもありがとうな」

「なんだよ急に……ほら、食べるぞ」

「ん、「いただきます」」


 そしてまた、一日が始まる。

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